絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


早く堂々とマスクなしで町を歩きたい!

 今年も残すところあと1か月となってしまいましたが、令和3年はどんな年だったでしょう。オリンピックやら衆院選やらいろいろありましたが、結局、昨年に引き続きコロナコロナの1年でしたね。

 でも、ここのところ新規感染者の数が激減しています。嬉しいことですが、その要因は何なんでしょう。ワクチンの効果が表われてきているのでしょうか。でも、日本より接種が先行している欧米の国では、いまだに万単位の新規感染者が出ています。6か月以上が経ってワクチンの効果が薄れてしまったのでしょうか。では、マスクの効果? いえいえ、日本ではほとんどの人がずーっと前からマスクをしてますから、これも無関係。ウイルスが自然消滅したのではという説もありますが、はっきりとしたことは何も分かってないようです。

 さて、感染が爆発していた今年の夏のこと、近くのコンビニに行こうと歩道を歩いていたら、一人のおじさんに「マスクをつけなさい」と注意されました。外を一人で歩いているときにマスクをつける意味はないだろうと思うので、外を歩くときはいつも僕はノーマスクなのですが、店にはマスクをつけてないと入れないのでポケットには忍ばせています。「マスク警察」という人がいるという話は聞いてましたが、実際に会ったのは初めてで、以降「話のネタ」にさせていただいてます。

 律儀な日本人は戦争中の国民服のように誰もがマスクを着用していますが、TPOに応じて自分で着脱を判断したらいいんじゃないかと思うんですけどね。みんなと同調しておいた方が楽だし無難であるということなんでしょうね。周りのみんなと違う行動をとるというのは、なかなか勇気がいることなんです。

 では、みなさんはこのコロナ禍で生活していて、何でこれがコロナ対策なの?と思えるようなことってありませんか。例えばトイレの手洗いのハンドドライヤー。今、どこに行っても使用禁止になっていますが、濡れた手を払う方がよっぽど飛沫が飛ぶような気がします。「トイレットペーパーの三角折りを中止してます」という張り紙も見かけますが、その因果関係も僕にはよく分かりません。ホテルの朝食バイキングなどでは、ビニールの手袋をはめて料理を取るというのが常識になってますが、手指のアルコール消毒をしてから食堂に入っているわけだから、あまり意味がないし、プラスチックごみが増えるだけではないかと思います。どこもかしこも、感染防止効果の有無よりも、ちゃんと対策を取ってますよとアピールすることが大事なわけです。

 とまあいろいろ思うところはあるのですが、コロナのせいで普段以上に人の目を気にして生活しなくてはいけない状態になっていて、ストレスが溜まります。こんな話もありました。長良川のラフティングボートツアーに修学旅行でやってきた学校があって、先生から主催者に、生徒を水に濡らさないようにしてほしいという要望があったとのこと。この寒い時期に体が濡れると風邪をひく、すると周りからコロナの疑いがかけられてしまうからということなんですね。生徒が風邪をひくということよりも、世間の目の方が怖いということです。修学旅行自体を中止している学校も半数ほどあるようですが、これも同様の理由からでしょうね。

 昨年来、僕の出張公演も激減してますが、ここに来て少しずつ声をかけていただけるところが出てきました。「早くマスクなしで堂々と町を歩けるようになってほしーい! 早く同調圧力から解放されたーい!」。

おおきな木 杉山三四郎

絵本選びが個性的!? おおきな木ブッククラブ

 日本では、会員の方に定期的に本をお届けするというシステムをいつのころからか「ブッククラブ」という名称で呼ぶようになっていますが、そもそもブッククラブとは何のことなのかとちょっと調べてみました。発祥はドイツらしいんですが、広まったのはアメリカで、書籍を市価より安く通信販売する会員組織のことで、仲間内の読書会などもブッククラブと呼ぶこともあるそうです。日本では書籍の割引販売はご法度ですからどこも定価販売ですが、おもに児童書専門店がこの定期配本サービスを行っています。当店も開店当初から「おおきな木ブッククラブ」を続けてきました。現在会員の数は250名。他社に比べるとかなり少ないと思いますが、当店の規模から考えたらちょうどいいぐらいかもしれません。1年ぐらいで退会される方もありますが、中には、赤ちゃんのときに始めて、6年生になるまで続けてこられた方もあったりして嬉しいかぎりです。

