絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


あのとき、あの場所に行ってなかったら…

 時どきこんなことを考えます。もしも、あの日、あのとき、あの場所に行ってなかったら、今の自分はどうなってたんだろうか、と。

 僕にとっての「あの場所」というのは、大学の学生課。大学2年の夏休みのアルバイトを探しに行きました。そこで見つけた1枚の募集広告。「長野県のキャンプ場で、子どもたちのお世話をする仕事」で、期間は夏の40日間、寝食付きで日給2,000円です。バイト代は安いけど、面白そうなので応募しました。応募者多数でしたが、面接に見事通って現地に向かいました。それはラボランドという名のキャンプ場で、ラボ教育センターという言語教育事業を行う会社が運営する施設です。そこに全国の子どもたちと先生や親が、1班につき500〜800人ぐらいずつ3泊4日でやってきます。おそらくこのときは7〜8班あったのではないかと思います。

 この40日が僕の生き方を大きく変えました。大学に入るまでは受験勉強が第一であると擦り込まれて生きてきましたが、そのキャンプで出会った約40人のリーダーたちは、同じ大学生なのに勉強よりもいろんな経験値が高いのです。キャンプのスキルが高い人、歌やゲームの指導が上手い人、登山家、釣り師、水泳選手などいろいろいます。一番刺激を受けたのは、スキルがどうのこうのよりもその自由な生き方で、自分の小ささをつくづく感じさせられました。でも、そのキャンプでは僕もある程度の存在感を発揮することができて、潜在していた「自分」に出会うことになってしまいました。

 その後、紆余曲折を経て、そのラボ教育センターに3度目の挑戦で就職できることになりました。ラボは小さな会社ですが、これまたユニークな経歴を持っている先輩方が大勢いて、ここでもまた刺激を受け、仕事にも誇りを持っていました。そして、もっと力を発揮したいという気持ちをずっと持っていたので、カルチャーセンターの写真教室に通ったり、演劇研究所に通ったり、そして、編集者を養成する日本エディタースクールにも通いました。ここで出会ったのが、径書房の創業者である原田奈翁雄さん。本を作るということはどんなことなのか、その心構えやスキルを学び、原田さんを訪ねて何度か水道橋にある径書房にも足を運びました。

 そして、そこで出会ったのが、『子どもが主人公』(徳村彰、徳村杜紀子著/径書房)という1冊の本。徳村夫妻が横浜で始めたひまわり文庫の活動が書かれていますが、そのモットーが「子どもが主人公」。大人の常識的な価値観から子どもを解放しようという活動、とでも言ったらいいのかよく分かりませんが、放埒な子どもたちに囲まれて生きる徳村夫妻の姿に感銘を受け、またまた刺激を受けることになりました。

 その後、「子どもが主人公」という言葉は仕事をする上においてもずっと頭にこびりついていて、結局自分の思いを実現するには独立するしかないと、17年勤めたラボを退社し、おおきな木を始めることになりました。机上ではなく、直に子どもたちと触れ合っていける場が作りたくて、「ことば塾」と「野外塾」の二つの塾を立ち上げた、というわけです。

 今「野外塾30周年のつどい」に向けて30年を振り返るスライドショーを制作していて、ここでもいろんな出会いがあったなあとしみじみしながら写真を眺めています。僕が、あのとき、あの場所に行ってなかったらこの出会いもなかったわけです。そして、今のパートナーとも出会うこともなかったわけで…。面白いですね。

おおきな木 杉山三四郎

沖縄やんばる、固有種たちと出会う旅

 毎年、「美しい海(ちゅらうみ)」を求めて、沖縄の離島に渡り、海で泳いだりホエールウオッチングをしたりしてきましたが、今回は山にも行ってみようと、生まれて初めて「やんばる」に足を踏み入れ、山歩きを楽しんできました。2月の沖縄もおそらく初めてかも。

 那覇空港でレンタカーを借りて高速道路で名護へ。人気店で沖縄そばを食べてからやんばるに入ります。あちこちで桜が咲いています。沖縄でも最初に咲くというヒカンザクラ(カンヒザクラ)です。

 まず本島の最北端に行ってみようということで、訪れたのが大石林山(だいせきりんざん)。石灰岩が何百万年もの間に侵食されてできたゴツゴツの岩々が独特の風景を生み出しています。遊歩道を歩いていくと、ソテツの群落やガジュマルの林があり、クワズイモやオオタニワタリなど、巨大な天然の観葉植物に覆われています。展望台まで登ると、最北端の辺戸岬が眼下に見下ろされ、海を隔てて鹿児島県の与論島がよく見えました。2月というのに蝶もたくさん飛んでいて、トベラの花にはジャコウアゲハが群れていました。

 辺戸岬からは島の東側の県道を走ってホテルに向かいます。やんばるでは行き交う車も少なく、海と山とパイナップル畑が広がっています。そして、ホテルで車を降りると、キョキョキョキョーという鳥の声が聞こえます。ひょっとしてヤンバルクイナではないかとスタッフの方に尋ねるとやはりそうで、ホテルの庭にも姿を現すことがあるとのこと。その晩、ラッキーなことに至近距離で見ることができました。

