意味不明の解散、不可解な総選挙

 選挙が終わりました。そもそも今回の選挙はいったい何のための選挙だったんでしょう。そんな空虚感だけが残ってます。

 アベ軍団の殿様のツルの一声で突然解散。消費税増税分の使い道を変えたいから国民の審判を受ける? 国会の場で全く議論もされていないのに、えっ、なんでなんで? 北朝鮮のミサイル攻撃をどうするか。だから選挙? 悪いけど、意味がさっぱり分からん。

 そのアベ軍団の攻撃に立ち向かわんと準備を始めていたコイケ軍団。突然の解散に大慌てで旗揚げ。人気絶頂の女城主コイケ姫にあやかってすり寄ったのがマエハラ軍団。始めは大きな勢力になると民衆の注目を浴びたものの、「わたしの言うことを聞かない人は排除します」と恫喝されて、マエハラ軍団はいきなりつまづいて内部崩壊。踏み絵を踏めず排除された輩が続出し、それならばとエダノ軍団を旗揚げ。結果、なんとコイケ軍団を上回る勢力にはなったものの、圧倒的勢力を誇るアベ軍団が、弱小軍団の混乱に乗じてさらに勢力を増し、圧勝を許すことになった。

 とまあ、今回の選挙は簡単に言えばこういうことですが、やっぱり分からないのは、内閣不支持率が支持率を上回っていると言うのに、自民党が圧勝するということですね。集団的自衛権を認める安保法を強行採決した時とか、森友・加計問題でいい加減な答弁を繰り返していたときとかに支持率がぐっと落ちているわけだから、国民は選挙の時にちゃんとその意思表示をすべきだろうと思うのですが、できない人がたくさんいるんでしょうね。そして、他に入れるところがないからという声もあります。だから、長いものに巻かれておけばいいって考えるんでしょうか。

 また、今回は台風が直撃し、神風が自民党に吹きました。台風のせいで投票率は伸びず、戦後最低の前回をわずかに上回っただけ。出口調査で支持政党なしと答えている人の投票先は「立憲民主・共産・社民」がトップで、無党派層にはリベラル志向があると見られているだけに、低投票率は与党有利に働くわけです。

 また、比例区における自民党の得票率は30%そこそこ。なのに、三分の二近くの議席を得てしまうという小選挙区制はやっぱおかしいと思います。

 しかし、結果は結果として受け止めなくてはいけないのですが、あんなに安保法制に反対していた民進党議員の多くが踏み絵を踏んで寝返ったせいで、改憲勢力がグンと増えてしまいました。スケジュールありきではないと安倍さんは言ってますが、北朝鮮の脅威を口実に9条の改悪に手をつけ始めることは間違いないわけで、それこそ脅威です。今まで、アメリカの同盟国でありながら、アメリカが仕掛けて来た戦争に日本が軍隊を送ることなく来られたのは、9条が歯止めになっていたからだし、戦後72年、日本人は戦争に巻き込まれて誰ひとりとして殺されることなく、誰ひとりとして殺すことがなかったのは、「二度と戦争はしない」と誓った日本国憲法のおかげです。軍事力では国を守ることはできなかったという歴史から学んだ憲法なのです。なのに、今国民が長いものに巻かれていたら、その教訓も忘れ去られてしまいますよ。

 最後に安倍さんにお願いです。戦争をしないためにはまず敵を作らないこと。そして簡単に怒らないこと。北朝鮮の挑発に乗せられて頭にきているトランプさんに、ぺこぺこ頭を下げてついていかないでください。

おおきな木 杉山三四郎 

「平和って、戦争をしないこと」では…

 最近、ずっと考えている素朴な疑問があります。それは、「平和ってなんだろう?」ということです。ひと言で言ってしまえば、「平和って、戦争をしないこと」ですよね。だとすれば、武力によって平和を守るという考え方は、そもそも論理矛盾を起こしてるのではないかと。平和を守るためだとか、自国防衛のためだとかという理由であっても、武力を使った時点でアウトです。武力行使で人が死ねば、もう平和とは言えないでしょ。

 日本国憲法第9条には、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄しますということと、そのための戦力は持たないし、交戦権も認めません、と書いてあります。国家間でもめごとがあったときには、武力によるのではなく、話し合いで解決しなくてはいけないということです。武力ではなくて「言葉の力」を信じようというのが9条の精神でしょうね。

 ところが、あの「積極的平和主義」を唱える安倍総理は、この部分(第9条第1項、第2項)は変えずに、もう1項を加えて、自衛隊を明記すると言っていますが、軍隊として位置付けるわけにはいかないわけだから、これも論理矛盾を起こすことになるんじゃないかと。いったいどうするおつもりなのでしょうか?

