春の妖精ギフチョウに魅せられて

 皆さんはスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)という言葉をご存知でしょうか? 直訳すると「春の儚きもの」となりますが、日本語では「春の妖精」と普通呼ばれています。春真っ先に一面に可憐な花を咲かせたと思ったら、1〜2週間後にはすっかり姿を消してしまう、そんな植物たちのことで、その儚さゆえにそう呼ばれているのです。

 その代表的な花といえば、やはりカタクリではないでしょうか。そして、もうひとつ、僕自身が子どもの頃から馴染みがあるショウジョウバカマ。岐阜市内でもちょっと山に入れば見ることができます。この2つの花が特別な意味を持つ訳が実はあって、どちらもギフチョウが吸蜜に訪れる花だということです。

 スプリング・エフェメラルというのは、植物だけでなく、ギフチョウのような春限定で姿を現す蝶たちのこともそう呼ぶことがあります。ギフチョウの他に、ミヤマセセリ、コツバメ、ツマキチョウなどがいますが、いずれも儚げな蝶々たちです。これらも桜の咲く時期に成虫となり、その後姿を消してしまうのです。

 さて、その春の妖精ギフチョウですが、僕が初めて出会ったのは小学生のころ。蝶好きの同級生たちと春になると谷汲(現在は岐阜県揖斐川町谷汲)とか、岐阜市内の三田洞とか逹目洞(だちぼくぼら)に、虫採り網を持って出かけました。谷汲は今では採集禁止になっているみたいですが、当時はそういう規制はなく、子どもだけで名鉄谷汲線に乗って行き、どこかから仕入れた情報によるポイントで採集をしました。腐葉土の萌える匂いに包まれた開けた里山の道を歩いて行くと、ひらひらと舞い降りてくる白っぽい蝶。それがギフチョウだと判ると、もう胸はドキドキでした。興奮しながら網に入れることができたのはほんの数頭だったと思うのですが、家で展翅坂に翅を広げているときは幸福感に満ち満ちていたわけです。

 十代半ばともなると、蝶への興味は失せてしまうのですが、やがて家庭を持ち、子どもが成長していっしょに昆虫採集をするようになると、また火が着きました。大人になると機動力がありますから、いろんなところに行けます。ですが、ギフチョウだけは子どもの頃に行った場所にも出かけて行きます。卵の採集もし、飼育もしました。幼虫になると食草のカンアオイをよく食べるので、その採取がなかなか大変でした。その飼育個体は標本箱にずらーっと並んでいますが、今では標本にする根気もなくなり、もっぱらカメラに収めるところまでなんですが、興味は尽きません。

 こんな憧れのギフチョウの生態を絵本にしている人がいます。舘野鴻(たてのひろし)さん。カンアオイの葉の裏に産み付けられた10個の卵。それが孵化して黒い毛むくじゃらの幼虫になって、やがて蛹になり、翌年の春までおよそ10か月間をずっと雑木林の落ち葉の下で暮らす。そんな様子を細密な絵で描かれています。卵から成虫になるまでには、アリやオサムシやネズミやモグラなどに食べられてしまうので、100個の卵から成虫になるのはわずか2〜3匹なんですね。

 舘野さんの絵本は、『ぎふちょう』(偕成社刊)に続いて、『つちはんみょう』『しでむし』『がろあむし』が出ましたが、『ぎふちょう』はともかく、あとはマイナーな虫たちです。でも、そこには壮絶ともいえるミラクルなドラマがあるんです。3月27日、ギフチョウのシーズンに舘野さんがおおきな木にやってきますよ。

おおきな木 杉山三四郎