 ヤンバルクイナは1981年に新種として登録されたとのことですが、こんなに大きくてよく鳴く鳥で、しかもあまり警戒心がなくて人里にも現れる鳥が、なんでそれまで発見されていなかったのかというのが不思議です。おそらく地元の人たちには昔から愛されていた身近な鳥だったんでしょうが、研究者の目には止まっていなかったということなんでしょう。でも、やんばるにしか生息しない天然記念物であることには変わりなく、初やんばるでこの子に会えたのはラッキーだったと思います。このクイナくん、翼がなくほとんど飛べないのに、夜は樹上で過ごすのだそうで、一体どうやって木に登るのかぜひ一度目にしてみたいものです。

 このホテルでは、他にもノグチゲラという固有種のキツツキも見られるとのことでしたが、これはタッチの差で見ることができませんでした。でも、沖縄ならではのイモ虫に遭遇。日本最大の蝶といわれるオオゴマダラの幼虫です。ホテルの庭に食草であるホウライカガミが植栽されており、そこに数頭群れていました。黒地に薄黄色の縞模様、さらに赤い点々があるド派手な幼虫です。蛹は黄金色に輝き、まるで宝石のようです。

 やんばるの2日目は、慶佐次湾のヒルギ林のマングローブカヌーツアーに参加。地元のガイドの方にやんばるの文化や植物などについていろんな話を聞きました。そして、午後は本島最大の滝といわれる落差25.7mの比地大滝を見に、往復2時間ほどのハイキングを楽しみましたが、ここでも固有種の鳥に会えました。頭から背中がオレンジ色で顔から胸にかけてが黒いホントウアカヒゲです。確かに黒い髭を生やしているようないでたちですが、可愛い小鳥です。この子も至近距離まで来てくれて、バッチリ写真に収めることもできました。

 次にまたやんばるを訪れる機会があれば、時季を変えてぜひヤンバルテナガコガネに会いたいものです。

おおきな木 杉山三四郎

「野力(のぢから)」のおかげで30年──おおきな木野外塾

 「おおきな木野外塾」の新年度会員の募集が始まりました。4月から第31期になります。野外塾も30周年になるんですね。1994年5月15日、第1回のプログラムは「春のデイキャンプ」でした。岐阜市内の岩戸公園から歩いて妙見峠を越えて達目洞まで歩き、秘密基地で一日を過ごすというプログラムで、講師にアウトドアの鉄人二名良日(ふたなよしひ)さんが来てくれました。

 お天気は雨。いきなり雨だったらどうしよう、という不安が的中。だけど二名さんは、「大丈夫大丈夫、テントを張ればいいんですよ」というではありませんか。さすが、世界の秘境を探検してきた人は言うことが違います。そこで、大きなブルーシートを購入し、秘密基地に張ることに。張り方がまた大胆です。シートの四隅に小石を包んでコブにして、それにロープを巻き付けて、丈夫な立木にくくりつけます。そのロープのかけ方がまた大胆。ロープの先に手頃な石をくくりつけて上の方の木の股めがけてエイっと投げるわけです。

 このテント張りは子どもたちにも大ウケして、その後雨の日の一つのパフォーマンスとして定着し、毎年1、2度はやっているのではないでしょうか。野外活動は何でも、そりゃあ雨よりも晴れていた方が気持ちがいいに決まってますが、雨でも十分楽しめることを初回に教わったわけです。今でも雨が降るとテントを張り、雨具を着て遊んでいますが、大人よりも子どもの方が全然平気ですね。どろんこの崖を滑ったり、大きな水たまりにいかだを浮かべて遊んだこともありました。

 二名さんには他にもいろんなことを教わりましたが、たき火で焼く木の枝パン(棒パン)もその一つ。手頃な棒っ切れを拾ってホットケーキミックスなどのパン種をぐるぐると巻いてたき火で焼くだけです。遠火で20〜30分じっくり焼いて、ほんわかと膨らんできたら食べごろ。これに、野草や野いちごのジャムをトッピングすることもあります。ワイルドでしょ。

 30年、いろんな野草やキノコを食べたり、あまり綺麗とは言えない川で泳いだりしてきましたが、不思議なことに、大した衛生管理などしていないのに食中毒が起きたことがありません。もちろん、毒草、毒キノコは食べないとか、食器はクレンザーで洗ったら天日(紫外線)乾燥をするとか、野外塾流の衛生管理はちゃんとしてますよ。でも、消毒スプレーをかけたりするような、かえって体に悪いようなことは避けてきました。人間の体にはそもそも自分の体を守ってくれている常在菌があるわけで、消毒のしすぎはその菌も殺してしまうので、自己免疫力が落ちてしまいます。

 子どもたちは自然の中で遊ぶことによって、体力と生きる力を育てていきますが、野外塾ではそんな自然(野生)の力のことを「野力(のぢから)」と名づけました。そして、「時間・空間・仲間」の3つの「間」を用意することが大事であるということをモットーにしてきました。子どもたちが自由に遊べる時間、自然と触れ合える空間、そして共に過ごせる仲間です。これといった遊具もない自然空間で、子どもたちは時間を忘れて本当によく遊びます。そして、いろんな年齢の子がいますが、歳の差などほとんど気にすることなく気の合う仲間を見つけます。大人の方も大勢参加されていますが、大人同士の関係性も広がってくると、一体誰の子かも分からなくなっているような光景も多々見られて、大家族で過ごしているような気分です。「野力」のおかげで、人の輪も広がり、本当に嬉しいかぎりです。