 ほそぼそと続けてきた当店のブッククラブですが、昨年の春ごろから会員の方が少しずつ増えてきました。理由ははっきりしませんが、新型コロナ騒動でおうち時間が増えたとか、図書館が閉まっていたりといったことも関係しているのかもしれません。

 今さらの話ですが、ブッククラブという検索ワードでネットを調べていたら、各社のブッククラブの比較サイトというのを発見しました。クリックしてみると、そこに取り上げられている10社の中に、なんと「おおきな木」もあるではありませんか。何年か前にアップされたサイトのようで、データ的にはちょっと古いんですが、何か悪いことでも書かれていると困るなと思い、その評価を見てみました。すると、「絵本選びがとても個性的」と書かれています。他社のブッククラブには選ばれていない絵本がたくさん入っていて、「とてもユニーク」だそうです。ユニークなものを選ぼうと意識したことはありませんが、たまたま私たちが気に入っている絵本を選んだ結果がユニークだったようです。

 ちょっと気になって他社の選書も見てみました。各社違いがありますが、ロングセラーを重視してるところは結構ありますね。なぜロングセラーかというと、長い年月、多くの人たちに支持されてきたからということなんですね。でも、それって巷の評価で選んでいるということですから、専門店の存在価値はどうなのって思ってしまいます。ですから、おおきな木のリストにもロングセラーはたくさんありますが、「ロングセラーだからいい絵本だ」といった考えは持っていません。そのロングセラーだって新刊のときはあったわけだし、今、次から次に出版される新刊にも素晴らしい(面白い、楽しい、etc.)作品は常にあって、それを会員の方にも出会っていただきたいという思いがあります。ひょっとしたらこれからロングセラーになる可能性も秘めているわけですしね。ですから、当店のリストには比較的新しい絵本や童話も含まれています。

 ちなみに当店の選書の基準を書いておきますと、①大人の価値観ではなく子どもの感性に響く本、②作者や出版社が偏らないこと、③日本だけでなく海外の作品も選ぶ、④配本月の季節にふさわしいもの、といった感じですが、さらに、⑤皆さんがあまり持ってなさそうなものを選んでいるということがあり、それでちょっとユニークになるのかもしれません。ま、ユニークであろうとなかろうと、本で親子のいい時間を作ってもらえたら、それが絵本屋の喜びなのです。

おおきな木 杉山三四郎

何を信じていいのか分からない時代です

 9月も後半になり、新型コロナウイルスの新規感染者数が徐々に減ってきました。その理由は今のところよく分かってはいないようですが、ワクチン接種が2回終わった人が半数近くになったというのはあるんじゃないでしょうか。というか、そう思いたいですよね。変異株(デルタ株など)には効果が薄くなるとも言われてますが、早くこのコロナ禍から脱出するためにはまず自分の感染リスクを下げなくてはという思いから、僕は接種券が来てすぐに予約を入れて打ちました。副反応もいろいろあるようですが、僕の場合は2回ともほとんどなし。高齢者だからなんでしょうかね。

 日本においてはまだ正式に承認された治療薬はないというなかで、ワクチン接種が今できる最良のリスク回避対策だと思うのですが、まだまだ若者世代の接種率が低いのは何故なんでしょう。打ちたくても予定が合わなくて予約がとれないとか、副反応の心配もあります。働き盛りの人たちからしたら、それによって仕事を休まざるを得ないことになると大変だ。コロナにかかっても重症化する確率は低い。だったら、……。ということなんでしょうね。でも、出どころ不明の怪情報によってワクチンに対する不信感を持っている人たちが少なからずいるというのは困ったものです。

 厚労省のホームページを見てみると、Q&A形式で数ある誤情報に答えてくれてますが、いろいろあるんですね。ワクチン接種が原因で死者が多数出ているとか、ワクチンを打つと不妊になるとか、ワクチン接種をした人が変異株にかかると重症化しやすいとか。これらの情報はおそらくごく少数の人から発信されたものだと思うのですが、今の時代はSNSであっという間に拡散されてしまうんですね。「そもそもコロナなんてないんだ。誰かがでっち上げた陰謀だ」なんていう動画まで広まってますから、びっくりです。

