ゴリラに学んでほしい為政者たち

 最近の新聞やニュースを見ていて、今の世の中って「愛のない世界になってしまったなあ」とつくづく思います。そこで、こんな歌を書いて歌ってみました。

 

  愛するということは

  人の痛みがわかるということ

  愛するということは

  人を不幸にさせないということ

  愛するということは

  力を見せつけることではなく

  愛するということは

  差別のない思いやる気持ち(後略)

 

 石油を手に入れたいからと言って、ベネズエラやイランの国土に踏み込んで、破壊し殺戮する。その結果、世界の経済が大混乱。こんなことが許されている世界が恐ろしくなります。この極悪人の行動を止めることは誰もできないのでしょうか。この無法者を大統領に選んでしまったのはそもそも誰ですか?

 我が国の高市早苗内閣は、武器輸出に関するこれまでの規制を撤廃して、殺傷能力がある武器の輸出を解禁しました。高市氏は「武器を輸出して強い経済を作る」と言ってますが、武器を売って儲かるのは誰ですか? 金儲けのためには人の命なんかどうでもいい、という発想は彼の国の極悪人と同じです。こんな政権を選んでしまったのはそもそも誰ですか?

 今、ゴリラ研究の世界的権威の霊長類学者 山極寿一さんの『ゴリラの森で考える』(毎日新聞出版)という本を読んでいますが、そこに興味をそそる記述がありました。

 サル類は社会的集団の中で生活しているのはご存知の

通りですが、ニホンザルの社会では体が大きい優位なサルが力を誇示して食物を得て、劣位のサルはその力の前に引き下がるしかないという行動をとるのに対して、ゴリラの社会では、体の大きなシルバーバックと呼ばれる優位のゴリラは小さなゴリラに食物を分け与えるという行動をとる、というものです。

 ボスとリーダー、この違いは何でしょう。ボスは力を誇示して相手を屈服させる存在で、ニホンザルはこれ。しかしゴリラは力だけでは群れを率いることはできなくて、メスや子どもの安全を守って群れの信頼を得なければならないのだそうです。また、ゴリラは平和的な行動を好み、シルバーバック同士が一触即発といった状態になったとき、若いゴリラが間に入って仲裁し衝突を未然に防いだという行動も見られたそうです。

 ゴリラに人間のような「愛」があるのかどうかは分かりませんが、今、平和な社会を危うくしている為政者たちはゴリラに学んでほしいと思います。自国第一主義を掲げる彼の国の大統領、「強い国」を掲げる我が国の首相。どちらも強さを誇示するボスであってリーダーとはとても言えません。同じ空の下に暮らす人々みんなの幸せを考えるのがリーダーであって、自分さえ良ければいいという考えとは相反します。

 武力で平和を守るという「抑止論」というのは、強さを誇示して相手に攻撃を躊躇させるというものですが、その行き着く先は核武装です。高市政権が掲げる「強い国」とは一体何なのか。だんだんと化けの皮が剥がれてきましたが、それでも日本国民は「強い国」を望んでいるのでしょうか。それよりも「愛のある優しい国」であってほしいと思いませんか?

おおきな木 杉山三四郎