民主主義国家で、今なぜ「国葬」?

 あれは七夕の次の日だったでしょうか。とんでもないニュースが飛び込んできました。安倍元首相が参議院選挙の応援演説中に銃撃された、と。銃規制が厳しい現代の日本でこんな事件が起きるとは…。どんな理由があろうと、こうしたテロ行為や武力行使は決して許されるものではありません。銃撃された安倍元首相は意識を失い心肺停止となり、その日の夜に死亡が確認されました。改めてご冥福をお祈りいたします。

 そして、その数日後。またまたとんでもないニュースが飛び込んできました。「安倍元首相を国葬に」。耳を疑いました。いったいいつの時代の話だ。時代錯誤も甚だしい! 大勢の識者の方が続々と反対声明を出されていますが、僕もほとんど同様の理由で「とんでもない」と感じました。一言で言えば、これは民主主義に反する行為なのではないのか、と言うことです。

 そもそも国葬というのは戦前にあった制度で、1947年には制度として廃止(国葬令の失効)されています。しかし、僕が中学校の時に吉田茂元首相の国葬がありました。吉田氏の国葬も多くの反対運動があったにもかかわらず強行されたわけで、学校では担任の先生が吉田茂がどんな人物だったのか、その功罪を説明してくれ、意には沿わないけれど「黙祷をしましょう」となりました。多分国からのお達しには逆らえなかったんでしょうね。それ以降、国葬は行われていません。

 どんな政治家であれ、功もあれば罪もあり、その評価は国民からしたら皆違うわけです。安倍さんを高く評価する人もそりゃあ大勢いらっしゃるでしょう。その人たちからしたら、偉大な業績を称えて、国を挙げて故人を悼みたいと思われるかもしれません。しかし、全く評価できないと思う人も大勢います。それを半強制的に「故人を悼みなさい」というのは国家主義の最たるもので、民主主義には全くそぐわない行為です。

 岸田首相は言います。安倍氏は長年首相を務めてきたと。確かに、彼は自民党独裁政権を樹立した立役者で、党にとっては大変な功労者ですから、自民党葬にするというのなら理にかなっています。しかし、国葬の費用は全額国費負担。つまり国民の税金で行うわけです。

 安倍元首相は森友問題に始まり、加計、桜を見る会などの疑惑に対し、まともに説明することなく、国会において散々嘘をつきまくってきた政治家です。そんな人間の葬儀に税金を使って欲しくありませんし、黙祷を捧げる気持ちになど到底なれません。岸田首相は、「安倍元首相を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く」と国葬の意義を唱えていますが、日本が民主主義の国家だとおっしゃるのなら、一人の人間を特別視し、国民の心を一つにまとめる「国葬」などするべきではないと思います。

 安倍氏を撃った山上容疑者は、安倍氏が旧統一教会と深い関係があると思ったと動機を語っています。統一教会といえば、霊感商法や合同結婚式などで世間を騒がせた怪しい宗教団体です。彼の母親はその信者で、私財を投げ打って1億を超える寄付をし、自己破産をしていたとのこと。この旧統一教会の関連団体の集会に安倍氏はその活動を称賛するビデオメッセージを送っていて、それを容疑者が見たことが今回の動機につながっているようです。今回の事件でまた新たな安倍氏の疑惑が浮上してきました。国葬は疑惑隠しなのでは、という憶測も飛んでいますが、本人が死んだからと言って、数々の疑惑が闇に葬られてはならないと強く思います。

おおきな木 杉山三四郎