私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。
絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。
読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。
最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?
絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。
遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。
先日、ちょっと用があって日帰りで上京し、国立科学博物館に行ってきました。特別展「超危険生物展」が開催中でしたがそれはパスして、企画展「かこさとしの科学絵本」を見てきました。ご存命であれば今年が生誕100年で、それを記念しての展覧会でした。
かこさとしさんといえば、『だるまちゃんとてんぐちゃん』(福音館書店)のシリーズや、『からすのパンやさん』(偕成社)などのユーモアいっぱいの絵本がおなじみですが、地球や生き物の不思議に誘ってくれる科学絵本もたくさん描かれています。かこさんが生涯に出版された絵本は約600冊で、そのうち200冊が科学絵本だそうです。今回の展示は、その代表作の原画展示や各分野の専門家の方たちの解説もあり、かこさんの科学絵本にますます引き込まれる内容でした。
かこさんの科学絵本は、1962年に発刊された『かわ』(福音館書店)に始まります。会場には、この絵本の全ページをつなげて約7mの絵巻じたてになっている『かわ』(2016年発刊)が展示されていました。源流域に降った雨や雪、湧水や湖の水が集まって谷川となり、険しい渓谷を流れ、やがて人々が暮らす中流域へ。そして、だんだん川幅が広くなって下流域となり、広い広い海へと注ぐ、長大な川の旅。川は人々の暮らしと深く結びついていて、飲み水や農業用水になるし、水力発電で電力も作ります。そんな様子も細かく描かれていて、ジオラマを見るようなワクワクした気分になれる絵本です。地図好きの子たちにも超おすすめです。
そして、かこさんの科学の目は、身近な川から、海、地球、宇宙、人間へと広がり、それぞれ1冊の絵本になって出版されているわけですが、その科学的知識はじつに多岐にわたっていて、驚きです。東京大学応用化学科を卒業し、工学博士や技術士の資格も持っておられて、単なる絵本作家ではないのです。今回の展示では触れられていないのですが、紙芝居や子どもの遊びなども研究されていて、分野は理系だけにとどまりません。
かこさとし展を見て、宇宙や地球や人間の歴史に心奪われて、その後、国立科学博物館の常設展も一通り見てきました。地球館では、138億年前の宇宙誕生、46億年前の地球誕生、2億3000万〜6600万年前の恐竜時代、そして、ヒトが生まれた700万年前、現代人に繋がるホモ・サピエンスが誕生した20万年前、と時系列に生き物の化石や隕石などが展示されています。
何億年といわれてもピンときませんが、この138億年を地球の1年に換算してみると、唸らざるを得ません。ビッグバンは1月1日、太陽系ができたのが9月1日、地球に酸素が現れたのが10月29日、生物が出現したのが11月13日、昆虫の出現が12月18日、恐竜の出現が12月25日、絶滅は30日、そして人間はというと、類人猿から分化したのが12月31日の20:31で、ホモ・サピエンスの出現は23:47。古代文明が現れて現代に至る人類の歴史は、1年の最後の10秒ぐらいの話なんですね。
国立科学博物館を後にして向かったのは、第57回講談社絵本賞の授賞式。2026年度の受賞作は、『ある星の汽車』(森洋子作/福音館書店)でした。空間ではなく時間を移動する汽車に乗っているのはお父さんと男の子ですが、まわりのお客さんは今までに絶滅した動物や絶滅が危惧されている動物たち。「1681」と書かれた駅で降りたのはドードー鳥。下車は絶滅を意味してるんですね。その後も続く「下車」。いったい人間はいつまでこの汽車に乗っていられるんでしょうね。
おおきな木 杉山三四郎
最近の新聞やニュースを見ていて、今の世の中って「愛のない世界になってしまったなあ」とつくづく思います。そこで、こんな歌を書いて歌ってみました。
愛するということは
人の痛みがわかるということ
愛するということは
人を不幸にさせないということ
愛するということは
力を見せつけることではなく
愛するということは
差別のない思いやる気持ち(後略)
石油を手に入れたいからと言って、ベネズエラやイランの国土に踏み込んで、破壊し殺戮する。その結果、世界の経済が大混乱。こんなことが許されている世界が恐ろしくなります。この極悪人の行動を止めることは誰もできないのでしょうか。この無法者を大統領に選んでしまったのはそもそも誰ですか?
我が国の高市早苗内閣は、武器輸出に関するこれまでの規制を撤廃して、殺傷能力がある武器の輸出を解禁しました。高市氏は「武器を輸出して強い経済を作る」と言ってますが、武器を売って儲かるのは誰ですか? 金儲けのためには人の命なんかどうでもいい、という発想は彼の国の極悪人と同じです。こんな政権を選んでしまったのはそもそも誰ですか?
