私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。
絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。
読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。
最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?
絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。
遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。
先日、岐阜県が主体となって主催した「エンジン03 in 岐阜」というイベントにゲスト出演をさせていただきました。各分野の専門家の方たちが一堂に集まり、「知の交流」を図るというシンポジウムです。岐阜県内で16種のテーマで行われ、僕が参加したのは、「図書館の楽しみってナンヤローネ?」というテーマです。
そもそも僕は、毎日、本に囲まれて仕事をしてますから、図書館にわざわざ出かけて行って読書をするという習慣がないので、本当に僕でいいんだろうかとも思いましたが、そんなことは承知の上で選んでいただいてるだろうからと、遠慮なく、ただありのままに、素直に思っていることをしゃべらせていただきました。
では、書店と図書館はどんな関係にあったらいいのでしょうか。「エンジン03」のちょっと前に、絵本業界の名物社長である、児童書専門出版社「絵本館」の有川さんに別件で電話をしたところ、話が図書館の話題に変わっていきました。親子で本屋に来て、子どもが「この絵本買ってー!」と言って持ってくると、「その絵本は図書館にあるでしょ」と言って却下する親がいるという話です。どこの本屋でもそういう話があるんですね。おおきな木でも、そういう光景は、「図書館」だけでなく、「保育園にあるでしょ」「学校にあるでしょ」も含めると毎日のように遭遇します。。
図書館によく足を運ばれる方は、ときには書店にも足を運ばれると思いますが、図書館にない本を探すのは相当難しいし、図書館でお気に入りの本を見つけたからほしい、とたぶんその子は言ってるんでしょうね。絵本館が作って配っているリーフレットに、「図書館や学校・園で何度も借りてくるあの絵本。自分だけの絵本になったらもっとうれしい」と書いてあります。子どもは気に入った絵本があると、何度も何度も読みたがります。だから、1冊1,000円〜2,000円の絵本なんて安いもんです。と、書店としては思うんですけどね。
「エンジン03」でご一緒した講師の方々は、新潮社編集長の中瀬ゆかりさん、社会学者の古市憲寿さん、女優・歌手・作家の中江有里さんで、書き手である皆さんも、できれば本は本屋で買って読んで欲しいというというのが本音だと思います。中江さんは、本代はお布施だと思ってください、などともおっしゃってました。
さて、図書館の話に戻りますが、岐阜市には2015年に「みんなの森メディアコスモス」という複合施設ができ、その2階は仕切りの壁が一つもない広々とした市立図書館になっています。休みの日には親子連れもたくさん訪れていて賑わっています。陳列も楽しいし、自由に読めるスペースもたくさんあります。こんな立派な図書館が近くにあったら、本屋さんは大変なんじゃないですか、と心配していただける方もありました。しかし、今のところ、その影響はほとんどなさそうです。
そして、ありがたいことに、図書館主催のイベントに出演させていただいたり、作家さんの講演会で販売をさせていただいたりということもあります。岐阜県内には他にもこうしたお付き合いをさせていただいている図書館がいくつかあります。しかし、中には、図書館で本を販売することはNGのところもありますが…。
図書館は本を自由に読めて借りることもできるところ、本屋は本を買うところ、どちらも本好きが集まる町の文化拠点です。図書館でお気に入りを見つけて自分のものにしたい、となったら書店に足を運ぶ。そんな動線を行政にも積極的に作ってもらえたら嬉しいです。
おおきな木 杉山三四郎
人はなぜ、高い山に登りたがるんでしょうね。そこは、下界を見下ろす天上界だからではないでしょうか。
先日、またまた立山登山に行ってきました。立山は、富士山、白山と共に、日本三霊山の一つで、古くから全国各地の人々から崇められてきた山です。どれぐらい古いかというと、西暦701年に、越中国司の嫡男である佐伯有頼という人が、当時16歳で神の導きによって開山した、というようなことが立山雄山神社のパンフレットに書かれています。それ以来、修験者が修行をする山となったわけです。そして、江戸時代ごろには、立山の麓の町には宿坊なども生まれて、多くの人が登るようになったようですね。当時利用されていた室堂小屋は、今もそのまま史跡として残されています。
