「ふつうの子」なんて、どこにもいない

 おおきな木では、26年前、オープンと同時に、「ことば塾」と「野外塾」という二つの塾を始めました。塾といっても、決まったカリキュラムをこなす学習塾のような塾でもなければ、お稽古ごとでもありません。何をやるのかというと、「一人ひとりの子どもたちが、自分が楽しいと思えることを見つけて過ごす」、たったこれだけです。でも、これでは何をやっていいのか分からないので、子どもたちが「楽しい」と思えることをいろいろと用意します。そのいろいろある中から、楽しそうなことを選べばいいし、それ以外のことをやっていても構わない、というわけです。だから、大ウケすることもあれば空振りに終わることも時にはあります。大人の側から子どもに対して、ああしろこうしろと強要することが多い日常ですが、ここではあくまでも「子どもが主人公」なのです。

 では、彼らが通う小中学校ではどうでしょう。時間割があって、学習内容が決まっていて、違うことをしていたら叱られます。おまけに服装やあいさつの仕方まで細かく決められていたりで、どんな子も一斉に同じことをしなくてはいけません。少なくとも日本の学校ではこれが当たり前です。この当たり前についていけない子は不登校になるしかない。そういう仕組みです。

 今、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)という本を読んでいます。2006年に大阪市住吉区に創立された公立小学校の校長を9年間務められていた木村泰子さんが書かれた本です。この小学校の名は大空小学校。全国各地で自習上映されている「みんなの学校」という映画にもなった小学校です。

 「授業は椅子に座って受ける」、これは日本の学校では当たり前のように思われてるけど、今どき椅子に座れない子なんて「ふつうに」いる。座れない子は「変わった子」という風に思われてしまうけど、「座るのが当たり前」という既存の学校文化をまず問い直すべきでは、という問題提起があります。

 なかなか大胆な提起ですが、野外塾の子たちを思い浮かべると、「椅子に座れない子」がたくさんいます。集合場所で僕が話をするとき、ちゃんと聞いて欲しいと思ったりするんですが、みんなばらばら。ちょっとつまらない話になるとどこかに行ってしまう子もいます。野外塾ではこれが「ふつう」なんですね。

 そして、山の中の秘密基地に向かい、一日を過ごしてきますが、みんなそれぞれ好きなことを見つけて遊んでいます。着く早々お弁当を食べ始める子、ロープで遊ぶ子、焚き火に夢中になる子、虫とりをしてる子、鬼ごっこをする子、隠れ家を作って出てこない子、……。でも、退屈してる子はほとんどいません。それだけ自然の中には子どもの興味をそそるものがあるとも言えます。そして、子どもは群れで遊ぶのが大好きです。知らない子同士でもその場で気が合って遊んだり、ときには喧嘩になったり、なんてこともあるわけです。

 野外塾の塾生や親たちから、「野外塾には変な子が多い」などと冗談か真面目か分からないような感想をいただいたりしますが、それは、「みんながありのままでいられる場所である」ことへの高評価なんだと思っています。野外塾で育っていった高校生や大学生たちが、自分たちが「ヘンな子」や「ヘンな奴」であることに誇りを持ってますからね。そう、「ふつうの子」なんてどこにもいません。どの子もみんな「変わってる子」。それでいいじゃありませんか。

おおきな木 杉山三四郎