今、ゴリラ研究の世界的権威の霊長類学者 山極寿一さんの『ゴリラの森で考える』(毎日新聞出版)という本を読んでいますが、そこに興味をそそる記述がありました。
サル類は社会的集団の中で生活しているのはご存知の
通りですが、ニホンザルの社会では体が大きい優位なサルが力を誇示して食物を得て、劣位のサルはその力の前に引き下がるしかないという行動をとるのに対して、ゴリラの社会では、体の大きなシルバーバックと呼ばれる優位のゴリラは小さなゴリラに食物を分け与えるという行動をとる、というものです。
ボスとリーダー、この違いは何でしょう。ボスは力を誇示して相手を屈服させる存在で、ニホンザルはこれ。しかしゴリラは力だけでは群れを率いることはできなくて、メスや子どもの安全を守って群れの信頼を得なければならないのだそうです。また、ゴリラは平和的な行動を好み、シルバーバック同士が一触即発といった状態になったとき、若いゴリラが間に入って仲裁し衝突を未然に防いだという行動も見られたそうです。
ゴリラに人間のような「愛」があるのかどうかは分かりませんが、今、平和な社会を危うくしている為政者たちはゴリラに学んでほしいと思います。自国第一主義を掲げる彼の国の大統領、「強い国」を掲げる我が国の首相。どちらも強さを誇示するボスであってリーダーとはとても言えません。同じ空の下に暮らす人々みんなの幸せを考えるのがリーダーであって、自分さえ良ければいいという考えとは相反します。
武力で平和を守るという「抑止論」というのは、強さを誇示して相手に攻撃を躊躇させるというものですが、その行き着く先は核武装です。高市政権が掲げる「強い国」とは一体何なのか。だんだんと化けの皮が剥がれてきましたが、それでも日本国民は「強い国」を望んでいるのでしょうか。それよりも「愛のある優しい国」であってほしいと思いませんか?
おおきな木 杉山三四郎
みなさん、コスタリカという国はご存知でしょうか? 中米のパナマの隣にある国で、人口は約520万人、広さは北海道の約6割ぐらいの小さな国です。小さな国ですが、国連や諸外国から「世界で一番幸せな国」と呼ばれている国です。その理由は?
まず、この国には軍隊がありません。日本の自衛隊にあたるような組織もありません。憲法に「常設の組織としての軍隊は禁止する」と書かれていて、完全に非武装を貫いてきました。そして自国の平和だけでなく、世界に向けて平和を広め、1987年、大統領はその功績を認められてノーベル平和賞も受賞しています。国連の核兵器禁止条約を提案したのもこの国で、2021年にこの条約は発効しています。世界で唯一の被爆国である日本はというと、その条約を批准するどころか、会議にすら出席をしていません。本来ならば、核の恐ろしさを自ら体験した日本が主導すべき条約だと思います。
コスタリカは軍隊をなくして浮いた軍事費を教育や福祉にまわして、豊かな福祉国家に成長しています。そして、国民みんながこの平和憲法のことや国際社会でもその役割を果たしていることを知っていて、コスタリカ人であることを誇りに思っています。
では私たちの国はどうでしょうか。コスタリカの平和憲法が制定されたのは1949年ですが、日本はその3年前に、世界に先駆けて「戦争放棄」を謳った日本国憲法を公布しています。以来80年の間、他国の紛争に巻き込まれることもなく、自衛隊はできましたが、戦闘行為によって死んだ隊員はいませんし、誰一人殺すこともなく平和を守ってくることができました。これは世界に向けて誇っていいことではないでしょうか。
憲法第9条の第1項には、国権の発動たる戦争を永
久に放棄し、第2項には、その目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は保持しない、と書かれています。それなのに、先の衆議院総選挙で圧勝した高市政権は、「外交力と軍事力で日本を強い国にする」と言っています。高市さんが掲げておられる「強い国」とはいったいどんな国なんでしょう。
今年に入ってから、アメリカはベネズエラやイランに軍事介入し、国際法など我関せずのトランプ大統領の言動が世界中を恐怖に陥れています。先日、高市首相が訪米し、「世界に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルドだけだ」と、人を殺しまくっているトランプをおだてまくりましたが、本気で言ってるとしたらヤバいことになります。軍事力で世界を意のままにしようと企むアメリカに日本も追随することになってしまいます。しかし今回、ホルムズ海峡に自衛隊を派遣するというところまで話が進まなかったのは、憲法第9条があったおかげでした。もしも、第9条を変えて、自衛隊を正式な軍隊として明記し、憲法の上でも集団的自衛権行使ができることになっていたら、確実にこの戦争に巻き込まれていたと思います。
日本も、コスタリカと同様に平和と民主主義の国であることを誇りにしていきたいと思いませんか。「強い国」でなくていい、「優しい国」であってほしいです。「台湾有事があったら日本も黙ってはいませんよ」と勇ましいことを言うのでなく、「日本は平和憲法を守っている国なので、武力行使に出ることはあり得ない」ということを堂々と言ってほしいです。そうすれば中国を怒らせることもなかったでしょう。相手を思いやる優しさこそ外交力ではないのかと思います。