今では、立山黒部アルペンルート(1971年6月1日に全線が開通)ができて、麓の立山駅からケーブルカーとバスで、1時間ちょっとで海抜2500mの室堂まで行き、そこから登山道を歩いて2時間ちょっとで雄山頂上まで行くことができます。ですが、昔の人は何日もかけて登ってたんですよね。登山道すらまともにはなかったと思われるので、誰でも行ける場所ではなく、まさに「異界」であり、神々に最も近い天上界で、ここに死後の世界を想像したわけです。
立山というのは単独峰ではなく、雄山(3003m)、大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)の3つの山の総称ですが、屏風のように聳えるこの連山は極楽だったんでしょうね。その隣には浄土山という名の山もあります。そして、室堂平には地獄谷という場所がありますが、ここは今でもガスが噴き出す、まさに地獄のような景色です。室堂からさらに標高にして500mほど下ったところには、弥陀ヶ原という広大な湿原が広がっていますが、ここには「ガキ田」と呼ばれる池塘がいくつも点在しています。これは地獄に堕ちた亡者たちが作った田んぼであるということで、こう呼ぶそうです。
立山博物館に行くと、この死後の世界が描かれている仏教絵「立山曼荼羅」というのが見られるそうですが、その想像力には驚きです。一度実物を見てみたいものですが、いつも目一杯山歩きを楽しんで帰って来るので、とても立ち寄る時間がありません。
さて、今回も目一杯山歩きを楽しんできました。自然大好き人間にとっては、高山植物や高山の生き物たちが目を楽しませてくれます。夏ももうすぐ終わるという時期でしたが、まだまだ夏の花は残っているし、秋をイメージさせる、ワレモコウやリンドウ、キキョウの仲間にも心が躍ります。イワショウブの白くて小さな花には、高山蝶のベニヒカゲやコヒョウモンが群れていました。こんな光景は初めてでした。8月に立山を訪れたのがそもそも初めてでしたからね。山は、訪れる季節や標高でその様子は全然異なっていて、同じ場所に何度行っても飽きることがありません。
観光客にも大人気のライチョウにも毎日会えました。浄土山の山頂で出会った親子は、僕の足元まで平気で近づいてきました。全く警戒心がないんですね。
最終日には、お天気にもそこそこ恵まれ、雄山にも登り、雄山神社で御祈祷をしてもらい、みんなで万歳をし、御朱印ももらってきました。山頂からの眺めは、雲海が広がり、後立山連峰の山々が頭を覗かせています。一瞬、遠くに槍ヶ岳も姿を見せてくれました。下界は灼熱地獄ですが、天上界は極楽であります。生きているうちにあと何回極楽に行けるでしょうか。
おおきな木 杉山三四郎
6月から7月にかけて、5泊8日でスイスに行ってきました。『スイス鉄道ものがたり』(宮脇俊三 文、黒岩保美 絵/福音館書店/1992年初版、現在絶版)という絵本に触発されて、よし、この鉄道の旅をするぞーと意気揚々と出かけたのが5年前。スイスアルプスの雄大な自然に圧倒されて帰ってきました。来年も行きた〜い、冬にも行きた〜いと思っていたのですが、コロナ禍に突入。4年間は、やむなく大人しくしていました。
そして、今回はいろいろ巡るのではなく、ユングフラウ地方のヴェンゲン(標高1274m)という村に4泊して、そこを拠点にして大自然の中を歩き回りました。
ヴェンゲンからは、断崖がそそり立つメンリッヒェンという山に向けて、標高差約1000mを5分で登るロープウェイがあり、そこから頂上(2342m)までは歩いて20分ほど。ここが天空の楽園なのです。南を見れば、アイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)のオーバーラント三山が巨大な屏風のようにそびえ、西には、眼下にヴェンゲンの村、その向こうにはラウターブルンネン(795m)のU字谷があり、落差が300mほどもある滝がいくつも見えます。そして、東には、この地方の観光地としては一番人気のグリンデルワルト(1034m)の村々が広がり、それを囲む山々も氷河や残雪に彩られた2000〜3000m級です。
今回の一番の目的は高山植物を愛でることでしたが、冬はスキー場になるこのあたり一帯は牧草地で、どこを歩いてもお花畑。春から夏にかけて咲く、リンドウ、キンポウゲ、ワスレナグサ、クロッカス、オキナグサ、リュウキンカなどが咲き誇り、日本では見かけない花もいくつかあります。のどかな風景の中、牛たちのカウベルの音が聞こえてきて、これがまたじつに「スイス」です。今回、写真を700枚ほど撮ってきました。もしよろしければ、花や風景の写真の一部を当店HPの「さんしろうブログ」でご覧いただければと思います。
さて、スイスという国は皆さんご存知のように観光立国で、僕たちが訪れたときも世界各国からの観光客でいっぱい。地元のドイツ語や英語だけでなく、いろんな言葉が聞こえてきます。英語は大体どこでも使えて、困ったときも片言の英語で何とかなります。今回泊まったホテルの女将さんはとてもフレンドリーで、日本語交じりの英語でいろいろ話しかけてくれました。
そして、鉄道がすごい。こんな山奥に行く登山鉄道も大体30分に1本はあって、乗り換えの接続がどこも絶妙です。時間も正確。さすがは時計の国です。車体のデザインがどれもセンスが良くて、絶景にも溶け込んでいます。また、観光客が使いやすいように、スーツケースなどの大型荷物や自転車を置くスペースもあるし、犬も乗ってきます。犬もよく躾けられているなあと感じました。そして、何よりすごいと感じるのは、揺れないということ。レールの上を滑るように走ります。