 最近、もうひとつ不可解なのが、北朝鮮によるミサイルや水爆実験。核を持つということが、なぜ自国の利益につながるのか、いろいろ想像力を巡らせてみてもよく分からないし、なぜあんなにアメリカを敵視するのかもよく分かりません。トランプ政権になってからミサイルがよく飛ぶようになってきましたから、ただ、トランプが嫌いなだけではないのかと…。

 一方、アメリカだって、核を持っているくせに平和の説教をしているとはおかしな話だし、インドやパキスタンの核保有については何にも言わないのに、何で北朝鮮はダメなのかもよく分からん。

 ま、それはともかく、要するに北朝鮮がやっていることは挑発行為でしょ。そんなの放っておけばいいのにと僕なんか思いますが、どうなんでしょう? その挑発に対して、トランプはそれこそ犬の遠吠えのように吠えまくるもんだから、金正恩はますます踏ん反り返っているような雰囲気です。テレビのニュースを見ている限り、ちびのロケットマンと言ってみたり、老いぼれジジイと言ってみたり、二人の罵り合いはほとんど子どもの喧嘩と同じですよね。もうこうなったら、ロケットマンと老いぼれの一騎打ちでもやったらどうでしょう。

 しかし、そんなのは戦国時代の話であって、現代の戦争においては、戦争を始めるのは富裕層、戦場に送られるのは貧困層。犠牲になるのは一般市民。北朝鮮のミサイルもどこに落っこちてくるか分かりませんから、穏やかではありませんが、もっと怖いのは、挑発に乗せられてアメリカが軍事行動をとることです。そうなったら日本も巻き込まれることになるのは必至。先日、国連総会の折、安倍さんも「対話ではなく制裁」だ、どこまでもトランプさんについていきますよと、「トランプべったり宣言」をしてますから、本当に怖いです。

 ところで日本の国会。またまた根拠不明の衆議院解散と総選挙。野党がごちゃごちゃしている今をチャンスとばかりに夜討ちをかけようという魂胆見え見え。とはいえ、国民としてはしらけてばかりもいられません。今こそ「NO!」を突きつける時です。何を? もちろん、「戦争 NO!」です。平和=戦争をしないこと。この当たり前のことをしっかり胸に刻んでおきましょう。

おおきな木 杉山三四郎 

沖縄。ここは本当に日本なんだろうか

 今年もあっという間に夏が通り過ぎて行きました。毎年のことですが、おおきな木野外塾では4つのキャンプがあり、その合間を縫って絵本ライブの公演をしと、イベントに追われて超多忙の日々を過ごすというのがここのところの僕の夏です。今年はおまけに、訳あってお盆の時期に親戚が我が家にドドっと押しかけ、滞在するという騒ぎもあり、本当に怒涛の毎日でした。

 そんな今年の夏のイベントの最後となったのが、野外塾の「沖縄ざまみツアー」。慶良間諸島の座間味島で2泊し、那覇に戻って1泊というスケジュールです。

 毎年訪れる座間味島ですが、あの青く透き通った海を見ると心が洗われます。那覇から高速船で1時間ほどの距離なのに、本島とは比べものにならない美しさです。青い海、青い空、白い雲、白い砂浜。海に潜れば、色鮮やかな魚たちと珊瑚などの海洋生物の数々。これぞ、美ら海(ちゅらうみ)。虜になった大勢のダイバーたちがこの島を訪れます。しかし、この島にも暗い過去があり、太平洋戦争末期には地獄と化した悲惨な歴史を持つ島でもあることも忘れてはいけません。島にはその歴史を刻む平和の塔があり、村長や助役を始め、大勢の島民が集団自決で命を絶ったことが記されています。