おおきな木 杉山三四郎
「おおきな木」がある岐阜市には、草潤中学という自由な学校があります。2021年4月に開校したばかりの新しい学校ですが、全国の教育関係者に注目されている「学びの多様化学校」という特例校です。以前は「不登校特例校」と呼ばれていて、小学校の時に不登校になっている子たちのために設置された学校です。この草潤中を教育ジャーナリストの佐藤明彦さんが2024年秋から約半年をかけて取材された本『風穴をあける学校──不登校生が通う特例校』(時事通信社刊)が昨年夏に発刊され、読んでみました。
「学校らしくない学校」と筆者が指摘されているように、一般の中学校とは真逆の発想で運営されています。その特徴を簡単に挙げると、
・服装は自由、頭髪などの規則もなし
・担任は生徒が指名して決定
・行事はすべて生徒が企画
・授業は教室で受けても
オンラインで自宅で受けてもOK
・登校後、授業に出なくてもOK
一般の中学はというと、世の中の常識に照らしても理不尽だと思えるような規則がまかり通っています。我が子の時代を振り返ってみても、靴の色は白でなければダメとか、ベルトの幅は3cm以内とか、ワイシャツは綿100%はダメとか、意味不明なものばかり。中には服装検査までする学校もあるみたいで、人権侵害もいいとこです。こうした理不尽な規則を厳しく押し付けてるような学校では、子ども同士の関係性もぎくしゃくして、その結果いじめも起きるし、当然不登校も増えます。
ですが一人ひとりの個性を大切にする草潤中では教師と生徒は信頼関係で結ばれ、こうした問題は無縁です。草潤中の理念が一般の学校にも浸透していけば、日本の学校教育は大きく変わるのではと期待しています。
さて話は変わって、手前味噌ではありますが、おおきな木が開店以来続けて来た「野外塾」の話もさせてください。野外塾も自由な塾を標榜してやってきました。小学校などで校外学習があると、規則やめあてや時間割が決められ、みんなで力を合わせてやっていこう、といったことになります。野外塾にはめあても時間割もありません。あるのは、子どもたちが自由に遊べる「時間」、子どもたちの好奇心を満たしてくれるような「空間」、そして、それを共に体験できる子どもや大人たちの「仲間」。僕は、これらを「三つの間」と呼んでいますが、それを用意しているのが野外塾です。
ちょっと考えてみていただきたいのですが、学校における規則やめあてや時間割といったものはすべて大人の価値観によるものであって、子ども本位ではありません。子どもも一人一人みんな違うのに、同じ価値観を押し付けようとしているわけです。野外塾では、自然環境にみんなを連れて行って解散時刻まで「放し飼い」ですが、自然を楽しむ仕掛けはいろいろと用意して行きます。でも、どれも強制ではありません。
一日の活動が終わると、みんな「楽しかったー」と言って帰って行きますが、楽しい経験からこそ、子どもも大人も学ぶことは多いと思います。自然の不思議、友だちの大切さ、生きる力、体力、……、そして、野外塾を通して自分がやりたいことを見つけて卒業(?)して行った子たちもたくさんいます。
今も「毎日野外塾だったらいいのになあ」なんて言ってる子がいますが、さてそれはどうなんでしょうね?
おおきな木 杉山三四郎
おおきな木は絵本屋です。絵本屋ですが、童話、図鑑、紙芝居、おもちゃもあります。絵本屋ですが、歌も歌います。絵本屋ですが、子ども本位の活動「ことば塾」「野外塾」を続けています。ま、いろいろやってますということですが、決してちゃらんぽらんな訳ではなく、どれも根っこは同じ思いでやってます。
では、なんで絵本屋をやろうとしたのか。よく聞かれます。ずーっと言ってきたのが、「大人と子どものいい関係を作りたい」という思いから始めた、ということです。親と子が、感動体験を共にする時間をできるだけ持ってほしい、そんな気持ちです。その体験は子どもの心にずっと宿り続けるし、親の方も子どもが育ってからもいい思い出となって残っています。言うまでもないとは思うのですが、絵本を親子で楽しむ時間は一つの感動体験です。だから「絵本」なのです。
僕は30年以上にもわたって子どもたちに絵本を届けてきましたが、絵本の魅力は何と言っても「生の言葉で繋がるふれあいツール」であるということです。絵本は他の書籍とは違って、複数の人数で楽しむことができます。読み手と聞き手、ときにはそのどちらでもある場面もありますが、声に出して読むことによって、ちょっとしたお芝居のようなライブ感が生まれます。
「ことば塾」は絵本や工作を親子で楽しむ場ですが、昨年から土曜日開催に変更したことで、お父さんの参加もあったりで、父子のふれあいも微笑ましく見ています。そして、「野外塾」は子どもだけで参加する子もいますが、親子で自然を楽しむ場です。毎回のプログラムが大家族のように盛り上がっています。どちらも、大人と子どものいい関係が生まれているように思います。絵本やこんな活動の場があったおかげで、僕自身も、そして共に働いてきた連れ合いもいろんな繋がりができたのは間違いありません。