今回、ヴェンゲンは2度目の滞在だったので、大体の地理感覚は頭に入っているので、その日のお天気に合わせて、鉄道、バス、ロープウエイ、ケーブルカーなどを利用してユングフラウ地方をいろいろ歩き回り、同じところに2度3度行ったりもしました。そして、鉄道だけでなく、ハイキングコースやバイクコースが整備されているところもスイスの魅力です。今回歩いたところを全部紹介するような紙面はありませんが、どこを歩いても風景は雄大だし、お花畑は見事でした。
また、いつかヴェンゲンに帰りたいと思います。
おおきな木 杉山三四郎
1か月以上も前の話で恐縮ですが、5月、夫婦で上京して参りました。なんと「第12回ブロンズ新社書店大賞リスペクト賞」をいただけることになり、その授賞式に出席するためでした。グランプリではなくパッション部門リスペクト賞という賞でしたが、2人分もご招待いただき、喜び勇んで行って参りました。
ブロンズ新社は児童書専門の出版社ですが、社名はご存じなくても、『だるまさん』シリーズ(かがくいひろし作・絵)といえば、絵本を読まれる方でしたら誰でもお分かりかと思います。他にも、鈴木のりたけさんの『しごとば』シリーズ、ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』に始まる一連の絵本などは大変多くのファンの方があり、こうした力ある作家さんたちを世に送り出してきた出版社でもあるわけです。
そのブロンズ新社がこんな弱小書店にも気をかけていただけるというのはとても嬉しいことです。売上で見たら大型書店にはかなわないわけですが、その「パッション」に共感していただけてるのかも知れません。
授賞式は夕方から、そしてその後、祝賀パーティーです。受賞された全国の書店さんや、ブロンズ新社のスタッフさんも大勢来られているし、なんと、今をときめく絵本作家さんもずらりご出席ということで、皆さんにお会いしてお話するのを楽しみにしていました。
昨年秋に八王子であった全国の書店の集まりでもお会いした五味太郎さん。まだまだバリバリお元気で、おしゃれで、一段とオーラを放っておられました。
tupera tuperaのお二人は、昨年秋にリリースした僕のCDアルバム「笑おう!」に二つの絵本を収録させていただいたりでお世話になってますが、奥様の中川敦子さんとは初対面。想像どおりの素敵な方でした。
今や絵本作家としてベテラン領域に達していると思われるマルチタレント中川ひろたかさん。中川さんとはバンド「トラや帽子店」のころからの30年近いお付き合いなのですが、お会いするのは久々でした。
『しごとば』の他、最近では『大ピンチずかん』(小学館)が大ヒットの鈴木のりたけさんも久々の再会。テレビでも時どきお見かけするヨシタケシンスケさんには初めてお会いしました。『ちくわのわーさん』などのコテコテの大阪弁絵本を描かれている岡田よしたかさんは、一体どんな人なのか気になってましたが、あの絵の通りのホンワカとした方でした。『たまごのはなし』などでファンが増えつつある、しおたにまみこさんにお会いできたのも嬉しかったです。他にも、ゆっくりとお話しできなかったのですが、100%ORANGEのお二人、あだちなみさん、おーなり由子さん、高山なおみさん、長野陽一さんなどにもお会いできました。
今回、次の日もプログラムが組まれていて、午前中は大村製本さんの工場見学。今まで出版社を訪問することはあっても、印刷所や製本所に行ったことはほとんどありません。今、日本でもしかけ絵本がさまざまありますが、製本技術の進化でこうした絵本を作ることができるんですね。新しくブロンズ新社から出た『どんどんめくり』(やぎたみこ作)という絵本の製本工程を見ることもできましたが、特殊な機械にお二人の職人さんがついて、大変苦労されていました。その後、ブロンズ新社の事務所も見学し、手の込んだお弁当までいただいて、何かとためになる一日でした。
とまあ有意義な二日間で、こんな機会を作っていただいたブロンズ新社さんに改めて感謝申し上げます。
おおきな木 杉山三四郎
みなさんはニリンソウという花をご存知でしょうか。雪が溶けて一斉に群生する花ですが、このニリンソウの絨毯やその他の亜高山帯に咲く春の花に会うために、5月中旬にまた上高地を訪れました。
上高地の魅力はといえば、何といってもあの清流梓川。あんなに美しい川は他では見たことがありません。うちの娘の名前にもしてしまったくらいです。そして、雪が残る穂高連峰と焼岳。コロナ騒動が起こる前に夫婦でスイスの山々を歩き、また行きたいと張り切っていたところ海外には行けなくなり、上高地で我慢しよう、などと傲慢な気持ちで訪れたところハマってしまったのです。それまで上高地というと登山の出発点でしかなく、人が多いのを避けて通過してましたが、大変残念なことをしてたわけです。そして、コロナ騒動の真っ最中は人がほとんどいなくて、バスもホテルもほとんど貸切。コロナの恩恵に預かりました。