 昨年日本で新型コロナが流行りだしたころ、「私は日赤病院に勤めるものですが……、コロナ患者が多数運び込まれていてパニック状態になっている」という投稿がチェーンメールのように広がったことがあります。僕のところにも何人かの知り合いの方から送られてきました。親しい人から送られてくると、それは正しい情報なのかもと思ってしまうんですね。でも、このときは、発信者が誰なのか何も書かれていませんし、どこの日赤病院なのかも特定されていませんでしたから、僕はこれは怪しいなと思ったんですが、コロナが一体どんなものなのかまだよく分かっていない状況だったので、不安に思った人が拡散してしまったんでしょうね。

 今の時代、何を信じたらいいのか本当によく分かりません。悪意があって発信する人もいるんでしょうが、ほんの冗談半分につぶやいたことが、どこかで真実かのごとく変化して伝わってしまう場合もあります。よく吟味もしないで安易に拡散してしまわないように注意が必要だと自戒も含めてつくづく感じています。だったら、政府や自治体やマスコミが発している報道なら信じられるのかというと、やたら不安を煽るだけのような報道もあって、これも吟味が必要でしょうね。

 要は、どこに感染者がいるか分からないから、人と人が接するときにはマスクをするなどの感染防止対策をするということですよね。あとは自分の頭で判断するしかありません。どう行動しても感染する確率はゼロにはなりません。でも、そのリスクを下げる対策の一つとして、ワクチン接種は有効なのではと思います。

おおきな木 杉山三四郎

セミとも馴染みになれた今年の夏

 今年もあっという間に夏が終わり、夏好き人間としては、毎年この時期は寂しさを感じます。おまけに、今年はとにかく雨が多くて、太陽がギラギラと照りつける「正しい日本の夏」といった日は数えるほどしかなく、ほんと残念な夏でした。しかし、天気には恵まれなくても、山や海でアウトドアは楽しみました。そして、いつもそんなに気にしていなかったセミの鳴き声もそこそこ判別できるようになってきました。

 今年初めてセミの声を聞いたのは、5月の荘川(岐阜県高山市)でのキャンプ。盛んに鳴いていたのがエゾハルゼミです。図鑑によるとその鳴き声は、「ミョーキンミョーキン、カナカナカナカナ」となっていますが、たしかに前半と後半部分では違う鳴き方をしています。最初、ヒグラシが鳴いているのかと思ったのですが、時期が早すぎるし、ちょっとおかしいよな、何だろう、と思っていたら、子どもたちがエゾハルゼミの♂を捕まえてきてくれて、「ああ、これだったんだ」と判明。

 6月には、奥飛騨の平湯温泉から上高地へ行きましたが、ここでもエゾハルゼミが盛んに鳴いていました。鳥の鳴き声も誰が鳴いているのか分かると嬉しいですが、セミも同じですね。7月になって板取(岐阜県関市)の山奥に渓流釣りに入った時には、今度は正真正銘のヒグラシが鳴いていました。谷筋に響くあのカナカナカナカナは何とも侘しい気持ちになります。

 そして、梅雨が明けると朝から賑やかなのがクマゼミ。我が家の小さな庭にある何本かの木にびっしりとしがみついて、オスたちは必死にシャーシャーシャーシャーと求愛のメッセージを送っています。子どもの頃、このあたりにはクマゼミはあまり多くなくて、あの透き通った翅の大型のセミはあこがれでしたが、今では街中はクマゼミ天国と化しています。しかし、クマゼミは昼ごろになるとピタッと鳴くのをやめて、それまで負けていたアブラゼミの鳴き声が街中に響きます。

 やたらといるクマゼミやアブラゼミはあまりありがたくないのですが、7月下旬に、岐阜市内のキャンプ場で昆虫採集キャンプをしたときにミンミンゼミが鳴いていたのはちょっとびっくりでした。ミンミンゼミというともっと山の方にいるという感覚だったんですが、こんな里山にもいたとは。今まで気がつかなかっただけなのかも知れませんが、ちょっと嬉しいです。