 今回の野外塾のツアーは、この島で海を堪能し、那覇で沖縄の文化に少々触れてみる旅でしたが、毎回思うのは、本当にここは日本なんだろうか、ということです。公用語は日本語かも知れませんが、独特な沖縄言葉(ウチナーグチ)がある。食べ物も独特な沖縄料理がいっぱいある。酒といえば泡盛だし、ビールといえばほとんどがオリオンビール。音楽は三線で唄う島唄。顔つきもウチナンチュは独特です。元々、遠く海を隔てて、内地とは違う歴史を辿ってきてますから、違う文化がある

 

のは当たり前なんでしょうけどね。

 また、昔からの伝統を大事にすることが文化を守ることのように一般的には思われますが、その考え方はちょっと違うということが沖縄にいると分かります。たとえば島唄とも呼ばれる沖縄民謡。昔から歌い継がれているものばかりだと思っていましたが、沖縄の知人に言わせれば違うんです。「沖縄のみんなに歌われるようになったら、それが沖縄民謡なんだ」って。だから、今のプロの歌手が歌っている新しい歌でも、ウチナンチュに愛されて、みんなが歌うようになったら沖縄民謡といえるんですね。そこがすごいって思いました。

 さて、沖縄を訪れる人たちが一度は足を踏み入れるのが那覇の国際通りですが、今やその名の通り、外国人観光客ですごいことになっています。店の案内表示は、日本語の他に、英語、中国語、韓国語で表記され、店員も簡単な会話は心得ているようです。その国際通りから一歩市場に足を踏み入れると、そこはほとんど東南アジア諸国の市場と変わらない風景が延々と続きます。物価も安くて、食べ物がとにかく安い。沖縄そばはだいたい300〜500円が普通。300円前後で手作りの弁当が買えます。生ビール2杯と刺身の盛り合わせのセットで1000円という魚屋には今回も行って感激。好きなお酒2杯とつまみが1品のセットで500円という「モーニングサービス」がある居酒屋も発見しました。

 しかし、この界隈にも外国人客は押し寄せ、観光施設の牧志公設市場もおそらく中国人と思われる団体さんに占拠されていました。席取りに関しては、日本人はどうしても彼らには勝てませんから、一本、二本違う筋に入って、穴場を探すというのが僕のおすすめです。

おおきな木 杉山三四郎 

絵本ってどんな風に読んだらいいの?

 おおきな木を始めて24年目となりました。今でこそ自分を「読み聞かせの達人」とか言ってるんですが、店を始めたころは、どんな風に読んだらいいのかまだまだよく分かっていませんでした。というより、絵本の読み方については専門家の方々のご意見もいろいろで、迷いがあったんでしょうね。とくに、「感情を込めないで、淡々と読むべし」というご意見にはずっと引っかかってました。サラリーマン時代、CD付き絵本の制作をしていた時期がありましたが、プロではない子どもたちを相手に録音演出をすることもあり、豊かな感情表現をどう引き出すか苦心していました。無表情なセリフを録っていては商品になりませんからね。読み聞かせでも感情が込もらない言葉はNGなんじゃないかと。

 「感情を込めないで」とおっしゃる根拠は、こんなところにあるかと思います。オーバーな感情表現は聴いている子どもたちの想像の妨げになる。あるいは、あくまでも主役は絵本であって、読み手が目立ってはいけない。こんなところでしょうか。中には、読み手は顔を隠した方がいい、という方もおられました。

 でも、今の仕事になって頻繁に読み聞かせをするようになると、その迷いはだんだんなくなってきました。絵本を聞いてくれる子どもたちは、まず、読んでくれる人の顔を見ます。赤ちゃんはとくにそうです。絵本の絵よりも読んでくれる人の顔の方に関心が行ったりしますが、これは絵本に関心がないのではなく、当たり前の現象なんです。言葉を発しているのはその人なんですから。だから読み手の表情は大切です。赤ちゃん絵本は、擬音語・擬態語が多く使われていたりしますが、これは声に出してこそ生きてくる言葉です。体が感じたそのままが声や顔の表情となって表れるのが自然です。

 僕は、絵本を歌う「絵本ライブ」を20年以上続けてきましたが、歌ったら楽しいだろうなあと思える絵本って少なからずあるんですね。言葉自体がリズミカルだったり、自然と体が動いたり。そんな絵本を歌にしていたら子どもたちが結構喜んでくれるようになって、「うん、これでいいんだ」という自信につながっていきました。今ではこのレパートリーが4枚のCDになっていますが、学校や保育の現場などでも使っていただけるようになって嬉しい限りです。どんどん真似してください。