でも、今年はそうは行きません。半分以上は外国人客。いろんな言語が聞こえてきます。修学旅行の中高生たちも来ています。でも、この雑踏は河童橋までで、そこから整備された登山道を歩くと、あちこちから、コガラ、ヒガラ、ミソサザイ、オオルリ、コマドリ、アオジなどの鳥たちの鳴き声が聞こえてくるし、愛らしい花々が目に飛び込んできます。
河童橋から岳沢湿原を通って明神へ。標準タイムは60分ですが、誘惑が多いのでその倍ぐらいの時間がかかります。ここまで来るとニリンソウの大群落が広がっていて、さらに徳沢まで90分ぐらいかけて歩きましたが、ずーっとニリンソウの群落が続いています。
ご存知ない方のために少し解説しておきますと、一本の茎に、ギザギザに切れ込みがある葉っぱが茎を抱くようについていて、その上に二輪の白い花が咲くので「二輪草」という名前がついています。厳密に言うと、この白い花は萼片で、花びらはない植物です。この白い萼片が普通は5枚ですが、中には10枚ぐらいついているものもあるし、緑色の花もまれに見かけます。雪国の春の訪れを告げる花の一つだと思いますが、ここの群落は見事です。でも、花が終わると葉も枯れて地上から姿を消してしまうんですね。こういう花々のことを、スプリングエフェメラル(春の妖精)と呼ぶことがありますが、おなじみのカタクリの花などもその一つですね。
今回、このニリンソウの他に期待していた花がサンカヨウ。昨年6月に訪れた時には花はほとんど終わっていましたが、今年はバッチリ。花が終わってもその後青い実がなり、それはそれで風情があるのですが、柔らかそうな大きな葉っぱの上に茎を伸ばして付く清楚な白い花は可憐な少女のような美しさです。
他に今回出会った花は、ツバメオモト、オオバキスミレ、エゾムラサキ、エンレイソウ、ムシカリなど、上高地を代表する美しい花々。山菜もいろいろありました。至るところにコゴミゼンマイ、ヤマドリゼンマイ、タラ、ハリギリなど。でも、上高地は一切の採取が禁止となっているので、地元の人でもこれを食べることはできないのだそうです。クマが出るからと言って大規模な伐採をしているくせに、と思いますけどね…。
徳沢でビールを飲んで休憩し、明神に戻ってくると、びっくりすることが起こりました。大学時代からの付き合いの友人にばったり。こんなこともあるもんなんですね。お互い同行者が未知の女性ではなくて、正式な奥方でよかった、というのが今回の旅のオチでした。
おおきな木 杉山三四郎
5月5日はおおきな木の誕生日。今年30歳になります。30年もやってきたという実感はほとんどないのですが、今度の30周年記念パーティに向けてそのヒストリーを整理していて、つくづく、「いろんなことやってきたよなあ」とため息をついています。
「ことば塾」と「野外塾」はずーっと続けていますが、他にも、造形教室、絵画教室、バイオリン教室、英語教室なんかもやってました。絵本原画展も月替わりに開催し、絵本作家の講演会も年に何度も開いてました。人形劇やおはなし会なども毎月やってたし、保育士さんなどを対象にしたセミナーもやってました。
また、あのころ、今では知る人も少なくなってしまった「トラや帽子店」という保育業界では抜群の人気を誇ったバンドがあり、そのコンサートも3回開催しました。会場は1600人のホール。チケット発売日には早朝から店の前に行列ができて、近所の方からいったい何ごとかと訝られるような状態で、なんとチケットはほぼ即日完売でした。今から思うと夢のような話です。その直後、トラや帽子店は解散となり、3人のメンバーはそれぞれ別の道を歩んで活躍されていますが、あのバンド時代は夢のようです。あのようなチケット売上はないものの、その後結成されたケロポンズなどのコンサートやセミナーも何度かやりました。
とても今では考えられないほどイベントを頻繁にやってましたが、こうしたイベントを企画して一番大変なのは人を集めることです。これがいつごろからかだんだんと難しくなってきました。どうしてでしょうね。
ことば塾と野外塾、そしてこうしたイベントを開催するにあたり、開店当時から僕たちが考えていたコンセプトは、「親子で感動を共にする時間を作る」ということでした。絵本を読む時間というのはまさにそんな時間ですよね。親子で絵本を開いて、笑ったり驚いたりした時間はかけがえのない記憶として子どもの心に残っていきます。「うちの子は本が嫌い」とおっしゃる方がありますが、たぶんそんな時間を持てなかった方じゃないでしょうか。「うちの子は虫が嫌いで」とおっしゃる方もありますが、やはり親子での自然体験がないのでは、と思ってしまいます。当店主催の野外塾では親子で参加される方も多いですが、共に自然体験をする時間、これも本当に貴重だと思います。
『こどもを野に放て!』(春山慶彦 編/集英社)という本を読んでいたら、なぜ少子化対策で子どもは増えないのか、というくだりがありました。子どもが減ると将来労働力が減る、だから産め産めと金をばら撒いている。でも、本来子どもが欲しいという気持ちはそんなお国の都合ではなくて、赤ちゃんは可愛いから欲しい、産みたい、育てたいという、動物的な本能であることを忘れてはいけない、ということですね。