おおきな木 杉山三四郎

おおきな木は今年30周年を迎えます

 新しい年を迎えました。今年の5月5日には、おおきな木は満30歳になります。あれから30年も経ったという実感はあまりありませんが、古くなった床やオーニングなどを見ると、それなりの時を感じざるを得ませんし、何より自分の顔が、開店当時の写真と見比べると、その「経年劣化」にため息が出てしまいます。

 先日、あるパーティーに出席したら、「三四郎さんにお会いできてとっても嬉しいです。昔、野外塾でお世話になってました」と声をかけていただいた女性がありました。お名前を伺ったら、その野外塾に参加していたお嬢さんのことは覚えていました。あれから25年ほどが経ち、現在33歳だとのこと。店や絵本ライブに来られる方でも、「昔、野外塾やってました。無人島にも行きました」とか「ことば塾に来てました」という方にちょいちょい出会います。30年というと世代一回りですよね。開店当時お子さんを連れて来られたという方が、今度はお孫さんを連れて来られます。最近そういう方が本当に多くて、嬉しい限りです。

 最近、新聞やテレビ、子育て関連サイトなどに取材していただくことがありますが、「30年前と今では変わったことってありますか?」とよく聞かれます。子どもも変わったのでは、と感じておられる方もありますが、僕は、本質的には変わってはいないと思います。少なくとも、今、野外塾やことば塾に来ている子たちや絵本ライブで出会う子どもたちが、自然に触れたり、絵本に触れたりして見せる姿は何年経っても同じです。

 しかし、開店当時ほとんど予測できていなかったことがこの間いろいろありました。30年前には、国民一人ひとりが通信機器を持ち歩くなんてことは考えられませんでした。インターネットが登場した頃は一体何のこっちゃ!?でした。それが、あれよあれよという間に当たり前になって、スマートフォンやタブレットを子どもたちも使いこなす時代になりました。IDとパスワードがあればどこにいても買い物ができるし、本や雑誌を読まなくてもいろんな知識や情報を得ることもできます。インターネットが出現してから、町の本屋はどんどん姿を消していきました。そして、長年愛読されてきた雑誌もどんどん姿を消しつつあります。

 便利にはなったものの、それを悪用して人を騙す輩もどんどん増えているのには頭に来ます。自分もまんまと騙された経験がありますが、その巧妙な手口には呆れるばかりです。自分は生来ずっと性善説に基づいて人付き合いをしてきたつもりですが、最近はそれでは危うくなってしまいましたね。いい話はまず疑ってかからなくては、です。嫌な世の中になってしまいました。

 ということで、子どもの本質は変わらなくても、周りの環境はずいぶん変わりました。でも、いいこともあります。それは男性の子育て参加が増えたこと。開店当時は父子で来店する方は多くありませんでしたが、最近ではごく普通になって、おんぶや抱っこはお父さんの役目だったりもします。野外塾も父子参加が増えました。昔はお父さんが参加されても居場所がないということもありましたが、今ではお父さん同士も子どもの話題で繋がれるので、ちゃんと居場所があります。それどころか、子どもと付き合うことで自分の子ども時代が蘇り、子ども以上に活動に興じておられる方も少なくありません。大人にも子どもの魂は宿っています。世の中いろいろ変わっても、子どもの魂を支えていけるような仕事を今しばらく続けていきたいと思っています。

おおきな木 杉山三四郎

この星に、戦争はいりません

 今年も残すところあと1か月。もうすぐクリスマスがやってきますが、クリスマスが特別な日であることを改めて教えてくれる絵本があるのでご紹介します。『戦争をやめた人たち…1914年のクリスマス休戦』(鈴木まもる 文・絵/あすなろ書房)。

 第一次世界大戦が始まった年にヨーロッパ戦線で本当にあった話をもとに描かれています。12月24日の夜のこと、イギリス軍の兵士が撃ち合いに疲れて塹壕に身を隠して休んでいると、どこからか歌声が聞こえてきます。なんとその声は鉄条網をはさんで対峙するドイツ軍の塹壕から聞こえてくるではありませんか。イギリス兵たちもよく知っているクリスマスの歌「きよしこの夜」です。すると、イギリス兵たちもそれに合わせて歌い始め、今度はその声がドイツ兵のところにも届き、拍手が起こります。言語は違ってもキリスト教徒なら誰でも知っている歌がその後にも両軍の塹壕で続きます。

 そして、その翌朝のこと、一人のドイツ兵が武器を持たずに塹壕を飛び出し、イギリス軍の方に向かってきます。イギリス軍は銃を構えるのですが、一人の若者の兵士が銃を持たずにそのドイツ兵に近づき、二人は握手を交わします。すると、両軍の兵士たちは全員塹壕を飛び出し、相手の兵士と「メリークリスマス」と挨拶を交わし、故郷にいる家族の話などで盛り上がり、誰かが上着をまるめてサッカーボールを作ると、サッカーが始まったのです。それは夕方まで続いたそうです。

 残念ながらそれで戦争が終わったわけではなくて、その後4年も続いたのですが、その兵士たちは戦場に出ても銃を相手に向けることはなかったそうです。。

 「いっしょに笑い、遊び、食事をし、友だちになったから、相手にも故郷があり、家族や子どもがいることがわかったからです。国を大きくするために戦争をするより、大切なものがあることがわかったから、この人たちは、戦争をやめたのです」。この絵本はそう締めくくっています。 