 さて、ではストーリーの絵本はどうでしょうか。これもやっぱり読み手の表情は大切です。登場する人物や動物たちのセリフには、どれもいろんな気持ちが奥に隠れていて、その気持ちを素直に表現したいものです。オーバーな身ぶり手ぶりは必要ありませんが、自然に湧き出てくる感情というのがあるはずです。

 と、ここまで書きましたが、あまり難しく考えないでくださいね。頭で考えるのではなく、まずは実践。自分流で構いません。上手に読もうなんて思わなくていいです。僕自身は、絵本はあくまでも子どもたちとのコミュニケーションツールだと思っていて、それが楽しくて我が子にも絵本を読んできたし、それを基準に絵本も選んできました。聴いてくれる子どもたちといっしょに楽しむ気持ちがあれば、まずはそれで十分です。

 数年前から、毎月定期的に読み聞かせに行っている保育園が二園ありますが、いつも僕が顔を出すだけで子どもたちの歓声が沸き起こり、大騒ぎ。ひょっとして、おじさん、アイドル? 絵本がなかったら、こんなふうに子どもたちに愛されることはなかったと思うので、本当に絵本があってよかったな、と思っています。

おおきな木 杉山三四郎 

ベトナムにおける道路の横断方法について

 先日、二度目のベトナム旅行に行ってきました。前回はホーチミン市でしたが、今回は首都ハノイ。前回同様、ベトナムに行ってまず驚くのが街の喧騒。とにかく人も車も多い。そして、何よりも多いのがバイクです。一番の賑わいを見せている旧市街は狭い道路が網の目のように走っていて、そこをびっしりと車やバイクが埋め尽くし、あちこちでクラクションは鳴りっぱなしです。

 日本の道路においては、「歩行者優先」という概念は当たり前のように定着していますが、ベトナムではそんなの全く関係なし。おまけに信号はほとんどありません。なので、どうやって道路を横断したらいいのか迷います。手をあげても車は止まってくれないし、途切れることもほとんどないので、日本のようなやり方ではいつまで経っても渡れないわけです。

 さて、ではどうしたらいいのか。歩いているうちにだんだん分かってきますが、思い切って、じわじわと道路に飛び出せばいいんです。するとバイクも車も避けてくれます。止まってはくれません。が、こちらも止まってはいけません。一定のスピードで堂々と歩いて行くのです。結構怖いですよ。少しは慣れましたけどね。

 では、信号がある交差点ではどうでしょう。青になったら安心して渡れると思ったらこれも大間違い。直進車両は赤信号でちゃんと止まってくれるんですが、右折車(ベトナムでは車両は右側通行です)はどうも信号に従わなくてもいいようで、横断歩道を歩いていても右折車は平気で突っ込んできますからね。

 ハノイでは、市内の移動手段となる公共交通機関はバスだけ。車は一般庶民には高価。ということで、バイクが市民に不可欠の足となってるんでしょうね。おまけに、ベトナムは蒸し暑いので、家にいるよりもバイクで走り回っていた方が過ごしやすいのでは、といった憶測もあります。二人乗りはあたりまえで、中には家族4人で乗っているケースもたくさんあります。

 今回、我々はハノイの中心市街地をずっと徒歩で巡りましたが、歩道もバイクで埋め尽くされていて、それを縫って縫って縫って歩くわけです。また、歩道だけでなくなんと鉄道の線路の上に駐輪してあるのもありました。ま、電車は一度も見かけませんでしたけどね。

 と、ここまで書きましたが、何でこんなベトナムにまた行ったのかですね。いろいろあるんですが、まずは食べ物。安くてうまい。ベトナム料理といえば、フォーや春巻などが思い浮かぶかと思いますが、フォーの店は無限にあります。ベトナム人の主食はフォーなんでしょうかね。僕もフォーが一番好きです。さっぱり目のつゆに、ライムをたっぷり絞って、パクチーと唐辛子をトッピング。いいですねえ。

 ちょっと変わったところでは、飛び込みで入った街中の小さなレストランで食べたカエルのグリル。焼いても皮膚の模様がまだ残っていてなかなかグロテスクでしたが、味は鶏のささみのような感じで、さっぱりとしてます。後でガイドさんに聞いた話では、カエルやヘビはなかなかの高級料理だとか。