子育てをとっくの昔に終えた人間だから言うのかも知れませんが、子どもはあっという間に大きくなってしまいます。家族みんなで子育てを楽しむ時間なんて決して長くないんです。30〜40代になってしまった我が子たちですが、当時のことは親にとっても忘れられないことばかり。可愛くて、面白くて、楽しい思い出です。
女性の社会進出も進み、昔に比べてお母さんたちもとても忙しくなっているように思います。親子向けイベントに人が集まらなくなってきているのはうちだけの話ではないようです。お金を稼ぐことよりも大切なことがあります。皆さん、子育てをもっと楽しみませんか。
おおきな木 杉山三四郎
時どきこんなことを考えます。もしも、あの日、あのとき、あの場所に行ってなかったら、今の自分はどうなってたんだろうか、と。
僕にとっての「あの場所」というのは、大学の学生課。大学2年の夏休みのアルバイトを探しに行きました。そこで見つけた1枚の募集広告。「長野県のキャンプ場で、子どもたちのお世話をする仕事」で、期間は夏の40日間、寝食付きで日給2,000円です。バイト代は安いけど、面白そうなので応募しました。応募者多数でしたが、面接に見事通って現地に向かいました。それはラボランドという名のキャンプ場で、ラボ教育センターという言語教育事業を行う会社が運営する施設です。そこに全国の子どもたちと先生や親が、1班につき500〜800人ぐらいずつ3泊4日でやってきます。おそらくこのときは7〜8班あったのではないかと思います。
この40日が僕の生き方を大きく変えました。大学に入るまでは受験勉強が第一であると擦り込まれて生きてきましたが、そのキャンプで出会った約40人のリーダーたちは、同じ大学生なのに勉強よりもいろんな経験値が高いのです。キャンプのスキルが高い人、歌やゲームの指導が上手い人、登山家、釣り師、水泳選手などいろいろいます。一番刺激を受けたのは、スキルがどうのこうのよりもその自由な生き方で、自分の小ささをつくづく感じさせられました。でも、そのキャンプでは僕もある程度の存在感を発揮することができて、潜在していた「自分」に出会うことになってしまいました。
その後、紆余曲折を経て、そのラボ教育センターに3度目の挑戦で就職できることになりました。ラボは小さな会社ですが、これまたユニークな経歴を持っている先輩方が大勢いて、ここでもまた刺激を受け、仕事にも誇りを持っていました。そして、もっと力を発揮したいという気持ちをずっと持っていたので、カルチャーセンターの写真教室に通ったり、演劇研究所に通ったり、そして、編集者を養成する日本エディタースクールにも通いました。ここで出会ったのが、径書房の創業者である原田奈翁雄さん。本を作るということはどんなことなのか、その心構えやスキルを学び、原田さんを訪ねて何度か水道橋にある径書房にも足を運びました。
そして、そこで出会ったのが、『子どもが主人公』(徳村彰、徳村杜紀子著/径書房)という1冊の本。徳村夫妻が横浜で始めたひまわり文庫の活動が書かれていますが、そのモットーが「子どもが主人公」。大人の常識的な価値観から子どもを解放しようという活動、とでも言ったらいいのかよく分かりませんが、放埒な子どもたちに囲まれて生きる徳村夫妻の姿に感銘を受け、またまた刺激を受けることになりました。
その後、「子どもが主人公」という言葉は仕事をする上においてもずっと頭にこびりついていて、結局自分の思いを実現するには独立するしかないと、17年勤めたラボを退社し、おおきな木を始めることになりました。机上ではなく、直に子どもたちと触れ合っていける場が作りたくて、「ことば塾」と「野外塾」の二つの塾を立ち上げた、というわけです。
今「野外塾30周年のつどい」に向けて30年を振り返るスライドショーを制作していて、ここでもいろんな出会いがあったなあとしみじみしながら写真を眺めています。僕が、あのとき、あの場所に行ってなかったらこの出会いもなかったわけです。そして、今のパートナーとも出会うこともなかったわけで…。面白いですね。
おおきな木 杉山三四郎
毎年、「美しい海(ちゅらうみ)」を求めて、沖縄の離島に渡り、海で泳いだりホエールウオッチングをしたりしてきましたが、今回は山にも行ってみようと、生まれて初めて「やんばる」に足を踏み入れ、山歩きを楽しんできました。2月の沖縄もおそらく初めてかも。
那覇空港でレンタカーを借りて高速道路で名護へ。人気店で沖縄そばを食べてからやんばるに入ります。あちこちで桜が咲いています。沖縄でも最初に咲くというヒカンザクラ(カンヒザクラ)です。
まず本島の最北端に行ってみようということで、訪れたのが大石林山(だいせきりんざん)。石灰岩が何百万年もの間に侵食されてできたゴツゴツの岩々が独特の風景を生み出しています。遊歩道を歩いていくと、ソテツの群落やガジュマルの林があり、クワズイモやオオタニワタリなど、巨大な天然の観葉植物に覆われています。展望台まで登ると、最北端の辺戸岬が眼下に見下ろされ、海を隔てて鹿児島県の与論島がよく見えました。2月というのに蝶もたくさん飛んでいて、トベラの花にはジャコウアゲハが群れていました。
辺戸岬からは島の東側の県道を走ってホテルに向かいます。やんばるでは行き交う車も少なく、海と山とパイナップル畑が広がっています。そして、ホテルで車を降りると、キョキョキョキョーという鳥の声が聞こえます。ひょっとしてヤンバルクイナではないかとスタッフの方に尋ねるとやはりそうで、ホテルの庭にも姿を現すことがあるとのこと。その晩、ラッキーなことに至近距離で見ることができました。