 今、連日テレビや新聞で伝わってくるのが、イスラエル軍によるガザ侵攻のニュース。イスラエル軍はガザ地区住民が避難している学校や病院などを攻撃し、今朝(11/23)の新聞によると、ガザ側の死者は14,000人を超え、そのうち5,000人以上が子どもだというではありませんか。イスラエル軍の言い分は、病院の地下にイスラム武装組織のハマスの司令部があるからだと攻撃を正当化しようとしていますが、だからといって何の罪もない市民を巻き添えにしても構わないのかと言いたいです。軍は、病院の地下にトンネルが見つかったとその映像を公開していますが、今どきそんなのはいくらでも捏造できる訳で、何の証拠にもなっていないと思います。

 日本では、岸田内閣は防衛費を増額して、敵基地攻撃能力を備え、先制攻撃も辞さないという動きを見せています。国を守るためには武器は必要なのでしょうか。子どもの頃、喧嘩をすると、先に手を出した方が負けだよと教えられてきましたが、今回のガザ侵攻も先に手を出したのはイスラム武装組織のハマスの方で、イスラエルに反攻の口実を与えてしまいましたよね。どちらの側に立ってみても、改めて「武力では何も解決できない」と強く思います。暴力は憎しみの連鎖を生むだけです。人の命を奪い、多くの悲劇を生むだけです。

 この絵本を描かれた鈴木まもるさんは、あとがきで「この星に、戦争はいりません」と締めくくられています。この思いを世界中の人々に送り届けたいです。

おおきな木 杉山三四郎

岐阜市にチンチン電車があったころ

 当店で今大変よく売れている絵本があります。『100歳になったチンチン電車──モ510のはなし』(小島こうき作、斉藤ヨーコ絵/幻冬舎)。岐阜市にはかつて路面電車が走っていましたが、その中に、モ510形という、なんと大正15年に製造された車両がありました。前面が半円形になっていて、前方と後方のドアの後ろに楕円形の窓がついているので「丸窓電車」と呼ばれていて、鉄道マニアの間でも人気の電車でした。この絵本の主人公はこの丸窓電車で、電車とお客さんとの会話でお話が進んでいきます。

 岐阜市の路面電車がすべて廃線となったのは2005年(平成17年)のこと。多くの市民に惜しまれながらモータリゼーションの波に呑まれる形で廃線となりました。もう20年近くも前になるんですね。この絵本にはそのころの岐阜市の街並みがリアルに描かれていて、岐阜市で生まれ育った僕としてはどれも懐かしい風景です。描かれている本屋さん、レコード屋さん、百貨店などは今はどれも姿を消してしまいました。

 この絵本には、徹明町駅から一人のおばあさんが乗ってきて谷汲(華厳寺という有名なお寺があります)まで行くという場面があります。徹明町というのは繁華街の柳ヶ瀬のとなり駅で、ここからは関市や美濃市に向かう美濃町線と、現在の本巣市や揖斐川町に向かう谷汲線や揖斐線などが出ていました。

 おおきな木が始まったころ、野外塾の昆虫採集プログラムは忠節駅に集合してこの谷汲線に乗って行ってました。のんびりと走る電車ですが、子どもたちは大喜びで、一番前にへばりついてガタンゴトンという音に魅せられていました。僕自身も小学生のころ、この谷汲線で虫採り(おもに蝶々)に行っていて、尻毛(しっけ)、又丸(またまる)というおもしろい名前の駅が続くところが大好きでした。しかし、この谷汲線は市内線より早く2001年に廃線になってしまいました。

 渋滞解消がおもな理由だった廃線でしたが、聞くところによるとあまりその効果は出ていないようだし…、今チンチン電車があったらなあ、と思うことがよくあります。富山や熊本、松山など、路面電車が今も活躍している町に行ったことがありますが、どこも活気があるような気がします。観光地にはだいたいこの電車で行けるようになってますしね。岐阜も鵜飼が行われる長良川や岐阜城のある金華山などに電車で行けるようになっていたら、もっと観光客も集まるのではないかと思います。知らない人にとったら、バスはどこに行くのか分からず不安がありますからね。

 昨年秋の「ぎふ信長まつり」に、キムタクこと木村拓哉さんや岐阜市出身の伊藤英明さんが騎馬武者行列に参加したり、今夏は長良川の花火大会が復活したりでちょっと盛り上がってきた我が町岐阜市ですが、先日悲しいニュースがありました。柳ヶ瀬の高島屋が来年7月をもって閉店が決まったとのこと。岐阜県唯一のデパートが消えてしまうわけで、全国で4番目のデパートなし県になるんだそうな。地下の食品売り場ぐらいしか利用したことがなかった高島屋ですが、なんか寂しいです。考えてみればチンチン電車もそんなに利用したわけではないので、赤字経営でも何とかしろなどと偉そうなことは言えないですけどね。

 おおきな木もいつかはチンチン電車のように消えて行く日が来るのでしょうが、まだしばらくは頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

おおきな木 杉山三四郎

歌って笑って…、免疫力をつけましょう!