絵本がふれあいツールであることは実感としてあることですが、もちろんそれだけではありません。その効用はいろいろあります。子どもの夢を育むとか、想像力が育つとか、表現力や言語能力が育つとか、列挙したらきりがありません。でも、それらは後からついてくるものであって、それらを狙って絵本を使うというのはいかがなものかと思います。まずは気に入った絵本を見つけて、それを一緒に読む。これだけです。親子で好みが違うことも往々にしてありますが、親は親で気に入った絵本を読めばいいし、子どもが選んだ絵本も、「そんなのは赤ちゃんが読む本でしょ」などと否定しないで読んでみる。意外な発見があるかもしれないし、相手を理解するきっかけにもなります。考えてみたら、絵本に限らず、子育て全般に言えることかもしれません。
そして、子どもが成長してくると、身の回りのことや世の中のことにも関心を持つようになります。そんな子どもたちには伝えていきたいメッセージがあります。少し話はそれてしまうのですが、僕の場合、それは「命の大切さ」です。一人ひとりがかけがえのない命を持っています。戦争によってその命が軽んじられるようなことになってはいけません。日本は戦争放棄を謳った平和憲法を持っています。どんなことが起きようが武力行使はしません、ということを世界中に向かって堂々と宣言していくことが、一番の安全保障なのではないかと思います。平和って何でしょう。作家さんたちもそんなメッセージを発している方がたくさんありますが、それを手渡してくのは書店の役割ですからね。
おおきな木 杉山三四郎
9月に引き続き、先日ふたたび絵本作家のたてのひろし(舘野 鴻)さんがやってきました。今回は、名古屋市科学館で開催中の「特別展 昆虫MANIAC」で「うんこ虫を追ってみた」という講演をして、その次の日に「おおきな木野外塾」に参加してもらいました。
野外塾の説明をしていたら長くなるので省きますが、いつも自然の中で奔放に遊んでいる子どもたちは、たてのさんのような「変なおじさん」が大好きなので喜ぶだろうし、たてのさんもきっと野外塾が気に入ってくれるんじゃないかと思っていたところでした。
この日の野外塾は一応プログラムがあって、午前中は「もりのビンゴゲーム」、お昼は、みんなで持ち寄った焚き火料理、午後は冬の虫さがしとなってます。「もりのビンゴゲーム」は、普通のビンゴカードの数字のマスが、すべて植物の花や実や葉っぱなどの写真と名前になっていて、森の中を駆け巡ってそれらをさがして、見つかった植物のマスがタテ、ヨコ、ナナメに5つそろったらビンゴになります。ビンゴになると子どもはクリスマスプレゼントがもらえるというのもあって、親も子もいっしょになってみんな頑張ります。制限時間は60分でしたが、ほとんど、ビンゴ〜達成!でした。
ビンゴが終わり、子どもたちが中心になって焚き火の火起こしを始めたころ、やってきたのはたてのさんと相棒の絵本作家 近藤えりさん。予想通り子どもたちは気楽にたてのさんに声をかけてるし、たてのさんも知らないうちに焚き火の輪に入っていてみんなに馴染んでいます。この日のお昼は、みんなそれぞれ好きな食材を持ち寄って焚き火で焼いたり煮たりして食べるという「持ち寄り自己責任焚き火料理(?)」です。たてのさんは、前日の夜に食べきれなかったというネパールのカレーを温めて食べ始め、それに、さっき採ってきたというクワガタの幼虫も焼き始めました。要するに白いイモムシ。お味の方はというと、スモークチーズみたいだそうです。ちょっとした昆虫食ブームですが、中でもカミキリムシの幼虫は美味しいらいしいです。クワガタも似たようなものなんで美味しいんでしょう。みんなが口にできるくらい採れれば言うことないんですけどね。
そこで、午後はたてのさんにくっついてイモムシ掘りに出かけました。狙うはコナラやアベマキなどの朽ちた広葉樹。ツルハシで豪快に割って、そこからシャベルなどで丁寧に掘っていくと、何かしら生き物に出っくわします。アリやシロアリの大群、ムカデやヤスデの仲間、そして、小さな小さな生き物たち。白いものが出てきたら、クワガタやらコガネムシの仲間です。タマムシやカミキリもいます。でも、今回は「食べよう」と言い出す子はいなくて、大切に家に持ち帰りました。
たてのさんは今度は崖にへばりついて土を掘り始めました。狙うはオサムシです。彼はオサムシ大好き少年だったそうで、見た目では素人には違いがほとんど分からないんだけど、いろんな種類がいるんですね。交尾器の形の違いなどで見分けるんだそうです。
たてのさんの絵本といえば、まずは超細密画による昆虫のシリーズ(偕成社)。でも、メジャーな昆虫はギフチョウぐらいで、あとは、『シデムシ』『ツチハンミョウ』『ガロアムシ』と、お馴染みではないものばかり。しかし、その小さな虫たちの一生はどれも怪奇で不思議なことばかり。奇跡をかいくぐって命を繋いでいるその生き様は本当に凄いというしかありません。僕は、たてのさんの絵本を開くたび、ほぉーっと唸ってます。
おおきな木 杉山三四郎
