誰もが自由にものが言えること

 ♫ 戦争が終わって 僕らは生まれた

   戦争を知らずに 僕らは育った

 

 これは、1971年にリリースされて、若者たちの間で大ヒットしたフォークソング「戦争を知らない子供たち」(北山 修 作詞、杉田二郎 作曲)の歌い出しです。大学のフォークソング同好会に所属していた僕も、仲間たちといっしょによく歌ってました。

 戦争を知らずに育って…、「だから、どうした」と若い人たちから突っ込まれそうですが、当時、戦争を経験している世代かどうかで一つの境界がありました。僕の親たち世代はみな戦争体験者です。父はなんと16歳で志願兵として従軍していたらしく、偵察機に乗っていて米軍の戦闘機に追いかけられたけど何とか逃げ延びたんだという話をしていたことがあります。

 1945年7月には、岐阜市も米軍のB-29による空襲に遭っていて、母は、炎に包まれる岐阜駅や柳ヶ瀬を眺めていたという記憶を語ってくれたこともあります。

 町は焼け野原になって、食糧難の時代を生き抜いてきた親たち世代からしたら、僕たち「戦争を知らない子どもたち」は、何の苦労も知らずにのほほんと生きている若者たちだったんでしょうね。

 そして、戦争が終わって、世の中の価値観がガラッと変わりました。それまでは、「国民」とか「民主主義」といった言葉はほとんど存在しなかったんじゃないでしょうか。「戦争反対」などと叫べば、非国民として捕らえられたりもした時代です。それが、終戦を境に、徐々に、「誰もが自由にものが言える時代」へと変わっていったのです。

 

 ♫ 若すぎるからと許されないなら

   髪の毛が長いと許されないなら

   今の私に残っているのは

   涙をこらえて歌うことだけさ

 

と歌は続きますが、戦争を知らない僕らの世代は、心のどこかに戦争体験者に対する負い目のようなものと反発心もあったように思います。でも、それで何が悪いんだ、みんなでいっしょに笑顔で生きて行こうよ、というメッセージがこの歌にはあって、それに共感した若者たちは、長い髪を振り乱し、ギターをかき鳴らしながらこの歌を歌っていたわけです。そして、ちょっと大袈裟かも知れませんが、このパワーが新しい文化を生み出すことにも繋がっていったんじゃないでしょうか。

 今、ウクライナでは、ロシアによる非人道的な侵略戦争が続いていますが、ふと思ったことがあります。もしも、ロシアが「誰もが自由にものが言える国」であったら、こんな戦争を起こしていただろうかと。

 ロシア国内でもウクライナ侵攻に反対する声はかなりの数で上がっているようですが、戦争反対を叫ぶ人たちは政府当局の手で逮捕されてしまいますから、とても自由にものが言えるような国ではありません。プーチン政権の支持率は相変わらず高いようですが、それは、ロシア国民が得られる情報源は国営テレビのみで、それ以外は規制されていますから、さもありなんですね。大本営発表のラジオや新聞の情報しか国民の耳や目に届かなかった戦時中の日本と同じです。

 「独裁者はいずれ悲惨な最期を遂げる」、そう僕は信じたい。そして、日本がいつまでも「誰もが自由にものが言える国」であってほしいとつくづく思います。

 

おおきな木 杉山三四郎