 先月に引き続き、10月発刊の新しいCD「杉山三四郎絵本をうたう⑤ 笑おう!」の話になりますが、お付き合いください。

 このアルバムのタイトル曲『笑おう!』(作詞・作曲:杉山三四郎)ですが、3年ほど前、コロナ禍で作った歌です。この年、新型コロナウイルスが日本にも上陸し、各地でクラスターが発生。緊急事態宣言が出るわ、全国一斉に学校が休校になるわ、有名人がコロナで亡くなるわで大騒ぎ。楽しみにしていた僕の公演活動はすべてキャンセル。主催行事はやっても人が集まらないので何もできず。店も閑散として、この先食べていけるんだろうかと不安な毎日を過ごしてました。

 当店主催の野外塾も緊急事態宣言が解除されるまで活動が制限され、解除直前の5月31日に、延期されていたデイキャンプを行いました。この日のキャンプは今でも忘れはしません。朝からずっと雨だったにもかかわらず大勢来てくれたんです。家にずっと閉じこもっていた子たちがストレスを発散しました。みんな楽しみに待っていてくれたんですね。さすがは野外塾生。涙が出るほど嬉しかったです。この年は特例で中途退会も受け付けたんですが、やめられた方はほんの数名でした。

 その後、野外塾は沖縄ツアー以外のプログラムは予定通り行いました。野外の活動だし、いわゆる「三密」ではないので、マスクをしたり消毒をしたりなどの注意をしながら続けました。考えてみたら、感染症と言われる病気は何もコロナだけではないし、人間の生活圏はウイルスや雑菌だらけです。だからといって家に閉じこもってばかりいたらどんどん体が弱ってしまいます。病気に勝つために一番重要なことは何かと言えば、自己免疫力をつけることです。ストレスを溜めないように、「食う、寝る、飲む、出す」。お風呂で体を温める。そして、紫外線を浴びて遊ぶことと、仲間と楽しい時間を過ごして笑うことが大事です。くよくよしてばかりしてないで、前を向いて歩いて行こう! そんな気持ちを鼻歌で歌ってできた歌が『笑おう!』でした。

 さて、今回のCDですが、収録した10冊の絵本はどれもユーモアに溢れたものばかり。作者の遊び心が詰まっています。

 たとえば『ブロロンどろろん』(高畠那生作/小学館)。道にこぼれていたペンキが車で飛び散って、歩いていた人の影が壁に現れるなんてことは実際起こるわけないんだけど、絵本になると起きてしまう。現実味があるというか…? あったらおもしろいだろうな、という気持ちがリアリティを生んでるんでしょうね。

 そして『うし』(内田麟太郎作、高畠純絵/アリス館)。「牛」と「後ろ」をかけて、牛がエンドレスでつながっていくという強烈(?)なイメージを作ってしまったんですね。言葉で遊びまくっている麟太郎さんのほくそ笑いが聞こえてきそうな絵本です。これを絵本にしてしまった純さんはすごいと言わざるを得ません。

 その他の絵本も遊び心が詰まっていて、録音では、編曲をしてくれた野々田万照さんやコーラスを担当してくれた清水千華さんが自在に遊び心を発揮して本当に楽しいアルバムになっています。また、濃厚なさんしろうファンである「ことば塾」の子たちも録音に参加してくれて、元気に弾けています。僕のCDはご家庭や保育現場で使われていることが多いですが、今度はみなさんの遊び心を発揮していただいて、歌って、踊って、笑って、自在に絵本を楽しんでいただければと思います。

おおきな木 杉山三四郎

愉快で煌びやかなサウンドに <新刊CD10月リリース>

 毎年毎年、夏はあっという間に過ぎてしまいます。当店が主催する「おおきな木野外塾」では、キャンプやらツアーやらのお泊まりイベントが4つ。台風のせいで日程変更などもあり大変でしたが、何とか無事に終えることができました。また、今年は感染症対策が緩和されたおかげで「さんしろう絵本ライブ」の出張公演が7〜8月に8本。年甲斐もなく(?)よくがんばりました。野外塾もライブも子どもたちのパワーをもらうことができるので、僕の「生きる源」になっています。

 そして今夏は、そんな過密スケジュールの隙間を使ってやり遂げたことがあります。10月発刊予定で制作を進めている新しいCD「杉山三四郎絵本をうたう⑤ 笑おう!」の録音です。これがまた楽しい作業でした。

 今回の制作は、ミュージシャンの野々田万照さんとの出会いからスタートしました。万照さんのことは10年以上も前から彼のライブやイベントには参加していて、音楽性はもちろんのこと、エンターテイナーとしてもすごい人なので、僕もファンの一人だったのですが、僕のライブを長年サポートしてくれているヴォーカリストの清水千華さんの仲介で、万照さんに編曲と録音、そして演奏までをお願いすることができました。

 万照さんのことをご存知ない方のために少しご紹介しておきます。肩書きは、サックス奏者、音楽プロデューサー、シンガーソングライター、編曲家ですが、カレー研究家とか川漁師という顔も持っているマルチな人です。30年ぐらい前から、「高橋真梨子ヘンリーバンド」のメンバーとして、全国ツアーに参加したり、NHK紅白歌合戦にも4回の出場を果たしています。今年は高橋真梨子さんのツアーがなく、そのおかげで、僕の依頼を引き受けていただくことができたのかも…。