ヤンバルクイナは1981年に新種として登録されたとのことですが、こんなに大きくてよく鳴く鳥で、しかもあまり警戒心がなくて人里にも現れる鳥が、なんでそれまで発見されていなかったのかというのが不思議です。おそらく地元の人たちには昔から愛されていた身近な鳥だったんでしょうが、研究者の目には止まっていなかったということなんでしょう。でも、やんばるにしか生息しない天然記念物であることには変わりなく、初やんばるでこの子に会えたのはラッキーだったと思います。このクイナくん、翼がなくほとんど飛べないのに、夜は樹上で過ごすのだそうで、一体どうやって木に登るのかぜひ一度目にしてみたいものです。
このホテルでは、他にもノグチゲラという固有種のキツツキも見られるとのことでしたが、これはタッチの差で見ることができませんでした。でも、沖縄ならではのイモ虫に遭遇。日本最大の蝶といわれるオオゴマダラの幼虫です。ホテルの庭に食草であるホウライカガミが植栽されており、そこに数頭群れていました。黒地に薄黄色の縞模様、さらに赤い点々があるド派手な幼虫です。蛹は黄金色に輝き、まるで宝石のようです。
やんばるの2日目は、慶佐次湾のヒルギ林のマングローブカヌーツアーに参加。地元のガイドの方にやんばるの文化や植物などについていろんな話を聞きました。そして、午後は本島最大の滝といわれる落差25.7mの比地大滝を見に、往復2時間ほどのハイキングを楽しみましたが、ここでも固有種の鳥に会えました。頭から背中がオレンジ色で顔から胸にかけてが黒いホントウアカヒゲです。確かに黒い髭を生やしているようないでたちですが、可愛い小鳥です。この子も至近距離まで来てくれて、バッチリ写真に収めることもできました。
次にまたやんばるを訪れる機会があれば、時季を変えてぜひヤンバルテナガコガネに会いたいものです。
おおきな木 杉山三四郎
「おおきな木野外塾」の新年度会員の募集が始まりました。4月から第31期になります。野外塾も30周年になるんですね。1994年5月15日、第1回のプログラムは「春のデイキャンプ」でした。岐阜市内の岩戸公園から歩いて妙見峠を越えて達目洞まで歩き、秘密基地で一日を過ごすというプログラムで、講師にアウトドアの鉄人二名良日(ふたなよしひ)さんが来てくれました。
お天気は雨。いきなり雨だったらどうしよう、という不安が的中。だけど二名さんは、「大丈夫大丈夫、テントを張ればいいんですよ」というではありませんか。さすが、世界の秘境を探検してきた人は言うことが違います。そこで、大きなブルーシートを購入し、秘密基地に張ることに。張り方がまた大胆です。シートの四隅に小石を包んでコブにして、それにロープを巻き付けて、丈夫な立木にくくりつけます。そのロープのかけ方がまた大胆。ロープの先に手頃な石をくくりつけて上の方の木の股めがけてエイっと投げるわけです。
このテント張りは子どもたちにも大ウケして、その後雨の日の一つのパフォーマンスとして定着し、毎年1、2度はやっているのではないでしょうか。野外活動は何でも、そりゃあ雨よりも晴れていた方が気持ちがいいに決まってますが、雨でも十分楽しめることを初回に教わったわけです。今でも雨が降るとテントを張り、雨具を着て遊んでいますが、大人よりも子どもの方が全然平気ですね。どろんこの崖を滑ったり、大きな水たまりにいかだを浮かべて遊んだこともありました。
二名さんには他にもいろんなことを教わりましたが、たき火で焼く木の枝パン(棒パン)もその一つ。手頃な棒っ切れを拾ってホットケーキミックスなどのパン種をぐるぐると巻いてたき火で焼くだけです。遠火で20〜30分じっくり焼いて、ほんわかと膨らんできたら食べごろ。これに、野草や野いちごのジャムをトッピングすることもあります。ワイルドでしょ。
30年、いろんな野草やキノコを食べたり、あまり綺麗とは言えない川で泳いだりしてきましたが、不思議なことに、大した衛生管理などしていないのに食中毒が起きたことがありません。もちろん、毒草、毒キノコは食べないとか、食器はクレンザーで洗ったら天日(紫外線)乾燥をするとか、野外塾流の衛生管理はちゃんとしてますよ。でも、消毒スプレーをかけたりするような、かえって体に悪いようなことは避けてきました。人間の体にはそもそも自分の体を守ってくれている常在菌があるわけで、消毒のしすぎはその菌も殺してしまうので、自己免疫力が落ちてしまいます。
子どもたちは自然の中で遊ぶことによって、体力と生きる力を育てていきますが、野外塾ではそんな自然(野生)の力のことを「野力(のぢから)」と名づけました。そして、「時間・空間・仲間」の3つの「間」を用意することが大事であるということをモットーにしてきました。子どもたちが自由に遊べる時間、自然と触れ合える空間、そして共に過ごせる仲間です。これといった遊具もない自然空間で、子どもたちは時間を忘れて本当によく遊びます。そして、いろんな年齢の子がいますが、歳の差などほとんど気にすることなく気の合う仲間を見つけます。大人の方も大勢参加されていますが、大人同士の関係性も広がってくると、一体誰の子かも分からなくなっているような光景も多々見られて、大家族で過ごしているような気分です。「野力」のおかげで、人の輪も広がり、本当に嬉しいかぎりです。
