「平和って、戦争をしないこと」では…

 最近、ずっと考えている素朴な疑問があります。それは、「平和ってなんだろう?」ということです。ひと言で言ってしまえば、「平和って、戦争をしないこと」ですよね。だとすれば、武力によって平和を守るという考え方は、そもそも論理矛盾を起こしてるのではないかと。平和を守るためだとか、自国防衛のためだとかという理由であっても、武力を使った時点でアウトです。武力行使で人が死ねば、もう平和とは言えないでしょ。

 日本国憲法第9条には、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄しますということと、そのための戦力は持たないし、交戦権も認めません、と書いてあります。国家間でもめごとがあったときには、武力によるのではなく、話し合いで解決しなくてはいけないということです。武力ではなくて「言葉の力」を信じようというのが9条の精神でしょうね。

 ところが、あの「積極的平和主義」を唱える安倍総理は、この部分(第9条第1項、第2項)は変えずに、もう1項を加えて、自衛隊を明記すると言っていますが、軍隊として位置付けるわけにはいかないわけだから、これも論理矛盾を起こすことになるんじゃないかと。いったいどうするおつもりなのでしょうか?

 最近、もうひとつ不可解なのが、北朝鮮によるミサイルや水爆実験。核を持つということが、なぜ自国の利益につながるのか、いろいろ想像力を巡らせてみてもよく分からないし、なぜあんなにアメリカを敵視するのかもよく分かりません。トランプ政権になってからミサイルがよく飛ぶようになってきましたから、ただ、トランプが嫌いなだけではないのかと…。

 一方、アメリカだって、核を持っているくせに平和の説教をしているとはおかしな話だし、インドやパキスタンの核保有については何にも言わないのに、何で北朝鮮はダメなのかもよく分からん。

 ま、それはともかく、要するに北朝鮮がやっていることは挑発行為でしょ。そんなの放っておけばいいのにと僕なんか思いますが、どうなんでしょう? その挑発に対して、トランプはそれこそ犬の遠吠えのように吠えまくるもんだから、金正恩はますます踏ん反り返っているような雰囲気です。テレビのニュースを見ている限り、ちびのロケットマンと言ってみたり、老いぼれジジイと言ってみたり、二人の罵り合いはほとんど子どもの喧嘩と同じですよね。もうこうなったら、ロケットマンと老いぼれの一騎打ちでもやったらどうでしょう。

 しかし、そんなのは戦国時代の話であって、現代の戦争においては、戦争を始めるのは富裕層、戦場に送られるのは貧困層。犠牲になるのは一般市民。北朝鮮のミサイルもどこに落っこちてくるか分かりませんから、穏やかではありませんが、もっと怖いのは、挑発に乗せられてアメリカが軍事行動をとることです。そうなったら日本も巻き込まれることになるのは必至。先日、国連総会の折、安倍さんも「対話ではなく制裁」だ、どこまでもトランプさんについていきますよと、「トランプべったり宣言」をしてますから、本当に怖いです。

 ところで日本の国会。またまた根拠不明の衆議院解散と総選挙。野党がごちゃごちゃしている今をチャンスとばかりに夜討ちをかけようという魂胆見え見え。とはいえ、国民としてはしらけてばかりもいられません。今こそ「NO!」を突きつける時です。何を? もちろん、「戦争 NO!」です。平和=戦争をしないこと。この当たり前のことをしっかり胸に刻んでおきましょう。

おおきな木 杉山三四郎