 8月に入ると野外塾恒例の無人島キャンプ。瀬戸内海のその島では、クマゼミ、アブラゼミの他に、ツクツクボウシが俺も負けてはいないぞとばかり、朝から張り切っていました。彼らは夜も休まず鳴いてますから、たいしたもんです。話は変わりますが、セミは食べても美味しいらしくて、今年の無人島でも食べていた親子がいました。何ゼミだったんでしょうね。僕も、塾長として、かつ、やがて訪れる昆虫食の時代に備えて、子どもたちを見習って食べてみなくてはいけないんですが、今のところセミもコガネムシも食べてません。

 8月中旬からは雨が続きましたが、運よく雨が上がった休みの日、長良川源流の山、大日ヶ岳に登ってきました。見晴らしのいい尾根伝いにジジージジーと響くかったるい声。俺のことを呼んでいるのかとムカつきましたが、エゾゼミです。必死に鳴いているオスの姿を何頭も発見。近づいてもなかなか逃げていかないので、いくつか素手で捕まえておみやげに持って帰りました。これは今僕の標本箱に収まっています。──というわけで、セミと馴染みになれた夏でもありました。

おおきな木 杉山三四郎

自由かつ多様な五輪開会式だったけど…

 いよいよ東京オリンピックが始まりました。7月23日、夜8時に始まった開会式、ご覧になられましたか? 統一感がないとかといった感想もありましたが、各分野のプロフェッショナルたちの力が結集されたパフォーマンスがどれも面白かったし、一糸乱れず行われるどこかの儀式とはまるで違って、バラバラ感がまた良かったのではないかと思ってます。

 中でも面白かったのは、50種目の競技のピクトグラムを2人の身体表現で表すパフォーマンス。アイデアはもちろんのこと、ここにもバタバタ感があって良かったです。すごいと思ったのは、1824台の発光するドローンを使って会場の夜空に巨大な球体を描いたやつ。シンボルマークから地球へと変化していきましたが、ドローン同士がぶつかったりはしないだろうかとヒヤヒヤして見てました。どうやって制御してるんでしょうね。

 選手の入場も延々と続いて、途中で居眠りしてしまいましたが、これも面白かったです。派手な民族衣装で目を引く国もあれば、旗手がトップレスで肉体美を見せつけている国もあったり、整然と歩くような国はほとんどなくて、自由かつ多様でいいなあと思って見てました。また、こんな国や地域があったんだと新発見があったり、国名が変わってたんだーといった国もあり、いい勉強にもなりました。

 翌日の野外塾(当店主催)に参加した子どもたちも開会式は見てたようですが、時間が遅くて最後まで見せてもらえなかったと嘆いていた子もいました。暗くならないと意味がないパフォーマンスなので、こういう時間帯になったんだと思いますが、天皇陛下のあいさつは数十秒で終わったのに、その他のお偉方のあいさつが十数分もあったりして、予定より随分延長してしまったとか。ここまでたどり着くまでが大変だった五輪だけに、ま、仕方ないかとも思うんですが、もっと空気を読んでいただかないとダメでしょうね。

 それにしても、今回の五輪、またそれに続くパラリンピックはいろいろゴタゴタがありました。大会エンブレムの盗作疑惑、新国立競技場の当初の設計が巨額の予算オーバーで白紙撤回になるとかに始まり、今年になって組織委員会会長が男女差別発言で辞任するという騒動もありました。他にも人権意識に欠ける行動をしていた開会式の演出関係者が続々辞任しました。情けない話ですが、それでもちゃんと開会式ができたというのは彼らの存在はそれほどでもなかったのかも…。

 個人的にはスポーツは見るのもやるのも大好きで、4年に一度のオリンピックも毎回テレビ観戦を楽しんでいますが、今回は「祭典」としていまひとつ喜べない複雑な思いがあります。新型コロナウイルス感染が再拡大しているという状況で、国民の大半が中止または延期を求めるなか強行されたのはどうしてでしょうね。そもそもを辿ってみると、原発事故の放射能問題を心配する各国を相手に、「完全にコントロールされている」と宣言して東京に誘致して「復興五輪」と言ってみたり、「コロナに打ち勝った証拠として」といった美辞麗句を並べてみたり。いったい何を根拠に言ってんだろと思いませんか? 違和感だらけです。

 無観客で、各国の選手団、ご来賓、スタッフなどみんなマスクをして参加するという異様な開会式でしたが、今の世情を象徴する歴史に残る大会となることには間違いありません。何はともあれ、始まった以上、選手たちを応援し観戦を楽しみたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