我が国にもついに女性総理が誕生しました。今のところ支持率も高く、国民の期待を背負っている形になっていますが、残念なことに国会で早速とんでもない発言をしてしまいましたね。
11月7日の衆議院予算員会での高市首相の「台湾有事」発言。何が問題なのかとか、よく言ってくれたと賞賛の声も上がってますが、そもそも台湾有事というのは、中国と台湾の問題であって、他国のことに安易に口を挟むのは慎むべきことです。そして、台湾有事が起これば、日本にとっても「存立危機事態になりうるケース」だと言ってしまいました。要するに、中国が台湾に武力行使をしたら日本にも危害が及ぶので黙ってはいないよと言ってるわけですからね。
中国の反応がこれまた即座でした。中国総領事が、「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」などと政府高官とは思えないような書き込みをしたとか。そして日本への渡航禁止とか日本製品の不買とか。さらに、日本の治安がよくないなどという酷いデマまで飛ばしたり、過激すぎます。
なんでこんなことになるんでしょうね。日本には、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄を定めた憲法があります。第九条によって、国際紛争の解決に武力を使うことは禁じられています。なのに、存立危機事態になりうるというのは、武力行使に踏み切る可能性もあると暗に言っているわけで、憲法無視も甚だしいです。
高市政権になってからというもの、予想された通りに、「武力によって国を守る」という方向性に向かい始めてます。防衛費を増額するとか言ってますが、それが平和への道であるはずがありません。一旦戦争が始まってしまったら、終わらせるのは大変です。長引けば長引くほど人の命が奪われ、勝っても負けても国民は悲しみに暮れるだけです。日本もそういう歴史を体験してきた国じゃないですか。だから、その反省に基づいて憲法第九条があるわけです。
戦争にならないための抑止力って一体なんでしょう。核保有国の論理で言えば最強の大量破壊兵器を持つことになるんでしょうが、もし何かの過ちで使われてしまったら、地球は破滅し、人類の歴史も終わりを告げることになるわけで、抑止力もクソもありません。
そんな最悪な抑止力ではなく、本来あるべき抑止力というのは、喧嘩にならないように努力することです。日本と中国は経済的に相互依存し、技術やスポーツや文化交流も各分野で行ってきました。その関係が崩れたら、戦争にはならないにせよ、お互い損失は大きいと思います。中国人の人気ナンバーワンの旅行先は日本。重要なパートナーシップで結ばれている両国ですから、そのうち騒動も治るだろうと思いますが、高市さんには大人しくしていただきたいです。
9月23日、石破茂前首相が行った国連での演説では、戦後80年の節目を意識した言葉が多くありました。「日本が経験した核の惨禍は二度と繰り返されてはならない」。「全体主義や無責任なポピュリズムを排し、偏狭なナショナリズムには陥らない。差別や排外主義を許さない」ために「過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズムが土台になる」と訴えました。この言葉は、トランプやプーチンやネタニアフに届けて欲しかったと思います。そして高市さんはこの言葉を噛み締めて、ちゃんと継承して行ってほしいと思います。
おおきな木 杉山三四郎
昔々、僕は北信の雪国に住んでいたことがあります。二十歳をちょっと過ぎたころでした。アパートなどない小さな町なので、ちょっとしたきっかけでお知り合いになった、駅の近くに住むUさんという方のお宅に間借りをすることになりました。Uさんは山奥の小さな小学校で先生をされていて、クロスカントリースキーを子どもたちに教えておられました。僕はクロスカントリースキーはほとんどやりませんでしたが、そのUさんご夫妻には「山の恵み」をいろいろと教えてもらいました。
雪解けの5月ごろになると周囲は山菜の宝庫。タラの芽、ゼンマイ、ウドなどを求めて、その小さな町の人たちは山に出かけて行きます。山菜などまったく縁がなかった僕でしたが、Uさんご夫妻が一緒に行きませんか、と誘ってくれました。しかし、初心者にはどれが美味しい山菜なのか判別は難しく、ご夫妻がカゴいっぱいに何かを摘んでおられるのをただただ感心して見ていました。でも、竹の子(ネマガリダケ)狩りは初心者でも分かりやすくて、僕もついつい夢中になってしまい、迷子になりそうになったことがあります。
そして、秋になるときのこ狩りです。Uさんが勤めておられた学校は大きな湖に面した山の中にあり、この付近がきのこの山なんですね。一度だけでしたが誘っていただきました。竹で編んだカゴを渡され、3人で山に分け入りました。道などほとんどありません。でも、先生たちが進んでいく先にはきのこの群落があったりするのです。ナメコ、ムラサキシメジ、シモフリシメジ、あと、アカなんとかという名前のきのこなどを覚えていますが、ご夫妻は群落を見つけると、悦びに満ちた雄叫びを上げておられました。結果、一回の山歩きでご夫妻のカゴはきのこでいっぱい。僕もその3分の1ぐらいは採った記憶があります。その日はUさんのお宅で贅沢な天然のきのこ汁をいただきました。
