ノーモア•ウォー、ノーモア•ヒバクシャ

 あけましておめでとうございます。

 2025年(令和7年)は昭和100年、そして戦後80年の年になります。戦争、そして破滅へと突き進んでいった昭和初期。自由にものが言える時代ではありませんでした。そして終戦によってガラリと変わった価値観。一人一人の命こそがかけがえのないものとなりました。それから80年、私たちの国は平和憲法に守られ、国家権力による武力行使によって誰一人殺すことなく、殺されることなくここまで安全が守られてきました。

 でも、まだまだ戦後は終わっていません。2024年のノーベル平和賞に日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれました。被団協は、原爆投下から11年を経た1956年に、広島、長崎で被爆された方々を中心に結成された団体ですが、今日に至るまで、自身の被爆体験をもとに、二度と核兵器が使われることがあってはならないと世界に向けて発信し続けてこられました。この68年間にわたる核廃絶に向けた活動が評価され、ようやく平和賞受賞となりました。

 この被団協の平和賞受賞を受けて、11月に、生まれて初めて広島に行ってきました。広島駅から路面電車に乗ると、平日の昼間なのに満員です。ほとんどが観光客で、いろんな言葉が聞こえてきます。市内の道路は広々としていて、商店街も賑わっています。お昼にお好み焼きを食べようと有名店に行くと行列です。でも、初めての広島風お好み焼きにはありつけました。

 そして、目的の原爆ドーム、広島平和記念資料館などに行きましたが、ここではさらに人が溢れています。修学旅行の観光バスがずらっと並び、小学生から高校生までが団体で訪れています。それ以外は外国人が8割ほどを占めていて、中でも欧米人が多かったです。

 記念資料館に入るとまず目の前に現れるのが焦土と化した広島の町のパノラマ写真。実際にここまで広島の街を歩いてきたので、その大きさが実感できます。長さ3mのたった1発の原子爆弾がこれだけの街を焼き尽くし、約14万人(原爆投下からその年の末までの死者数)の命を一瞬にして奪ったわけです。そして、その被害は68年経った今でも、被爆者の子孫にまで影響を及ぼしています。広島を訪れる各国の観光客の方々が核兵器の恐ろしさを胸に焼き付けて、被団協の方たちが訴えておられる核廃絶に向けての思いを共有してもらえたらと思いました。そして、これを機に、アメリカが原爆投下の非を認めることや、日本政府が核兵器禁止条約に参加することに歩を進めてもらいたいと思います。

 そして、目を中東に向けてみると、イスラエルによるガザのパレスチナ人大量虐殺が続いています。イスラエルはナチス・ドイツによるホロコーストを生き延びたものの難民となったヨーロッパのユダヤ人約25万人の生きる場所として建国された国家ですが、元々そこに住んでいたパレスチナ人は家を奪われ、命を奪われ、今のガザやヨルダン川西岸に閉じ込められて自由を奪われています。2023年10月から続いている爆撃でガザに住むパレスチナ人の90%が難民となり、その避難所となっているテントや病院、学校にまで爆撃を加えています。ホロコーストで600万人が虐殺されたユダヤ人ですが、その末裔の一部がパレスチナ人を差別し、大量虐殺を行なっている。いったいどう理解したらいいんでしょう。

 新年早々明るい話題でなくて恐縮ですが、この節目の年に、被団協の方々と共に、No more war.  No more

Hibakusha. の声を上げなければと思います。

おおきな木 杉山三四郎