本屋は未知の世界との出会いの場です

 「本屋で本が売れない時代になった」と、一年前、この欄に書いたんですが、こんな時代が来ることをおおきな木を始めたころには思ってもみないことでした。僕は本屋を始める前、サラリーマンをしてましたが、会社の昼休みや帰りの時間には本屋にはよく行ってました。ある目的の本があって行っていたのかというとそうでもなく、ただ何となく暇つぶしにうろうろしていました。そして、パッと目に飛び込んで来た本のタイトルを見て、目次を見て、本文をぱらぱらっとめくって、面白そうだと思ったものを買ってくるわけです。おそらくこういう人、多いんじゃないでしょうか。大袈裟に言うと、僕にとって本屋は、自分の好奇心を満たす場であり、未知の世界との出会いの場であり、自分の可能性を探る場でもありました。

 自分が本屋を始めてからも時々はよその書店に足を踏み入れますが、先日ふらっと立ち寄った書店で一冊の本を買ってしまいました。本屋だから仕入れ値で買えるのにですよ。でも、出会ったときに買わないと、次いつ会えるか分からない、というのが本です。面出しになって立てかけられていたその本のタイトルは、『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子著/方丈社刊)。「イタリア、トスカーナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、禁断の書、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある」と帯に書かれていて、”イタリア”、”本屋”、これにまんまと引っ掛かりました。

 著者の内田洋子さんがかつて住んでおられたヴェネツィアにある小さな古書店。「私にとってヴェネツィアの水先案内人であり知恵袋である」店。店主は四代目ですが、創業の曽祖父の出身はモンテレッジォという、今では人口が30人ほどという山奥の村であることを知り、その歴史を辿ることからこの本の旅は始まります。この村出身の人や住む人と会って分かったことは、モンテレッジオは本の行商人たちがいた村で、19世紀ごろから、本を担いで遠く何百キロと離れた町まで出かけて行き、野宿をしたりしながら露店で店を開いていたらしいというのです。その末裔たちが主に北イタリアの各地で書店や取次店を経営しているとのことで、イタリアの本屋のルーツのような村なんですね。

 ろくに字も読めなかった人たちが、どうして本を売ることで生活の糧を得ようとしたのか、著者の内田さんならずとも心が惹かれます。そして、内田さんの文章の力と見開きの左半分に載せられたカラー写真によって、今年5月に北イタリアを鉄道と船で旅した僕は、いっしょに旅に出たような気分になってしまいました。単なるノンフィクションではなく、素晴らしい紀行文です。

 この本の書評をいろんな書店員さんが書かれていますが、僕も本屋の経営者としていろいろ考えさせられました。本屋はただ本を売っている店ということだけでいいんだろうか。一人ひとりのお客さんと向き合い、心を満たせるような本を手渡して来ただろうか。リアル書店には、ネット書店とは違って未知の本との出会いや心満たす居場所としての価値があるはずです。おおきな木は来年25周年ということで、先月、ちょうどそんなことを考えながらリニューアルを試みました。陳列棚も、お客様に手にとってもらいたい本をどう見せるかを改めて考えました。そして、お客様のもうひとつの居場所としてベンチも作りました。寒い季節になりましたが、みなさん、ゆっくりと本に会いに来てください。

おおきな木 杉山三四郎