おおきな木 杉山三四郎
新しい年を迎えました。今年の5月5日には、おおきな木は満30歳になります。あれから30年も経ったという実感はあまりありませんが、古くなった床やオーニングなどを見ると、それなりの時を感じざるを得ませんし、何より自分の顔が、開店当時の写真と見比べると、その「経年劣化」にため息が出てしまいます。
先日、あるパーティーに出席したら、「三四郎さんにお会いできてとっても嬉しいです。昔、野外塾でお世話になってました」と声をかけていただいた女性がありました。お名前を伺ったら、その野外塾に参加していたお嬢さんのことは覚えていました。あれから25年ほどが経ち、現在33歳だとのこと。店や絵本ライブに来られる方でも、「昔、野外塾やってました。無人島にも行きました」とか「ことば塾に来てました」という方にちょいちょい出会います。30年というと世代一回りですよね。開店当時お子さんを連れて来られたという方が、今度はお孫さんを連れて来られます。最近そういう方が本当に多くて、嬉しい限りです。
最近、新聞やテレビ、子育て関連サイトなどに取材していただくことがありますが、「30年前と今では変わったことってありますか?」とよく聞かれます。子どもも変わったのでは、と感じておられる方もありますが、僕は、本質的には変わってはいないと思います。少なくとも、今、野外塾やことば塾に来ている子たちや絵本ライブで出会う子どもたちが、自然に触れたり、絵本に触れたりして見せる姿は何年経っても同じです。
しかし、開店当時ほとんど予測できていなかったことがこの間いろいろありました。30年前には、国民一人ひとりが通信機器を持ち歩くなんてことは考えられませんでした。インターネットが登場した頃は一体何のこっちゃ!?でした。それが、あれよあれよという間に当たり前になって、スマートフォンやタブレットを子どもたちも使いこなす時代になりました。IDとパスワードがあればどこにいても買い物ができるし、本や雑誌を読まなくてもいろんな知識や情報を得ることもできます。インターネットが出現してから、町の本屋はどんどん姿を消していきました。そして、長年愛読されてきた雑誌もどんどん姿を消しつつあります。
便利にはなったものの、それを悪用して人を騙す輩もどんどん増えているのには頭に来ます。自分もまんまと騙された経験がありますが、その巧妙な手口には呆れるばかりです。自分は生来ずっと性善説に基づいて人付き合いをしてきたつもりですが、最近はそれでは危うくなってしまいましたね。いい話はまず疑ってかからなくては、です。嫌な世の中になってしまいました。
ということで、子どもの本質は変わらなくても、周りの環境はずいぶん変わりました。でも、いいこともあります。それは男性の子育て参加が増えたこと。開店当時は父子で来店する方は多くありませんでしたが、最近ではごく普通になって、おんぶや抱っこはお父さんの役目だったりもします。野外塾も父子参加が増えました。昔はお父さんが参加されても居場所がないということもありましたが、今ではお父さん同士も子どもの話題で繋がれるので、ちゃんと居場所があります。それどころか、子どもと付き合うことで自分の子ども時代が蘇り、子ども以上に活動に興じておられる方も少なくありません。大人にも子どもの魂は宿っています。世の中いろいろ変わっても、子どもの魂を支えていけるような仕事を今しばらく続けていきたいと思っています。
おおきな木 杉山三四郎
今年も残すところあと1か月。もうすぐクリスマスがやってきますが、クリスマスが特別な日であることを改めて教えてくれる絵本があるのでご紹介します。『戦争をやめた人たち…1914年のクリスマス休戦』(鈴木まもる 文・絵/あすなろ書房)。
第一次世界大戦が始まった年にヨーロッパ戦線で本当にあった話をもとに描かれています。12月24日の夜のこと、イギリス軍の兵士が撃ち合いに疲れて塹壕に身を隠して休んでいると、どこからか歌声が聞こえてきます。なんとその声は鉄条網をはさんで対峙するドイツ軍の塹壕から聞こえてくるではありませんか。イギリス兵たちもよく知っているクリスマスの歌「きよしこの夜」です。すると、イギリス兵たちもそれに合わせて歌い始め、今度はその声がドイツ兵のところにも届き、拍手が起こります。言語は違ってもキリスト教徒なら誰でも知っている歌がその後にも両軍の塹壕で続きます。
そして、その翌朝のこと、一人のドイツ兵が武器を持たずに塹壕を飛び出し、イギリス軍の方に向かってきます。イギリス軍は銃を構えるのですが、一人の若者の兵士が銃を持たずにそのドイツ兵に近づき、二人は握手を交わします。すると、両軍の兵士たちは全員塹壕を飛び出し、相手の兵士と「メリークリスマス」と挨拶を交わし、故郷にいる家族の話などで盛り上がり、誰かが上着をまるめてサッカーボールを作ると、サッカーが始まったのです。それは夕方まで続いたそうです。
残念ながらそれで戦争が終わったわけではなくて、その後4年も続いたのですが、その兵士たちは戦場に出ても銃を相手に向けることはなかったそうです。。
