本土復帰50周年を迎えた沖縄

 僕が初めて沖縄を訪れたのは、今から41年前のこと。きっかけは旅行会社で見た1枚のパンフレット。真っ青な海の景色に「ケラマ」と書いてあります。「一体どこにあるんだろ? へえ、沖縄なんだ。行ってみたい」と、まだギャルだった妻と二人で心ウキウキで行きました。慶良間諸島の渡嘉敷島。海の青さにまずびっくり。日本にこんなところがあったんだ。もうそれだけで別世界に心を奪われてしまいました。

 そしてそれから10年後、当時働いていた団体のキャンプの運営で訪れたのが、以降病みつきになることになった座間味島。渡嘉敷の隣の島です。ダイビングショップの船でいくつかのポイントを巡り、水中眼鏡を着けて潜るとそこにはまた別世界が。数々の種類のサンゴと色とりどりの魚たち。数10メートル先まで見通せる透明度だからこそ見られる風景です。魚たちの他に僕を魅了したのは、南国の蝶々。子どもの頃から憧れていた、ツマベニチョウ、オオゴマダラ、リュウキュウアサギマダラ。こんなのが普通に飛んでいるのです。

 南国の自然にどっぷりと浸かることを目的に訪れている慶良間の島々ですが、ここは太平洋戦争の時にアメリカ、イギリスの連合軍が沖縄に初上陸した場所でもあるんですね。年表によると、1945年3月26日のことです。座間味島は今でも、「集団自決の島」として記憶されていますが、多くの村民が犠牲になりました。やがて、連合軍はそこから沖縄本島へと侵攻し、約3か月間にわたる沖縄戦が続くことになります。沖縄戦では、軍人の数よりはるかに多い民間人が犠牲になっていますが、その数は県民の4分の1に相当するそうです。

 『なきむしせいとく──沖縄戦にまきこまれた少年の物語』(たじまゆきひこ作・絵/童心社)という絵本が最近出ました。せいとくは国民学校の2年生。1945年3月終わり頃からアメリカ軍の攻撃が始まり、母と妹の3人で本島の南方へ逃げます。父と兄は軍隊に取られ、母は逃げる途中、アメリカ軍の艦砲射撃に遭って亡くなり、妹とは離れ離れに。いつの時代も戦場は地獄だと思いますが、この絵本は沖縄戦の悲惨さを生々しく伝えています。ガマ(洞窟)に避難しているときに、泣き出した赤ちゃんが日本兵に殺されるという場面もありますが、日本兵の手によって殺されたり、自決を強要されたりした民間人が多数いたのも沖縄戦です。

 そして、戦争が終わり、沖縄は1972年までアメリカの統治下に置かれ、東アジアの軍事拠点としての役割を果たしました。今年5月15日に沖縄本土復帰50周年を迎えましたが、米軍基地は今に至るまで残ったままです。もし戦争が起きたとき、基地があるということはまず敵の攻撃対象になるわけですから、「平和の島」というにはほど遠い状態です。

 沖縄は現在日本の県のひとつですが、昔は琉球という名の国でした。日本やアジア各国との交易が盛んで、中国や東南アジアの文化もごっちゃになった独自の文化を育ててきました。沖縄に行かれたことがある方はご存知だと思うのですが、日本の他の県にはない、どちらかというとベトナムや台湾などの雰囲気を感じます。南国の自然だけでなく、町の風景、食べ物、音楽などに触れても異国情緒が味わえるのも沖縄の魅力です。

 最後になりましたが、『琉球という国があった』(上里隆史 文、富山義則 写真、一ノ関圭 絵/福音館書店)をぜひ紐解いてください。ほんの少しですが、沖縄の歴史を知ることができるお手頃な本だと思います。

おおきな木 杉山三四郎