 ベトナムにいると金銭感覚がちょっと狂います。1万ドンが日本円で約50円。高級レストランで食事をし、ビールやワインも飲んで、二人で1ミリオン。「えっ、やばい!」って一瞬ドキッとするんですが、5000円なんですよね。街中のベトナム風居酒屋だったらビールはだいたい100円だし、二人で1000円(20万ドン)あればお腹いっぱいおいしい料理が食べられますよ。

おおきな木 杉山三四郎 

僕が 「信州流竹の子汁」 を覚えたわけ

 先月に引き続き、山菜の話で恐縮ですが、今月は竹の子の話をさせていただきます。

 大学を中退してブラブラとしていたころ、僕は長野県信濃町の信越線黒姫駅の近くに住んでいました。駅から徒歩2分、家賃1万円の一軒家でした。裏庭は水芭蕉や秋海棠が咲く湿地で、居住していた部屋の隣には開かずの間があるという古民家でした。この開かずの間は、恐々と一度開けたことがあるのですが、以前住んでいた人の物置きになっていて、壁には古ぼけた遺影のような写真があり、二度と開けることはしませんでした。この家にまつわる逸話は他にもいろいろありまして、一年も経たずに引っ越すことになったのですが、お隣に住んでおられた内山さんという、僕と同世代ぐらいの息子さんがおられるご夫妻と仲良くお付き合いをさせていただいたのが、ここでの唯一のいい話です。ご主人は地元の小学校の先生で、クロスカントリースキーの指導もされていました。近くの居酒屋に誘っていただいたり、料理のおすそ分けをいただいたり、とても親切にしていただいて、いろんなことを教わりましたが、そのひとつが竹の子です。

 ちょうど今ぐらいの時期だったと思いますが、「竹の子狩りに行くから連れてってあげようか」と誘っていただきました。場所は戸隠に近い山の中でした。でも、着いたところに竹が生えているような気配は全くありません。あるのは熊笹の藪。えっ、僕はどこに連れて行かれるのだろうか。ご夫妻は、車の近くの藪にトランジスタラジオを大音量にして吊るしました。こうすれば迷っても大丈夫なのだそうな。と言われてもその意味は僕にはよく分かっていませんでしたが…。

 そして、その後初めて目にする光景が広がったのです。てっきり僕は竹の子は掘るものだと想像していたのですが、違うんですね。この藪は熊笹ではなく根曲がり竹の藪だったのです。ご夫妻は地面から顔を出しているこの細い竹の子をどんどん折り取っては籠に放り込んで行きます。なるほど、これはおもしろい!と、僕もだんだん竹の子探しに夢中になって、気がついたら二人の姿が見えなくなってしまいました。不安になって、「おじさーん、おばさーん!」と叫びました。そうしたら、「どうしたの?」とおばさんが平気な顔をして現れましたが、竹藪の中にいると、すぐ近くにいても姿が見えなくなったりするんですね。

 先日、おおきな木野外塾では、高山市荘川で、この竹の子狩りをする「雪国の春キャンプ」をしましたが、子どもたちも果敢に竹藪に分け入り、竹の子探しをしていました。採った竹の子は、皮ごと炭焼きにしたり、竹の子汁にしていただきましたが、この竹の子汁は内山さんに教わった信州流です。後で知ったことですが、この辺りの人たちが口にする「竹の子」というのは根曲がり竹のことで、この竹の子汁は信州の郷土料理なんですね。竹の子の皮をむいて硬い部分を捨てて茹でる。あとは、じゃがいもと卵、それに鮭缶か鯖缶を使います。鯖缶派の方が圧倒的に多いようですが、僕が覚えたのは鮭缶でした。味はもちろん信州味噌。仕込みは大変ですが、味付けはシンプルですね。

 僕は信州に3年過ごしたのち神奈川で10年。そして、35歳で岐阜に戻ってきましたが、岐阜県でも飛騨の方に行けばこの根曲がり竹があることが分かり、それからは信州流竹の子汁は我が家でも毎年恒例となり、それが野外塾にも引き継がれている、というわけです。

おおきな木 杉山三四郎

カラスノエンドウだって食べられるけど…

 何を隠そう、私は山菜マニアなのであります。普段行き来している近所の街路樹の根方にノビルがたくさん生えているので、そろそろ食べ頃ではないかな、とか心の中で思いながら、さてどうやって採ったものかと思案している今日この頃です。