きのこというのは何か魔力のようなものがあって、僕もその魔力にかかり、数日後にまたその山に一人で行ってみました。ところが、それらのきのこにはまったく出会えず、それどころかまた迷子になってしまい、収穫はゼロ、怖い思いだけをして山を下りてきました。
あれから50年近くが経ちますが、今だにその魔力に取り憑かれています。おおきな木野外塾の秋のキャンプもきのこ三昧。先日も美味しいきのこをみんなで見つけて、きのこ汁にしたり、ホイル焼きにしたりして食べました。ホコリタケの大群落を見つけると子どもたちは大喜び。木切れでたたきまくります。胞子が一面に舞い上がって煙幕のようになるのが楽しいみたいです。
しかし、きのこというのは山菜のように毎年同じ場所に行けば収穫できるというものではなくて、数年前にナメコの大群落を見つけた山にも毎年登ってますが、毎回空振りです。僕はフェイスブックできのこマニアの人たちのグループもフォローしてますが、その人たちは毎日すごい写真をアップしています。マツタケを100本以上採ったとか、ナメコやナラタケの大群落があったとか、両手でひとかかえもあるマイタケをゲットしたとか。いったいどこに行ったらこんな光景を目にすることができるのかといった夢のような写真ばかりです。
では最後に、この秋に出たきのこの絵本を一冊ご紹介します。『きのこってなんだろう?』(小林路子作/福音館書店)。見た目が可愛い毒きのこベニテングタケや、色や形が変わった様々なきのこたち。小さな子たちにも分かりやすくきのこの魅力を伝えてくれます。
おおきな木 杉山三四郎
パレスチナのガザ地区で医療活動を続ける国境なき医師団にささやかながら寄付をしました。イスラエル軍による爆撃で多くの民間人が殺され、傷つき、さらには飢餓状態に陥っているガザの人たちのことを思うと、居ても立ってもいられない、そんな気持ちです。
イスラエルによると、ハマスはテロ集団であり、人質を全員奪い返すまでは戦争を続けると言ってますが、果たしてそれは本当なんでしょうか。イスラエルにとってはハマスはテロ組織だということなんでしょうが、パレスチナ人にとっては、自分たちの住む土地を奪われ、行動の自由までも奪われていることに対する、ささやかな抵抗勢力なんじゃないでしょうか。そのハマスが潜伏しているという口実をでっち上げて、無差別に爆撃を続けているというのはとんでもない戦争犯罪です。先日、ガザ市への地上侵攻も始めると、ネタニヤフは息巻いてますが、避難勧告に従って家を捨てて避難する人たちにも攻撃を仕掛けているとのこと。学校や病院を標的にしたり、避難民たちのテントや、食糧を求めて人々が集まる配給所を爆撃したり、これは明らかに民族浄化を狙ったジェノサイド(集団殺害)です。
このイスラエルに対し、世界各国は非難声明を出していますが、ネタニヤフ政権は全く聞く耳を持ってません。国際刑事裁判所が戦争犯罪であると認定しても、裁くことはできないのでしょうか。イギリスに続き、第二次大戦中にホロコーストで600万人のユダヤ人を虐殺し、今だにその負い目を背負っているドイツも非難声明を出しました。そして、イギリス、カナダ、オーストラリア、ポルトガル、フランスなどがパレスチナの国家承認の声明を出し、その数は160ヶ国以上になりました。ところが、イスラエル支持のアメリカは全く動きません。そして、トランプ政権の顔色を伺っている日本も、情けないことに国家承認に踏み切れません。
80年前、アメリカは、太平洋戦争において広島、長崎に原爆を落とし、各地の都市を空爆しました。明らかに民間人を狙った無差別攻撃です。アメリカにおいては、原爆投下は戦争を早く終わらせるために必要だったと正当化していますが、あの時点で日本が降伏するのは時間の問題でしかなかったのに、「マンハッタン計画」の目的として、さらに、戦後処理でソ連より優位に立つために、日本が降伏する前に投下を急いだ、というのが本音だったわけです。アメリカは、その後も、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争でもクラスター爆弾や化学兵器などの無差別殺傷兵器を使ってますから、ずっと戦争犯罪を続けています。しかし、日本はこうしたアメリカのジェノサイドに対し、何も物申すことができないというのは、残念ながら今だにアメリカの占領下に置かれているような国だからでしょう。
また、太平洋戦争中、日本も無差別殺人兵器を使っていたという事実もあります。先日、当店に来られた舘野鴻さんは、新刊『うさぎのしま』(近藤えり、たてのひろし作/世界文化社)の話をされていましたが、この絵本の舞台は大久野島という広島湾にある島で、当時毒ガス兵器を製造し、ウサギはその実験台として使われ、その毒ガス兵器は実際に中国大陸で中国の民間人に対して使われていたということなんですね。
この100年の歴史を見ても、戦争が起きるたび非人道的な戦争犯罪が繰り返され、今現在、ガザでは多くの罪なき人たちが殺され続けている。この獣のようなイスラエルの行為をどうしたら止められるのでしょう。