虫採りで自然界の不思議をのぞいてみよう

 先月は、コロナの影響でキャンプブームになっているという話を書きましたが、ここ2〜3年、子どもたちの間で昆虫ブームが起きているような気がします。おおきな木では28年の間「おおきな木野外塾」という自然体験活動を行なっていますが、昔から虫好きはたくさんいましたが、最近とくに増えているように思います。

 何を隠そう、僕自身も子どものころは昆虫少年でした。小さいころはバッタ採りをするぐらいがせいぜいでしたが、小学3年生の夏休みの作品展で、同級生が出していた昆虫標本を見てから蝶々にハマっていきました。その標本箱にあったルリタテハ。濃紺と褐色が入り混じった黒っぽい地色に、ルリ色の帯模様。こんなきれいな蝶がいるんだと感動しました。ちょっと郊外に出かけていけば出会える普通種ですが、子どもにとっては珍しかったし、たとえ見つけたとしても飛翔力がすごいので虫採り網に入れるのは至難の技なのです。

 岐阜市には、名和昆虫博物館という虫好きな人たちが集まるところがあって、そこで、本格的な補虫網や、標本にする道具も一式手に入れ、高学年になると友だち同士で、電車やバスを使って遠くまで採集に出かけるようなります。標本箱には憧れていた珍しい種類も増えていきました。しかし、僕の蝶々熱は中学2年ごろには覚めてしまい、実家を離れるころにはその標本たちはすべて標本虫にやられて粉々になっていました。

 でも、やがて第二ブームがやってきます。ちょうど長男が生まれたころだったと思うのですが、小学生のときにいっしょに採集に行っていた友だちがまだ採集を続けていることを知り、誘われて長野県や山梨県まで採集に行きました。子どものときとは違って機動力があるというのは強みですね。図鑑でしか見ることがなかった垂涎の蝶に出会うことになって蝶々熱が再燃しました。今だから言いますが、当時、長野県方面に出張に行くことが結構あったので、採集シーズンになると車にはちゃんと補虫網が積んでありました。

 そして、今の仕事をするようになってからはあまり休みも取れなくなって、標本作りはやめてしまいましたが、子どもたちと一緒に虫探しを楽しんでいます。子どもたちの一番人気はやはりカブト、クワガタですが、ハンミョウやハムシなどの小さな甲虫類にも眼が行く子も結構います。その刺激も受けて、最近僕も小さな甲虫やカメムシなどの美しさに惹かれています。図鑑で調べてみても同定はなかなか難しいのですが、ルーペで覗いてみると実に神秘的で、惚れ惚れしてしまいますよ。

 先日、中日新聞(中日こども文庫)でもご紹介した「むしとりにいこうよ!」(はたこうしろう作/ほるぷ出版)という絵本ですが、虫好きのはたこうしろうさんが子どものころの体験をもとに描かれています。お兄ちゃんにくっついて虫採りに行ったものの、弟くんの目には虫の姿は全く入ってこなくて、「虫なんていないよー」なんて言ってます。でも、お兄ちゃんは虫がいそうな木や草を知っていて、タモを使ってガサゴソやると、ハムシやゾウムシやオトシブミなどの小さな虫たちが網に入ってくるんですね。自然の中に入れば必ず何かの虫がいるわけですが、それに出会えるかどうかは「虫を見つける眼」が必要です。虫好きな子たちは、この絵本のお兄ちゃんのような行動をとっています。

 自然界は不思議に満ちていますが、虫採りをすることは、子どもたちにとって「センス・オブ・ワンダー」を体験する格好の遊びなのではないかと思います。 

おおきな木 杉山三四郎

キャンプブームの中、山菜キャンプなのだ

 皆さんご存知かどうか分かりませんが、世の中では今や空前のキャンプブーム。週末ともなるとあちこちのキャンプ場は大賑わいで、平日や冬の間でも結構のキャンパーが来ているようです。何十年も前から、毎年当たり前のようにキャンプを楽しんできた身としては、これまた一体どうしたこと?という感じですが、昨年秋に野外塾で行ったキャンプ場で今まで見たこともないような光景が広がっていて、それを実感しました。ここには30年ぐらい前から行ってますが、立派なテントがびっしりと埋まっていて、こんな光景は初めてです。