 4月初めの頃の話ですが、家の庭にカラスノエンドウが大繁殖し、昨年まで一面を覆っていたミントやヨモギなどが見当たらなくなっていました。そこで、困ったものだと、大量のカラスノエンドウを引っこ抜くことに。でも、このカラスノエンドウがあまりにも美味しそうなので、ちょっと食べてみることにしました。カラスノエンドウが食べられることをご存じない方が結構ありますが、おおきな木野外塾(塾長 杉山三四郎)では、これをピザのトッピングや豚汁の薬味や天ぷらなどにして毎年食べています。でも、その草本来の味を知るにはおひたしにするのが一番なので、塩ひとつまみを入れてさっと茹でて食べてみました。特に癖もないので今ひとつパンチがありませんが、鰹節などをまぶして食べれば十分美味しくいただけます。カラスノエンドウは葉っぱだけでなく、花や実も食べられますが、成長してくると茎の部分が硬くなってくるので、この部分はおすすめできません。

 さて、先日、野外塾では「春のデイキャンプ」を岐阜市内の某所で行いました。参加者総勢150名の大部隊になりましたが、野外塾のモットーである放し飼いの精神は失うことなく、秘密基地ではみんなそれぞれ勝手気ままなことをして遊びました。その秘密基地のそばにも美味しい草が生えているところがあるのですが、それを採りに行く「三ちゃんコース」についてきた親子たちが数十名。セリやミツバがいっぱいあって、みんなの目が輝きました。でも、気をつけなくてはいけないことがあります。セリやミツバに混じって有毒なキツネノボタンなどが生えているからです。僕が見ればすぐに見分けはつきますが、初心者であるみんなにはどれも同じように見えるらしいんですね。なので、子どもたちから「三ちゃん、これ食べれる?」の猛攻撃を浴びることになりました。

 他にもいろんな山野草がありました。おなじみのヨモギやツクシのほか、ヨメナ、ユキノシタなど。そして、毎年子どもたちに大人気なのがタンポポの花。天ぷらにするとほのかな苦みと甘みがあり、油に放り込むと花がパッと開いて、見た目にもきれいです。

 でも、山菜マニアとして狙うのはコシアブラ。最近、あまりにも有名になってしまったので、採取者も増え、なかなかいいサイズのものに出会えません。でも、そこそこ採ることができて、大人を中心に天ぷらでいただきました。野外塾では、これによく似たタカノツメも天ぷらにしますが、コシアブラに比べると癖がないので、やはりパンチに欠けます。でも、子どもたちは天ぷらにすれば何でも食べちゃいますけどね。

 平野部の桜はもうすでに散ってしまいましたが、雪深い山間部では4月下旬から5月連休ころにかけてが見頃。山菜マニアとしては心落ち着かない日々を過ごすことになります。雪国にはこの辺りではあまり見られない美味しい山菜がたくさんありますからね。コゴミ(クサソテツ)、タラの芽、ウルイ、ワサビ、ウド、などなど。そして、もう少し後にはネマガリダケがどんどん新芽(竹の子)を出してくるので、竹の子汁や焼き竹の子にしていただくのが毎年の楽しみです。

おおきな木 杉山三四郎

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「愛国心」っていったい何でしょう?

 今、世間を一番騒がせていることといえば、やはり森友学園問題でしょうか。森友学園の理事長籠池さんは安倍昭恵さんと親しい仲で、そういう方が新しく始めるという小学校の用地が、破格に安い値段で払い下げられた国有地だった。そしてなんと、昭恵夫人はその名誉校長として名を連ねていた、といったことが疑惑の始まりですね。

 先日、この籠池理事長が国会で証人喚問されました。どこまでが本当の話なのか、そんなことはまだ分かりませんが、証人喚問で嘘をつけば偽証罪となるわけですから、そんなめちゃめちゃな話でもないのではと思うんですけどね。とにかくいろいろと暴露してくれました。昭恵夫人だけでなく、自民党の先生方の名前がいろいろ出てきました。政府や自民党としては早く幕引きを図りたいところなのでしょうが、国民の8割以上はちゃんと真相を解明すべきだと各紙の世論調査で答えてます。