おおきな木 杉山三四郎
9月に絵本作家の舘野 鴻(たてのひろし)さんがやってきます。僕が舘野さんに初めてお会いしたのは4年前。メディアコスモスで行われた「おとなの夜学」で、テーマは「ギフチョウが教えてくれる、人類の足あと」。名和昆虫博物館館長の名和哲夫さんとの対談でした。ギフチョウといえば、岐阜県で新種として発見されたことからそう命名されたアゲハチョウの仲間の蝶ですが、その姿を見たことがあるという人はそれほど多くはないのではと思います。この夜学は、そのギフチョウの話で、あっという間に90分が経ちました。
たてのさんの絵本といえば、偕成社から出ている超細密画による昆虫たちの絵本。その中の『ギフチョウ』を見たときは、この絵は熊田千佳慕さんではないかと思ったんですが、作者名を見ると「舘野 鴻」となっている。へえ、似たような絵を描く人がいるんだなあ、どんな人だろうと思ってプロフィールを見たら、「熊田千佳慕に師事」と書いてあって、納得しました。
こんな細かい絵を描く人だからネクラで細かい性格の人なのでは、と勝手に想像していたんですが、会ってみたらなんと真逆で、大きな声でよく喋る豪放な方でした。おかげでこの夜学も楽しく、その2日後に行われたおおきな木でのトークショーも盛り上がり、子どもたちも喜んで帰って行きました。
4年前のこのイベントは3月の終わり頃だったので、おおきな木のトークショーの前日に、舘野さんといっしょにギフチョウ探しに出かけました。場所は僕が子どもの頃から採集をしていたマイフィールドです。お天気はバッチリでしたが、春の女神ギフチョウは現れませんでした。でも、舘野さんは、イタドリハムシやらシロホシテントウなどの小さな虫をすぐに見つけて教えてくれました。そして、崖をよじ登っていったかと思うと、持っていた小型のピッケルで土を掘り始め、あっという間に光り輝くオサムシを3匹ゲットしてました。
さて今回のトークショーは「うんこ虫とうんこオヤジを追え」(9/14 10:30〜12:00)。うんこ虫とは、うんこを食べて生きている昆虫「糞虫」のことですが、舘野さんが書かれている『うんこ虫を追え』(福音館書店)がすごいのなんの。光り輝くまるで宝石のようなうんこ虫オオセンチコガネを飼育し、生態を探り出した観察記録です。岐阜市内のマイフィールドではよく似たセンチコガネはたくさんいますが、オオセンチコガネにはなかなか出会えません。でも舘野さんの家の近くにはたくさんいるらしく、羨ましいです。
さて、この宝石のようなオオセンチコガネを育てようとすると、鹿やら牛やらのうんこを調達してこないといけません。臭いし嫌だなあ。舘野さんも初めはそんな気持ちでしたが、だんだん慣れてくると自分のうんちで育てるのも平気になってくるみたいです。なんと野グソをし始めたとたんに、あの光り輝くオオセンチコガネが飛んできて「オレフン」をうまそうにもぐもぐ食べている姿を見て、「なんだかうれしい。虫との不思議な一体感だ」などと言ってます。
4年間にわたって続けられたこの飼育観察。失敗を何度も繰り返しながら、途中で協力者も現れたりして、なんとか今まで解明されていなかったオオセンチコガネの生態が少し明らかになってきました。しかし、研究というのは「知れば知るほど謎が深まる」もので、「うんこ虫の探究はまだまだ道なかば。うんこの臭いにもなれたことだし、実験をつづけよう」だそうです。
おおきな木 杉山三四郎
7月7日から7泊9日でスイス旅行に行ってきました。スイスは4回目。なぜ毎回スイスなのかって? 他にも行きたいところはありますが、ひと言で言えば、スイスアルプスの魅力に取り憑かれてしまったからです。
1泊目は旧市街一帯が世界遺産に指定されている首都ベルン。4度目にして初めて滞在しましたが、その旧市街は想像以上に素晴らしい景観で、「奇跡の街」です。そして、ユングフラウの麓の小さな村ヴェンゲンに5泊。ベルナーオーバーラントの山々のハイキングコースを歩き回ることが一番の目的でした。そこを拠点に登山電車やロープウェイやバスなどを利用して、毎日、2万歩以上を歩きました。3,000〜4,000m級の山々を眺め、高山植物や高山蝶を写真に収めたりしながら、標準タイムの1.5倍ぐらいの時間をかけて歩きました。
こんなふうに第一の楽しみは自然を愛でることですが、もう一つスイスの魅力はと言えばいろんな国の人たちと遭遇することです。有名な観光スポットは人で溢れていますが、さすが観光立国、その受け入れ体制がしっかりしてます。乗り物の乗り継ぎはスムーズで時間は正確。大型の荷物や自転車のスペースも各車両に付いているし、ハイキングコースは整備されていて、分岐点には必ず統一デザインの道標が立っているし、要所にレストランやトイレやベンチが設置されています。