 このブームは新型コロナウイルスが一役買ってます。海外旅行は行けないし、国内旅行でもいろんな意味で恐怖感があるし、ならば屋外で密閉が避けられるキャンプならいいんじゃないかということなんでしょうね。アウトドア用品の有名ブランドメーカーでは品薄が続いているという話もあるし、スポーツ用品店はもちろんのこと、ホームセンターまでも特設キャンプコーナーができているのでびっくりです。

 このブームの中、5月中旬に富山県の某キャンプ場に行ってきました。ここも30年ほど前から使っているキャンプ場ですが、満杯だったらどうしようと、数年ぶりに恐る恐る訪れてみました。すると、だーれもいません。ここにはブームは来ていないようでした。

 僕にとってこの時期のキャンプ最大の目的はというと「山菜」です。ここのテントサイトにはアサツキが雑草のように生えていて、山菜の上にテントを張っているようなものです。10分ほど歩いて行くと、秘密の谷があって、けもの道を踏み分けてクマに警戒しながら登って行くと、渓流沿いにワサビが群生しています。ウドがにょきにょき生えている場所にも遭遇。ギボウシもちょうどいいのがあちこちにあるしで、もう山菜の王国です。「雪国っていいなあ」とこの時期限定で憧れています。

 さて、その10日ほど後には、野外塾の「雪国の春キャンプ」に20数名の親子で行ってきました。場所は高山市荘川。ここも山菜の宝庫です。一番のお目当てはネマガリダケの竹の子。タイミングはバッチリで、子どもたちも藪をかき分けて竹の子狩りに夢中になりました。仕込みが大変ですが、皮むきも有志が集まってやりました。できた竹の子料理は信州流竹の子汁。僕が若かりし頃、長野県信濃町で居候をしていた家のご夫妻に教えていただいた食べ方ですが、これが今でも毎年この時期のお楽しみになっていて、野外塾でも恒例。たくさん作りましたが、完食でした。ここでは竹の子の他に、ワラビが一面に生えているところがあり、子どもたちはワラビにもしばし夢中。家にお土産に持って帰るんだと、ワラビの束を握っている子もいました。このキャンプでは、ウドやイタドリの天ぷら、クレソンのピザなどもいただきました。

 野外塾では、野生の力(ワイルドパワー)のことを「野力(のぢから)」という造語で呼んでいますが、山菜はまさに「野力」。これを食べて体力も付けています。そして、野に放たれた子どもたちは、チョウやガやセミなどの昆虫や、イモリやトカゲなども捕まえてきて目を輝かせていますが、これも「野力」です。

 キャンプ場に、「のんびりと自然の中で大人のキャンプを楽しみませんか」と張り紙がしてありましたが、僕の場合、自然の中にいると誘惑が多すぎて、子どもと同じでじっとしてはいられないので、当分「大人のキャンプ」はできそうにありません。

おおきな木 杉山三四郎

楽しく勉強できる「バーバパパのがっこう」

 『おばけのバーバパパ』(アネット=チゾン/タラス=テイラー作、山下明生訳/偕成社)という絵本はご存知でしょうか。僕がこの絵本に出会ったのは、大学をやめて北信の田舎町で一人暮らしをしていた時でしたが、最近、このシリーズの一冊『バーバパパのがっこう』という絵本をあるきっかけで紐解いてみました。

 先月もこの欄でご紹介しましたが、この春、岐阜市に草潤中学という公立の不登校特例校が開設されました。学校案内の表紙には「ありのままの君を受け入れる新たな形」と書かれています。校則もなければ、校歌も校章もない。決まった制服や体操服もないし、給食もなし。担任は生徒が自分で選ぶとか、通学形態もみなそれぞれでOKという、今までの公教育の常識を破った試みがされています。その草潤中学の開校式で話題になったのが、『バーバパパのがっこう』(講談社)です。来賓として参加された京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之さんが、「理想の学校」としてこの絵本を紹介されて、列席の方々が感銘を受けました。

 バーバパパは何にでも形を変えられるおばけで、これまでもその「特殊能力」を使っていろいろと人助けをしてきました。バーバ一家は全部で9人。バーバママとの間には、7人の個性豊かな子どもたちがいます。

