いくつになってもフォークソング魂で

 今年3月、70歳になってしまいました。古来稀(まれ)なる長寿で、「古希(古稀)」といわれる歳です。

 ということで、昨日(4/23)、おおきな木2階で「杉山三四郎KOKIコンサート」を行いました。節目の年の記念にしたいという思いから、全曲僕のオリジナル曲で、5人のミュージシャンを迎えての豪華ライブを企画したわけです。5人のうち2人は、いつもサポートをしてくれているキーボードとベースですが、昨日はそれにサックス、ギター、パーカッションの3人が加わり、僕のオリジナル曲がじつにきらびやかなサウンドで生まれ変わり、絵本ライブでおなじみの『ぶきゃぶきゃぶー』なんかもすごいことになってました。全員が集まってのリハーサルは一度だけだったのですが、初めて聞く歌にバッチリ演奏を決めてくれるとこは、さすがはプロのミュージシャン。会場を埋めたお客様にもいっしょに歌っていただいたり、しんみりと聴き入っていただいたりで、楽しんでいただけたのではないかと思います。「入場料が安すぎる」というクレーム(?)もいただきましたが、集まってくれた皆さんに感謝です。

 話はずいぶん遡りますが、僕と音楽の出会いはいつだったのかなあと考えてみました。記憶にある初めての出会いは小学1年生。クラスの担任が音楽の先生で、授業で作曲を教えてくれたのです。4小節ぐらいの短い歌を作って楽譜に書く、という授業でした。このときに作った歌は今でも口ずさむことができます。ですが、その後音楽とはあまり縁がなく、どちらかというと小学生時代は昆虫採集の方にハマってました。

 ところが、中学生になって、音楽室で催された「レコードコンサート」で聴いた歌が心を揺さぶりました。そのころアメリカで流行っていたフォークソングで、ピーター・ポール&マリー(PPM)の『花はどこへ行った』『悲惨な戦争』などの歌です。英語の歌詞なのでその時は何を歌っているのかはよく分からなかったんですが、後になってそれらは反戦歌だったということを知りました。当時アメリカはベトナム戦争を続けていて、反戦歌の名曲がたくさん生まれました。クラスのHRでもみんなで歌いました。僕も貯金をはたいてギターを買い、学校に持っていったりもしました。

 高校時代には岐阜市内でもフォークソングのコンサートが開かれるようになり、高石ともや、高田渡、中川五郎、加川良、岡林信康などを聴きに行きました。フォークソングというのは、「世の中に対して言いたいことがあれば誰でも自由に歌っていいんだ」というひとつのウエーブで、それに僕もハマりました。僕も友だちとバンドを作り、作詞・作曲もし、文化祭で歌いました。大学でもフォークソング同好会に所属してましたが、ザ・フォーク・クルセダーズ、五つの赤い風船、かぐや姫、井上陽水、そして、PPM、ボブ・ディランなどの歌やオリジナル曲をコンサートで歌いました。

 その後、就職、結婚などを経て、人前で歌うことはほとんどなくなってしまいましたが、今の仕事をするようになってからはそんな機会もできるようになって、また歌をつくり始めました。そして昨日、「愛と平和を叫ぶ!」と銘打ってフォークソング魂(?)で歌いました。バンドのメンバーやお客様から感動しましたと言っていただけましたが、一番楽しんでいたのは僕自身だったことは間違いありません。

※今回は、若い方には聞いたこともないミュージシャンの名前が羅列されてますが、どうぞお許しくださいませ。

おおきな木 杉山三四郎