そして、ドイツ語圏でも英語は大体誰でも話せて、僕の拙い英語も一生懸命理解しようと聞き返してくれます。ベルンのレストランでは、女性オーナーが各テーブルを回り、「スイス料理はいかがですか? ゆっくりエンジョイしてってね」と明るく和ませてくれます。大抵のレストランではスタッフも外国人だらけですが、必ずgoodかどうか聞きに来るので、OKサインで応えます。ヴェンゲンのバーでは、ライブで歌ってる男性は南アフリカ人で客はアメリカ人だらけ。テキサス、アイオワ、ニューヨークなどと叫んでました。途中にイギリス人のおばさまたちもやってきてノリノリ。アジア人は僕一人でしたが、何とか仲間に入れてもらいました。
中国やインドも多いですが、今回はアメリカ人によく遭遇しました。夏休みなので家族連れで来ています。シアトルから来たと言うご家族とは大リーグの話題になり、ショーヘイはすごいけど、やはりイチローが好きだと言ってました。マリナーズの本拠地ですからね。
ヴェンゲンを後にし、7泊目はリギ・カルトバートという村のホテルに1泊。今回では一番いいホテルで、フロントの女性スタッフが親切にいろんなことを教えてくれました。彼女の名前はサラちゃん。アジア系スペイン人の心理学を学ぶ大学生でした。日本語も中国語も話せないけど、母国語の他に英語やフランス語やドイツ語も使って、お客様たちとも談笑しています。スイスで観光の仕事をしようとしたら4ヶ国語ぐらいできないと通用しないと、ヴェンゲンで会った日系スイス人のロープウェイの運転士さんは言ってましたが、すごいです。
世界中の人たちが訪れるスイス。国を挙げてのそのホスピタリティには感服します。そして、やはり英語力が大事だとつくづく感じました。学校で習った文法を気にせずに、頭に浮かんだ単語を並べれば話は続きますが、英語でのコミュニケーション力がもっと高かったら、もっといろんな人たちと会話ができたと思います。日本でも、近所に住む外国人の人たちや、観光で訪れる海外の人たちともっとコミュニケーションがとれれば、異文化交流ができていいだろうなあと思います。
おおきな木 杉山三四郎
夏です。「暑いですねえ〜」と皆さんお決まりのご挨拶が交わされていますが、夏なんだから暑いのは当たり前。海、山、川、プール、夏を楽しもうじゃありませんか。マスコミでは毎日熱中症警戒を呼びかけてますが、エアコンの効いた室内に閉じこもってばかりいては体が弱ってしまいますよ。そこで、暑さも笑って吹き飛ばしてくれるようなユーモア絵本の境地を切り拓いた絵本作家、長新太さんのお話をさせてください。
6月25日は長新太さんの命日でした。亡くなられてからもう20年にもなるんですね。おおきな木で『つきよのかいじゅう』(長新太作/佼成出版社)の原画展をやったのが今からちょうど30年前。長さんの大ファンだった僕は、その原画を受け取りに、佼成出版社の編集者の方といっしょに、はるばる都内の長さんのご自宅まで行ってきました。長さんの絵本には親子でハマってたので、こちらはすごく緊張して行ったんですが、気さくに応対していただけて、帰りには、長さんも所属されている漫画家の会のカレンダーやなぜかビール券までいただいてしまいました。そのビール券を使うのはちょっともったいなかったんですが、とっておいてどうなるものでもないのでビールに引き換えましたけどね。
それはともかく、僕が初めて長さんの絵本に出会ったのは長男が幼稚園のころだったと思います。妻が友だちから『キャベツくん』(文研出版)を借りてきたのです。初めて読んだときの感想は、「なんじゃこりゃ〜!」でした。それまで読んだことがある絵本に、こんなぶっ飛んだ世界はありませんでした。
頭がキャベツのキャベツくんと服を着て帽子を被ったブタヤマさん。お腹が空いたブタヤマさんはキャベツくんを食べようとしますが、「僕を食べるとキャベツになるよ!」と言います。すると、鼻がキャベツになっているブタヤマさんが空に浮かんでいるんです。いったいどこからそんな発想が生まれるのか不思議です。その後、キャベツを食べたヘビやタヌキやゴリラやらが空に浮かんでいる絵が続き、「〜が食べたら?」「こうなる!」「ブキャ!」の繰り返し。これがまた面白くて、いっとき我が家のブームにもなりました。
それまで絵本や物語の定石とされていた「起承転結」とか「行きて帰りし物語」といった展開の要素はどこにもありません。そして、ありえない色使いの絵。でも、子どもたちは大好きになり、我が家に長さんの絵本は少しずつ増えていきました。
そして、原画展もやった『つきよのかいじゅう』。山奥の湖でネッシーみたいな怪獣が出てくるのを10年も待っている一人の男の前に現れたのは…? な、な、なんと、怪獣ではなくシンクロナイズドスイミングをしている大男。その吐く息が音楽のように聞こえてきます。ボコボコボコボコ ボコボコボン…、ボコボコボコボコ ボコボコボン…、ボコボコボコボコ ボコボコボン…。すみません、この絵本の面白さを説明するのは不可能です。絵本を見ていただくしかありません。
絵本に携わる多くの人たちが指摘しているように、長新太さんは日本の絵本界に新境地を開き、その影響を受けた多くの絵本作家さんたちが今も活躍されています。没後20年を機に、長新太さんを愛する全国の出版社や書店が協賛して「哀悼フェア」を行うことになりました。数ある長さんの絵本や漫画のごく一部しか展開はできませんが、チョウシンタの世界に足を踏み入れて、暑さを吹き飛ばしてみてはいかがでしょう。
おおきな木 杉山三四郎