 この疑惑の真相解明は今後の国会で徹底的にやってもらいたいと思いますが、今回、またまた考えてしまったのが、「愛国心って一体何だ?」ということです。愛国心というのは、要するに「国を愛する心」なわけでしょ。ありますよ僕にも。二場所連続優勝を成し遂げた稀勢の里。久々に登場した日本人横綱ですからね、そんなに相撲ファンではないけれど、やっぱり応援してしまいます。かといって、白鵬や日馬富士は嫌いかといえばそんなことはありません。モンゴルに負けてばかりでは悔しいですけどね。そして、今行われているサッカーW杯最終予選でも、先日終わった野球のWBCでも、やっぱり日本を応援してるわけで、君が代だって歌っちゃいます。これって、自分のルーツが日本人だという気持ちがあるからですよね。

 でも、森友学園が教育方針として掲げている愛国心というのはちょっと違うんでしょうね。なんせ、教育勅語を園児に暗唱させているわけですから。教育勅語が作られたのは明治時代、大日本帝国憲法のもと、主権は国民ではなく天皇だった時代です。日本国民はみな神様である天皇の子どもであるから、日本民族としての誇りを持て。いざというときには天皇のために命を投げ出しなさい。そういうことを言ってます。その教育勅語で戦前の日本人は育てられ、太平洋戦争では、「天皇陛下万歳」といって出兵し、「天皇陛下万歳」と言って死んでいったんです。

 要するに籠池さんが言う愛国心というのは、国家に忠誠を誓うことなんですよね。時代錯誤も甚だしい。それを、「素晴らしい教育をされている」と安倍首相が国会で喋っていたのを聞いた時には、空恐ろしくなりました。ああ、やっぱりな。彼が取り戻すと言っている「日本」とうのは、主権在君の大日本国帝国憲法の時代の日本のことなんだと。そして、籠池さんがやっている教育を絶賛していたのは安倍夫妻だけじゃなくて、他にも大勢の自民党大物議員がいたのです。

 僕は日本が好きです。でも、ヘイトスピーチを続ける愛国主義者たちのように他の国を蔑むようなことはしません。モンゴル人の横綱が優勝した時にも、それを褒め称える記事をちゃんと大きくマスコミが取り上げることができるこの国が好きです。森友問題もちゃんと真相解明ができるマスコミであってほしいです。

 ところで安倍さん、あなたはどうして一言、「真相解明に向けて努力します」と言えないんですか?

おおきな木 杉山三四郎

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デジタル時代、ストレスだらけのIT技術

 ちょっと前の話で恐縮ですが、昨年の秋、所用で九州に行くことになりました。出発までに1か月を切っていたので チケットの予約をしなければとインターネットで検索すると、某大手旅行会社のサイトに、航空券とホテルのセットで25,000円のパックを見つけました。なんと、東京に行くより安いではないか、と感動し、すぐに予約。のはずだったのですが、予約確認メールが送られてきて、便名を間違えて入力していたことが判明。で、修正をしてもらえないかと電話を入れたのですが、これができないんですね。キャンセルをして、もう一度買い直さなくてはいけないんです。一旦「予約確定」ボタンを押してしまうと、修正できないんです。で、キャンセルということになると、キャンセル規定が適用されて、20%のキャンセル料がかかってしまうんですね。が〜〜〜ん!

 旅行会社の理屈は通っているし、間違えたのは僕だから、悪いのは僕なんですよ。でも…。もし、このやりとりが窓口でということだったら、「ごめんなさい、間違えてました」で済むようなことですよね。デジタル時代はそういう温情は通じないわけです。

 コンサートやスポーツ観戦のチケットの予約も面倒くさいですよね。アナログ時代だったら、窓口で座席表を見せてもらって、「どこがいいですか?」「じゃあ、ここお願いします」って感じで買っていたけれど、今はそんなことできないでしょ。IT技術を駆使したコンビニの複雑怪奇な機械の画面にタッチしながら突き進んでいって、目的のチケットにたどり着くシステムですからね。どこかで選択を間違えるとなかなか見つからなかったりで、慣れないと機械に振り回されて、ストレスだけが残ります。