 新しい CDに収録する歌は、絵本の歌が10曲と大人向きのライブで歌っているオリジナル曲3曲。この13曲のデモ音源をまず万照さんに聞いてもらったところ、すごく面白がってくれて、編曲が上がってくるのを首を長〜くして待っていたところ、次々と送られてきました。レゲエだったり、ハワイアンだったり、ボサノバ、歌謡曲、ブルーグラスなど、多彩な曲調になっているし、遊び心も随所に散りばめられています。

 遊び心といえば、今回もコーラスで参加してくれた清水千華さん(ちかちゃん)もめちゃめちゃ録音を楽しんでくれていて、もうやりたい放題(?)。長年付き合ってきたけど、こんな才能があったとは! びっくりです。今回は「おおきな木ことば塾」に来ている子たちやお母さんたちも録音に参加してくれましたが、そのコーラス指導もちかちゃんが引き受けてくれました。

 録音はマンテル・ミュージック・スクールのスタジオを貸していただくことができたし、万照さんやちかちゃんの絶妙の指導のおかげで僕の歌もノリノリです。楽器もギターだけでなく、ウクレレ、バンジョー、ハーモニカの演奏もOKをもらうことができて、がんばりました。そして、万照さんのサックスによるご機嫌なアドリブが入り、万照さんの仲間のミュージシャンたちもエレキギターやマンドリンの演奏で参加してくれて、じつにいい味を添えてくれてます。

 自分が作った曲がこんな煌びやかなサウンドに生まれ変わって嬉しいかぎりですが、皆さんにもきっと喜んでいただけると思います。ご家庭や保育・教育現場でどんな風に楽しんでいただけるか楽しみにしています。

※CDの収録曲は最後のページをご覧ください。

おおきな木 杉山三四郎

大自然を満喫! 立山黒部アルペンルート

 梅雨が明け、本格的な夏に突入しましたが、先日、まだまだ梅雨の真っ只中に、2泊で立山に行って来ました。昨年10月に引き続き今回で4回目ですが、夏は初めて。高山植物や高山蝶との出会いが楽しみです。

 立山黒部アルペンルートはマイカー規制がされていますから、富山地方鉄道の終点立山駅に車を置いてから、ケーブルカーで標高977mの美女平まで、7分で一気に500m登ります。そこからはバスで、標高2000m前後に広がる、弥陀ヶ原、天狗平といった広大な湿原を通って1時間弱で標高2450mの室堂バスターミナルに着きます。室堂平は、ミクリガ池やミドリガ池といった火口湖や、有毒ガスを含んだ噴煙を吹き上げる地獄谷があったりと変化に富んだ高原で、高山植物のお花畑が広がっていて、ナナカマドやハイマツなどの低木が生い茂り、天気が良ければ、まさに天空の楽園です。

 しかし、梅雨の真っ只中とあって今回もお天気には恵まれませんでした。初日、自然観察のガイドツアーに申し込んだのですが、雨と強風のため中止。しかも寒い。ダウンパーカーやレインスーツに身を包み、まずは予約をしていた山小屋に。ここは地獄谷のすぐそばにある宿で、硫黄臭が立ち込める野性味溢れる温泉が魅力です。なので、まずお風呂。すると、霧が晴れてきて立山連峰が姿を現してきました。よしっ、チャンス到来。宿を出て周辺を散策しました。まだ雪が残る山肌と池、そしてナナカマドの白い花が絶妙のコントラストを演じています。チングルマやハクサンイチゲの白い花、薄紅色のコイワカガミなどの群生。心が躍ります。今年は雪が少なかったせいで季節の進みが例年より2週間ほど早いみたいで、普段なら一面チングルマの白い花に覆われている季節ですが、すでに花が終わって、赤ちゃんのそよそよ頭のような実になっているものが多く見られました。これはこれで悪くないんですけどね。

 次の日は、というと朝から濃霧に包まれ、おまけに強風。これでは室堂にいてもダメかなと、黒部ダムまで行ってみることにしました。室堂ターミナルから、立山の雄山の地下をくりぬいたトンネルを走るトロリーバスに乗り黒部峡谷を望む大観峰へ。そこからロープウェイで黒部平まで下りてから、さらにケーブルカーで黒部ダムまで下ります。その日、室堂は一日中ひどい天気だったみたいですが、なんと黒部側は晴れていて、黒部ダムに堰き止められてできた黒部湖と、長野県との境となる後立山連峰が一望できて、絶景を満喫しました。ここでも数多くの高山植物に出会いましたが、とてもこの欄には書ききれないのでやめておきます。

 そして、同じ道を引き返して室堂へ。室堂は濃霧&強風。でも、宿に向かう途中ライチョウの親子を見ることができてラッキー。この時期はひなを連れているので、可愛いですね。じつに癒されます。

 3日目も濃霧&強風。早々に室堂を引き上げて、弥陀ヶ原で自然観察ガイドツアーに参加しました。お天気は雨でしたが、ちゃんとガイドをしていただけました。湿地帯特有のニッコウキスゲ(富山ではゼンテイカというそうです)、ワタスゲ、ワレモコウなどが一面に咲いていて、湿原好きにとってはたまらない風景です。

 コロナ禍になる前の年、スイスのユングフラウやマッターホルンを望む雄大な山岳地帯で高山植物や高山蝶の撮影をしながら山歩きを楽しみました。またいつか行きたいとずっと思い続けているのですが、日本アルプスもスイスアルプスに負けてないかも…。

