平成から令和への節目に迎える25周年

 新年号が「令和」と決まりました。賛否両論あるようですが、僕自身は、「憲法を遵守し、平和な世の中であってほしい」という思いが込められているのだ、と勝手に解釈して納得しています。昭和から平成に変わったときもそうでしたが、馴染むまでにはある程度の時間はかかることでしょう。

 年号が変わり、天皇が代わることによって、新しい時代が始まるのかというと、特に変わりはないんでしょうが、ひとつの節目であるんだという気分的なものはありますね。ラジオやテレビ、新聞などでも、平成はいったいどんな時代だったのか、といったテーマの番組がありますが、30年と数か月の時代を振り返ってみる機会を与えてくれていることには間違いありません。みなさんにとって平成とはどんな時代だったんでしょう。それは人それぞれだし、一言で言えるようなことではないんですが、ただひとつ言えるとしたら、昭和と違って戦争が全くなく、平和が保たれた時代だったということではないでしょうか。令和になっても、平和憲法が守られ、戦争によって人々が傷つくようなことがない世の中が続いていくことを願ってやみません。

 さて、話は個人的なことになりますが、平成は僕の岐阜時代です。10年を過ごした東京から岐阜に戻って来たのが平成元年。母が病に倒れ、その看病のため、勤めていた会社に転勤を願い出て、1月に名古屋の支局に単身赴任しました。昭和天皇逝去の号外を名古屋駅前でもらったのをよく覚えています。このとき、長男が5歳、長女は1か月になるかならないかというときだったので、妻は大変だったと思います。

 そして、母が亡くなったのが平成3年。しばらくサラリーマンを続けていましたが、一旦岐阜に戻ってくると、あの東京の雑踏に身を置く自分が想像できなくなり、転勤の辞令が下りる前に退職をして、10年ほど前から描いていた夢を実現させる道を選んだわけです。

 そして、平成6年5月5日におおきな木がオープンしました。25周年記念イベントに向けて、当時の記録を編集する作業をしているのですが、今も続けていることば塾や野外塾の他にも、いろんな企画を立てていたんだなあと我ながら感心しています。今はおもちゃ売り場になっている店内奥のスペースは展示コーナーになっていて、毎月絵本原画展などを行い、それに合わせて絵本作家さんを招いて講演会もしていました。でも、原画展はなかなか大変で、その割に集客にもつながらないということが分かり、数年でやめてしまいました。

 また、毎月、人形劇、腹話術、おはなしおじさん(おばさん)、手品師、ミュージシャンなどに来ていただいて、「おはなし広場」というのもやっていました。今回、平成最後の日に行うケロポンズファミリーコンサートのような親子向けコンサートや保育者向けセミナーなども毎年行っていました。こうしたイベントは満員御礼ということもありましたが、思ったほど人が集まらなくて大赤字になったこともありました。人を集めるというのは本当に難しいですね。

 前代未聞の10連休中に平成から令和へのバトンタッチが行われますが、この連休中に、10数年飲食の仕事をしてきた長男が、それまでの勤めを辞め、独立して、岐阜市内の観光地である川原町界隈で飲食店を始めることになりました。新たな時代に新たな事業を始める息子に、父として、また地域を盛り上げる同志として、エールを送りたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