野外塾には時間割も「めあて」もありません

 先日、おおきな木では、新春恒例「初笑いさんしろう絵本ライブ」を行いました。バンド編成で行う豪華版で、毎年大勢の人たちが来てくれますが、今年も盛況でした。そのライブに、小学生の頃「おおきな木野外塾」に参加していた女の子が、三人の男の子のお母さんになって来てくれて、大感動。野外塾もおおきな木発足と同時に始めたので、この春で丸23年ですから、ときにはこんなこともあるわけです。

 いろんな思いがあって始めた活動でした。子どもは小さな大人ではない。子どもは子どもでちゃんとひとりの人格を持っている。そんな子どもたちが自由でいられる場所を作りたい。また、大人も子どももいっしょに感動し、楽しい思いを共有できる場所でもありたい。そんな場所を、僕が関心を持っていた「自然」と「ことば」という二つの切り口で用意したわけですが、それが「野外塾」と「ことば塾」だったのです。野外塾では、僕がサラリーマン時代に関わっていた大規模なキャンプではできなかったことをいろいろ企画しました。でも、あくまでも一人ひとりの子どもが主人公ですから、課題を与えるようなことはしたくない。分かりますか、これ。たとえば、学校の宿泊行事などを例にとると、まず時間割があって、決められた課題を全員がやらなくてはいけません。勝手な行動は許されません。そして、何をやるにも「めあて」があって、その達成度が評価の対象になったりします。

 野外塾ではその真逆。時間割もめあてもありません。集合時刻と活動するフィールドは決まっていますが、そこで何をするかはみんなの自由です。岐阜市内の森に僕たちの「秘密基地」があり(といっても何か施設があるわけではなく、ただ「自然」があるだけですが)、ブランコやロープコースを作ったり、山野草をとって焚き火で料理したりと、まあ、いろんなことを用意してはいきますが、ある子は虫採りに夢中になっているし、ある子はスコップで穴掘りをしているし、鬼ごっこで走り回っている子もいれば、一日中焚き火の周りでおしゃべりしている子もいるという状態です。お昼のお弁当もみんな好きな時間に勝手に食べています。要するにみんなバラバラ。でも、退屈している子はほとんどいないというのが野外塾のすごいところで、いつも感心して子どもたちのことを見ています。どうしてなんでしょうね?

 まず、場の力があります。人工的に作られたものは何もなくても、自然の中には子どもたちの好奇心をくすぐるものが無数にあるわけです。野外塾の基本は「放し飼い」。野に放たれた子どもたちはみんな自分に合った居場所を見つけています。「野力」という造語を作りましたが、子どもは野の力で育つんですね。

 そしてもうひとつは、仲間の存在でしょうね。学校の活動だと、全員で力を合わせて何かを達成することが重視されますが、野外塾では気が合ったもの同士が力を合わせて落とし穴や隠れ家を作っていたり、トカゲを追いかけていたりという光景があります。大人の手が必要になると、「三ちゃん、三ちゃん!」と飛んできたり、近くにいる誰かの親に手伝わせたりということもあります。そんなことをしながら、年齢の壁を超えて友だちもでき、子ども同士でいろんなことを学び合っていってるんでしょうね。また最近では、子どもだけでなく、大人も含めた大家族のようになっています。こうして、子どもは群れで育っていくんです。 

おおきな木 杉山三四郎