おおきな木 杉山三四郎

大人と子どもがいい関係でつながれる場に

 最近、また時どきマスコミやミニコミの取材を受けることが増えてきましたが、その時よく聞かれるのが、「どうしてこの店を始めようと思ったんですか? 『おおきな木』を始めることになった動機を聞かせてください」ということです。単純に言ってしまえば、僕は子どもが好きで、子どもと関わる仕事がしたかった、ということなんですが、もう少し突っ込んで言うと、「大人と子どもがいい関係でつながれる場所を作りたかった」ということがあります。

 では、僕が思うその「いい関係」とは? 大人と子どもの関係というと、親と子、先生と生徒だったりしますが、その両者が、教育する側とされる側という関係ではなく、共に育つ関係、すなわち「共育」という関係であることが子どもにとっては大事なのではないかと思うのです。子どもに、ああしろ、こうしろと指図ばかりする親よりも、自分が興味を持ったことに一緒に付き合ってくれる親の方がいいんじゃないかと。親の方も、親子で一緒に楽しめることを見つけていけばいいのです。親子で共通の体験をして、感動を共にする時間をもっと持ってほしい、そんなふうに思います。

 おおきな木が主催する野外塾もそんな時間を提供する場です。親子でいっしょに野山を歩いて、そこらに生えている草を食べておいしかったとか、川で遊んで、捕まえたエビやザリガニを食べたとか…。大人にとっても驚きがたくさんあると思います。子どものものだけにしておくのはもったいないです。そして、その親子で体験したことは生涯心の中に残っていきます。

 絵本を読むことも同じです。親子で一緒に絵本を読んで、笑ったり、驚いたり、泣いたり、歌ったりしたことは、子どもにとってだけでなく、親にとっても楽しい記憶として残っていきます。子どもが字を読めるようになってくると、「自分で読みなさい」と突き放してしまう親も多いですが、絵本を読む時間も子どものものだけにしてしまうのはもったいないです。二人で感動を共にする共同体験が大事なんです。

 僕が小学校時代に出会った先生で記憶に残っているのは、子どもたちとよく遊んでくれた先生です。プールで一緒に泳いでくれたり、ドッジボールで遊んでくれたり、昆虫採集に連れていってくれたりした先生がいました。もちろんその先生の授業も楽しかったです。我が子たちが小学校で出会った先生も、記憶に残っているのは一緒に遊んでくれたり、やんちゃな子どもたちをただ面白がって見てくれてた先生です。

 親や先生以外にも子どもは成長過程でいろんな大人に出会います。そんな大人の存在も結構大きかったりします。自分の子ども時代を振り返ってみても、何人かあります。魚とりに連れて行ってくれた親戚の叔父さん。プロ野球のナイターに連れて行ってくれた、母親が営んでいたパン屋の常連のお客さん。母はおおらかな人柄だったので、店のお客さんや出入りしていた業者の人なんかも家族の旅行やキャンプにもなぜかくっついてきてたりしていて、そんな人たちにも僕は可愛がってもらってたような気がします。

 こういう人たちをひとからげにして「謎のヘンな大人」と呼んでもいいと思いますが、子どもに対して、ああしろ、こうしろとうるさく注意するだけの大人でなく、ただ一緒に遊んでくれるだけの大人です。こんな「ヘンな大人」に僕もなれたらいいなあというのが、おおきな木がオープンした頃からの僕の願いでした。

おおきな木 杉山三四郎

雑多な大都会東京でディープな一日

 先日、2年ぶりに東京に行ってきました。昨年発刊された絵本『なきむしせいとく 沖縄戦にまきこまれた少年の物語』(たじまゆきひこ作/童心社刊)が、第54回講談社絵本賞に選ばれて、その贈呈式に出席するためです。毎年ご案内をいただくのですが、出席するのは初めて。定休日でもあり、日帰りで行ってきました。

 『なきむしせいとく』については、昨年、僕も中日新聞のこども文庫欄で紹介したりしていて、田島さんに直接お会いして僕の気持ちもお伝えできたらと思いました。授賞式では、選考委員の絵本作家長谷川義史さんが選評を語られていましたが、最近、日本は武器を増やさなくてはいけないという動きになっていて、非常に恐ろしい。それよりもっと大事なことがあるはずだ。そんななか、こうした悲惨な過去があったことを伝える絵本が大御所の絵本作家田島さんが描かれたことはすごいことだ。そうです、僕もそう思います。太平洋戦争で唯一地上戦が繰り広げられ、兵隊以上に多くの民間人が犠牲になった沖縄戦のことは忘れてはいけないと思います。田島さんはこの作品が出来上がるまで、何度も取材を重ね、沖縄戦を扱ったたくさんの本や手記を読んで打ちのめされ、それを絵本にしていく作業はとてもつらかったとおっしゃってました。

 二度と戦争を起こしてはいけない。このことを次の世代に向けて、折りにつけ発信していかなくてはいけません。武力で国を守ることなどできなかった国です。そのことを忘れてはいけません。それなのに…。平和って何なのか、いろいろ考えさせられた会でもありました。