 ある日、バーバパパたちが可愛い友だちを連れて学校に来てみると、生徒たちは教室で大暴れ。学級崩壊状態です。親やおまわりさんたちは、「子どもはびしびし躾けることが肝心だ」と言うのですが、バーバパパはその意見には反対で、「子どもは、楽しみながら勉強させてやらなくっちゃいけません」「音楽が好きな子どももいるし、鳥や動物が好きな子どももいます。そんな自分の大好きなことを勉強するのなら、きっと喜んでやりますよ」と、新しい学校を作ることにしました。子どもたちが勉強したいことは様々なんですが、バーバ家族はみな個性豊かなので、特殊能力も駆使してそれぞれに合わせた教科を受け持つことができるんですね。そして、一年が経ち、学校は楽しく勉強ができる場所になってバーバパパは大満足。バーバパパは言います。「子どもたちは学校でたくさんのいろんなことを勉強しました。だけど、何よりも素晴らしいのは、みんなみんな、楽しく幸せにやっているということです」と。

 「バーバパパシリーズ」はフランスのお話ですが、さて、日本の学校は楽しく勉強できる場所になっているでしょうか。おおきな木では野外塾という活動を行なっていますが、その子たちに「学校は好き?」と聞いてみると、ほとんどの子が「嫌い」と言います。どうしてでしょう? だいたいの想像はつきます。意味があるのかないのか分からないような校則があったり、宿題、宿題で苦しめられたりの毎日。楽しいはずがありません。子どもたちがやりたいこと、知りたいことはみなそれぞれあると思うのですが、そうした多様性を受け入れることはできていません。不登校特例校だけでなく、どこの学校でも、「ありのままの君を受け入れる形」に発想を変えていくことができれば、みんな学校が大好きになるんじゃないかと思うんですけどね。

 先日、今期最初の野外塾「春のデイキャンプ」を行いましたが、同じ場所にいてもみんながやりたいことはみんな違います。主宰者として、いろいろと教えたいこともない訳ではありませんが、何よりも大事なのは、「みんなが楽しく幸せにやっている」とうことです。みんな違って当たり前。多様性を楽しみたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

「ナージャの5つのがっこう」から思うこと

 今回は『ナージャの5つのがっこう』(K.ナージャ  文、市原 淳 絵/大日本図書)という絵本をご紹介します。著者のキリーロバ・ナージャさんは、旧ソ連のレニングラードに生まれて、ロシアの小学校に通っていたのですが、科学者の両親の転勤で、小学校3年生の時にイギリスの小学校へ転校したのを皮切りに、その後、フランス、アメリカの小学校を転々とし、4年生の時に日本の小学校に転校してきます。その5か国で実際に通った地元の学校の違いを紹介しているのがこの絵本です。

 まず、教室の座席のレイアウトの違い。日本では、黒板とその前に立つ先生に向かって座るのが一般的ですが、イギリスでは大きめのテーブルが並んでいて、5〜6人が囲みます。グループで勉強を教え合うというスタイルですね。フランスでは、みんなの机がひとつの輪になって並んでいます。みんなの顔がよく見えて、先生はその輪の中に入って子どもたちに語りかけるという形です。まるで国連の会議のようですね。アメリカはさらにすごくて、この輪の中にカーペットが敷かれ、その上にソファもいくつかあって、そこで読み聞かせをしたり、ディベートをしたりするそうです。授業中はおしゃべりは禁止で、先生の言うことにしっかり耳を傾けるという日本の教室とは違って、子どもたちが自由に意見を言い合うことが重視されているんですね。先生はファシリテーターとしての役目を担っています。

 ランチの取り方もみんなずいぶん違います。日本では、ランチルームがある学校もありますが、大抵のところでは教室で全員が同じ給食を食べます。ロシアでもほぼ同じなんですが、朝食も給食なんだとか。この絵本には書かれていませんが、イギリスやアメリカは給食を食べてもいいし、家からランチを持ってきてもOKで、給食のメニューを見て決めたりする子もいるんだとか。そして、フランスでは、長い昼休みがあって家に帰って家族と一緒に食べる子が多いんだとか。

 お国によって学校のシステムは大きく違うんですが、ナージャが一番びっくりしたのは日本の学校です。みんな、同じかばんに同じ帽子、名札、上履き、防災頭巾。プールではみんな同じスクール水着に帽子、教科ごとにノートがあるのもヘン。不思議なことだらけです。