 パソコンの世界も非情ですよね。今年になって早々に2009年に購入したパソコンが突然壊れました。急いで修理依頼を出し、代理店に持ち込んだのですが、高い修理代を払っても直る可能性は10%あるかないか、7年も使っていたのはよくもった方だなどと言われました。仕方なくすぐに新規購入。幸いデータはバックアアップをとっていたので、一晩で復元はできたのですが、パソコンをお使いの方は皆さんお分かりだと思いますが、OSのバージョンが上がると使えなくなるアプリがいくつも出てきて、アップデート版を購入しなければいけなかったりするわけです。中には、前のバージョンの方が機能的に優れていたのに使えなくなったものもあって、もうストレスだらけ。

 こんなパソコン騒動を乗り越えながら、実は今、当店ホームページのリニューアルを進めています。世の中、今やスマホが大普及をしていて、ネットを見ている人の9割近くがスマホで見ているのだとか。そこで、スマホに対応したホームページを作る必要に迫られてきて、IT経営応援隊の方々に指導を受けながら、一年間準備をしてきました。どんどん進化するIT技術。数年前には当たり前だったことが時代遅れになっていきます。高度なIT技術を使えない分、便利さには欠けるかもしれませんが、温かく、皆さんのお役に立てるページにしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

おおきな木 杉山三四郎

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野外塾には時間割も「めあて」もありません

 先日、おおきな木では、新春恒例「初笑いさんしろう絵本ライブ」を行いました。バンド編成で行う豪華版で、毎年大勢の人たちが来てくれますが、今年も盛況でした。そのライブに、小学生の頃「おおきな木野外塾」に参加していた女の子が、三人の男の子のお母さんになって来てくれて、大感動。野外塾もおおきな木発足と同時に始めたので、この春で丸23年ですから、ときにはこんなこともあるわけです。

 いろんな思いがあって始めた活動でした。子どもは小さな大人ではない。子どもは子どもでちゃんとひとりの人格を持っている。そんな子どもたちが自由でいられる場所を作りたい。また、大人も子どももいっしょに感動し、楽しい思いを共有できる場所でもありたい。そんな場所を、僕が関心を持っていた「自然」と「ことば」という二つの切り口で用意したわけですが、それが「野外塾」と「ことば塾」だったのです。野外塾では、僕がサラリーマン時代に関わっていた大規模なキャンプではできなかったことをいろいろ企画しました。でも、あくまでも一人ひとりの子どもが主人公ですから、課題を与えるようなことはしたくない。分かりますか、これ。たとえば、学校の宿泊行事などを例にとると、まず時間割があって、決められた課題を全員がやらなくてはいけません。勝手な行動は許されません。そして、何をやるにも「めあて」があって、その達成度が評価の対象になったりします。

 野外塾ではその真逆。時間割もめあてもありません。集合時刻と活動するフィールドは決まっていますが、そこで何をするかはみんなの自由です。岐阜市内の森に僕たちの「秘密基地」があり(といっても何か施設があるわけではなく、ただ「自然」があるだけですが)、ブランコやロープコースを作ったり、山野草をとって焚き火で料理したりと、まあ、いろんなことを用意してはいきますが、ある子は虫採りに夢中になっているし、ある子はスコップで穴掘りをしているし、鬼ごっこで走り回っている子もいれば、一日中焚き火の周りでおしゃべりしている子もいるという状態です。お昼のお弁当もみんな好きな時間に勝手に食べています。要するにみんなバラバラ。でも、退屈している子はほとんどいないというのが野外塾のすごいところで、いつも感心して子どもたちのことを見ています。どうしてなんでしょうね?

 まず、場の力があります。人工的に作られたものは何もなくても、自然の中には子どもたちの好奇心をくすぐるものが無数にあるわけです。野外塾の基本は「放し飼い」。野に放たれた子どもたちはみんな自分に合った居場所を見つけています。「野力」という造語を作りましたが、子どもは野の力で育つんですね。

 そしてもうひとつは、仲間の存在でしょうね。学校の活動だと、全員で力を合わせて何かを達成することが重視されますが、野外塾では気が合ったもの同士が力を合わせて落とし穴や隠れ家を作っていたり、トカゲを追いかけていたりという光景があります。大人の手が必要になると、「三ちゃん、三ちゃん!」と飛んできたり、近くにいる誰かの親に手伝わせたりということもあります。そんなことをしながら、年齢の壁を超えて友だちもでき、子ども同士でいろんなことを学び合っていってるんでしょうね。また最近では、子どもだけでなく、大人も含めた大家族のようになっています。こうして、子どもは群れで育っていくんです。 

おおきな木 杉山三四郎

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