 そして、せっかく東京に行くのだからと、仕事の打ち合わせを一件と、もうひとつ目的を作りました。小石川植物園です。NHKの朝ドラ「らんまん」の影響で町を歩いていても雑草が気になって仕方がないという方が結構あるようですが、僕もその一人で、東京に行ったら牧野記念庭園かここに行こうと思ってました。「らんまん」は、植物学者牧野富太郎の生涯をモデルにした物語で、小石川植物園は牧野さんが研究拠点としていた場所でもあって、このドラマに合わせて、「牧野富太郎と小石川植物園」という企画展示も行われていました。東京のど真ん中にありながら広大な森林公園で、ここに国内外から集められた無数の植物が生えています。今回はあいにくの雨でしたが、傘をさしてドラマの主人公万太郎のように目をキラキラさせながら2時間ほど歩きました。天気の良い日にまた訪れたい場所です。

 さて、一通りの用をすませてから、東京で仕事をしている娘を呼び出して、神田で居酒屋に。そしたらその近くにちょっと気になる看板が。「FOLK酒場Showa昭和」。これは行かねば、というわけで娘と同伴で店の扉を開けると、僕と同世代かつ同類と思われるおじさん、おばさんが席を埋めています。そして、ステージではギターで井上陽水の歌を弾き語っているおじさんが。ヤバいところに来てしまいました。スタッフもお客さんもみな顔見知りのような感じで、「順番が回ってきたらぜひ歌ってください」とのこと。先ほどからステージで演奏されていたのはみんなお客さんだったんですね。当然僕もギターを借りて歌いました。アンコールがかかったので、自分のオリジナル曲までやってしまいました。娘も豪華バンドをバックに堂々と歌ってました。

 というわけで、植物を愛で、平和のことを考え、おまけに歌まで歌って、東京という大都会の多様性と奥深さを体験できたディープな一日となりました。

おおきな木 杉山三四郎

いくつになってもフォークソング魂で

 今年3月、70歳になってしまいました。古来稀(まれ)なる長寿で、「古希(古稀)」といわれる歳です。

 ということで、昨日(4/23)、おおきな木2階で「杉山三四郎KOKIコンサート」を行いました。節目の年の記念にしたいという思いから、全曲僕のオリジナル曲で、5人のミュージシャンを迎えての豪華ライブを企画したわけです。5人のうち2人は、いつもサポートをしてくれているキーボードとベースですが、昨日はそれにサックス、ギター、パーカッションの3人が加わり、僕のオリジナル曲がじつにきらびやかなサウンドで生まれ変わり、絵本ライブでおなじみの『ぶきゃぶきゃぶー』なんかもすごいことになってました。全員が集まってのリハーサルは一度だけだったのですが、初めて聞く歌にバッチリ演奏を決めてくれるとこは、さすがはプロのミュージシャン。会場を埋めたお客様にもいっしょに歌っていただいたり、しんみりと聴き入っていただいたりで、楽しんでいただけたのではないかと思います。「入場料が安すぎる」というクレーム(?)もいただきましたが、集まってくれた皆さんに感謝です。

 話はずいぶん遡りますが、僕と音楽の出会いはいつだったのかなあと考えてみました。記憶にある初めての出会いは小学1年生。クラスの担任が音楽の先生で、授業で作曲を教えてくれたのです。4小節ぐらいの短い歌を作って楽譜に書く、という授業でした。このときに作った歌は今でも口ずさむことができます。ですが、その後音楽とはあまり縁がなく、どちらかというと小学生時代は昆虫採集の方にハマってました。

 ところが、中学生になって、音楽室で催された「レコードコンサート」で聴いた歌が心を揺さぶりました。そのころアメリカで流行っていたフォークソングで、ピーター・ポール&マリー(PPM)の『花はどこへ行った』『悲惨な戦争』などの歌です。英語の歌詞なのでその時は何を歌っているのかはよく分からなかったんですが、後になってそれらは反戦歌だったということを知りました。当時アメリカはベトナム戦争を続けていて、反戦歌の名曲がたくさん生まれました。クラスのHRでもみんなで歌いました。僕も貯金をはたいてギターを買い、学校に持っていったりもしました。

 高校時代には岐阜市内でもフォークソングのコンサートが開かれるようになり、高石ともや、高田渡、中川五郎、加川良、岡林信康などを聴きに行きました。フォークソングというのは、「世の中に対して言いたいことがあれば誰でも自由に歌っていいんだ」というひとつのウエーブで、それに僕もハマりました。僕も友だちとバンドを作り、作詞・作曲もし、文化祭で歌いました。大学でもフォークソング同好会に所属してましたが、ザ・フォーク・クルセダーズ、五つの赤い風船、かぐや姫、井上陽水、そして、PPM、ボブ・ディランなどの歌やオリジナル曲をコンサートで歌いました。

 その後、就職、結婚などを経て、人前で歌うことはほとんどなくなってしまいましたが、今の仕事をするようになってからはそんな機会もできるようになって、また歌をつくり始めました。そして昨日、「愛と平和を叫ぶ!」と銘打ってフォークソング魂(?)で歌いました。バンドのメンバーやお客様から感動しましたと言っていただけましたが、一番楽しんでいたのは僕自身だったことは間違いありません。

※今回は、若い方には聞いたこともないミュージシャンの名前が羅列されてますが、どうぞお許しくださいませ。

おおきな木 杉山三四郎