「いっしょに笑い、遊び、食事をし、友だちになったから、相手にも故郷があり、家族や子どもがいることがわかったからです。国を大きくするために戦争をするより、大切なものがあることがわかったから、この人たちは、戦争をやめたのです」。この絵本はそう締めくくっています。
今、連日テレビや新聞で伝わってくるのが、イスラエル軍によるガザ侵攻のニュース。イスラエル軍はガザ地区住民が避難している学校や病院などを攻撃し、今朝(11/23)の新聞によると、ガザ側の死者は14,000人を超え、そのうち5,000人以上が子どもだというではありませんか。イスラエル軍の言い分は、病院の地下にイスラム武装組織のハマスの司令部があるからだと攻撃を正当化しようとしていますが、だからといって何の罪もない市民を巻き添えにしても構わないのかと言いたいです。軍は、病院の地下にトンネルが見つかったとその映像を公開していますが、今どきそんなのはいくらでも捏造できる訳で、何の証拠にもなっていないと思います。
日本では、岸田内閣は防衛費を増額して、敵基地攻撃能力を備え、先制攻撃も辞さないという動きを見せています。国を守るためには武器は必要なのでしょうか。子どもの頃、喧嘩をすると、先に手を出した方が負けだよと教えられてきましたが、今回のガザ侵攻も先に手を出したのはイスラム武装組織のハマスの方で、イスラエルに反攻の口実を与えてしまいましたよね。どちらの側に立ってみても、改めて「武力では何も解決できない」と強く思います。暴力は憎しみの連鎖を生むだけです。人の命を奪い、多くの悲劇を生むだけです。
この絵本を描かれた鈴木まもるさんは、あとがきで「この星に、戦争はいりません」と締めくくられています。この思いを世界中の人々に送り届けたいです。
おおきな木 杉山三四郎
当店で今大変よく売れている絵本があります。『100歳になったチンチン電車──モ510のはなし』(小島こうき作、斉藤ヨーコ絵/幻冬舎)。岐阜市にはかつて路面電車が走っていましたが、その中に、モ510形という、なんと大正15年に製造された車両がありました。前面が半円形になっていて、前方と後方のドアの後ろに楕円形の窓がついているので「丸窓電車」と呼ばれていて、鉄道マニアの間でも人気の電車でした。この絵本の主人公はこの丸窓電車で、電車とお客さんとの会話でお話が進んでいきます。
岐阜市の路面電車がすべて廃線となったのは2005年(平成17年)のこと。多くの市民に惜しまれながらモータリゼーションの波に呑まれる形で廃線となりました。もう20年近くも前になるんですね。この絵本にはそのころの岐阜市の街並みがリアルに描かれていて、岐阜市で生まれ育った僕としてはどれも懐かしい風景です。描かれている本屋さん、レコード屋さん、百貨店などは今はどれも姿を消してしまいました。
この絵本には、徹明町駅から一人のおばあさんが乗ってきて谷汲(華厳寺という有名なお寺があります)まで行くという場面があります。徹明町というのは繁華街の柳ヶ瀬のとなり駅で、ここからは関市や美濃市に向かう美濃町線と、現在の本巣市や揖斐川町に向かう谷汲線や揖斐線などが出ていました。
おおきな木が始まったころ、野外塾の昆虫採集プログラムは忠節駅に集合してこの谷汲線に乗って行ってました。のんびりと走る電車ですが、子どもたちは大喜びで、一番前にへばりついてガタンゴトンという音に魅せられていました。僕自身も小学生のころ、この谷汲線で虫採り(おもに蝶々)に行っていて、尻毛(しっけ)、又丸(またまる)というおもしろい名前の駅が続くところが大好きでした。しかし、この谷汲線は市内線より早く2001年に廃線になってしまいました。
渋滞解消がおもな理由だった廃線でしたが、聞くところによるとあまりその効果は出ていないようだし…、今チンチン電車があったらなあ、と思うことがよくあります。富山や熊本、松山など、路面電車が今も活躍している町に行ったことがありますが、どこも活気があるような気がします。観光地にはだいたいこの電車で行けるようになってますしね。岐阜も鵜飼が行われる長良川や岐阜城のある金華山などに電車で行けるようになっていたら、もっと観光客も集まるのではないかと思います。知らない人にとったら、バスはどこに行くのか分からず不安がありますからね。
昨年秋の「ぎふ信長まつり」に、キムタクこと木村拓哉さんや岐阜市出身の伊藤英明さんが騎馬武者行列に参加したり、今夏は長良川の花火大会が復活したりでちょっと盛り上がってきた我が町岐阜市ですが、先日悲しいニュースがありました。柳ヶ瀬の高島屋が来年7月をもって閉店が決まったとのこと。岐阜県唯一のデパートが消えてしまうわけで、全国で4番目のデパートなし県になるんだそうな。地下の食品売り場ぐらいしか利用したことがなかった高島屋ですが、なんか寂しいです。考えてみればチンチン電車もそんなに利用したわけではないので、赤字経営でも何とかしろなどと偉そうなことは言えないですけどね。
おおきな木もいつかはチンチン電車のように消えて行く日が来るのでしょうが、まだしばらくは頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
おおきな木 杉山三四郎