 この欧米と日本の学校の違いを一言で言えば、多様性を認めるか認めないかの違いではないかと思います。現在は日本の電通でコピーライターとして活躍されているナージャさんですが、彼女のブログにはこんなことも書かれています。日本の学校の初日にあった数学のテストで、全問正解だったのに、数字の書き方が違っているので不正解だと言われたというんです。アラビア数字やアルファベットの書き方は国によってまちまち。なのに、日本ではひとつしかないと言われたとか。

 欧米の国々では、人種、宗教、思想、貧富の差などが多様化しており、それを前提として学校教育がなされていますが、日本も様々な面で多様化しています。でも、島国根性というのか、異質なものを認めていくことにはまだまだ抵抗感があるように思います。画一的なスタンダードがあることによって、それに馴染めない子は不登校になっているのが現状です。

 この春、岐阜市立草潤中学という、多様化を認めることをコンセプトとする不登校特例校ができます。制服も校則も校歌も給食もない、授業の受け方や先生は生徒が自分で選べるという画期的なことが書かれていますが、これからどんな展開を見せるのか楽しみです。

おおきな木 杉山三四郎

春の妖精ギフチョウに魅せられて

 皆さんはスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)という言葉をご存知でしょうか? 直訳すると「春の儚きもの」となりますが、日本語では「春の妖精」と普通呼ばれています。春真っ先に一面に可憐な花を咲かせたと思ったら、1〜2週間後にはすっかり姿を消してしまう、そんな植物たちのことで、その儚さゆえにそう呼ばれているのです。

 その代表的な花といえば、やはりカタクリではないでしょうか。そして、もうひとつ、僕自身が子どもの頃から馴染みがあるショウジョウバカマ。岐阜市内でもちょっと山に入れば見ることができます。この2つの花が特別な意味を持つ訳が実はあって、どちらもギフチョウが吸蜜に訪れる花だということです。

 スプリング・エフェメラルというのは、植物だけでなく、ギフチョウのような春限定で姿を現す蝶たちのこともそう呼ぶことがあります。ギフチョウの他に、ミヤマセセリ、コツバメ、ツマキチョウなどがいますが、いずれも儚げな蝶々たちです。これらも桜の咲く時期に成虫となり、その後姿を消してしまうのです。

 さて、その春の妖精ギフチョウですが、僕が初めて出会ったのは小学生のころ。蝶好きの同級生たちと春になると谷汲(現在は岐阜県揖斐川町谷汲)とか、岐阜市内の三田洞とか逹目洞(だちぼくぼら)に、虫採り網を持って出かけました。谷汲は今では採集禁止になっているみたいですが、当時はそういう規制はなく、子どもだけで名鉄谷汲線に乗って行き、どこかから仕入れた情報によるポイントで採集をしました。腐葉土の萌える匂いに包まれた開けた里山の道を歩いて行くと、ひらひらと舞い降りてくる白っぽい蝶。それがギフチョウだと判ると、もう胸はドキドキでした。興奮しながら網に入れることができたのはほんの数頭だったと思うのですが、家で展翅坂に翅を広げているときは幸福感に満ち満ちていたわけです。

 十代半ばともなると、蝶への興味は失せてしまうのですが、やがて家庭を持ち、子どもが成長していっしょに昆虫採集をするようになると、また火が着きました。大人になると機動力がありますから、いろんなところに行けます。ですが、ギフチョウだけは子どもの頃に行った場所にも出かけて行きます。卵の採集もし、飼育もしました。幼虫になると食草のカンアオイをよく食べるので、その採取がなかなか大変でした。その飼育個体は標本箱にずらーっと並んでいますが、今では標本にする根気もなくなり、もっぱらカメラに収めるところまでなんですが、興味は尽きません。

 こんな憧れのギフチョウの生態を絵本にしている人がいます。舘野鴻(たてのひろし)さん。カンアオイの葉の裏に産み付けられた10個の卵。それが孵化して黒い毛むくじゃらの幼虫になって、やがて蛹になり、翌年の春までおよそ10か月間をずっと雑木林の落ち葉の下で暮らす。そんな様子を細密な絵で描かれています。卵から成虫になるまでには、アリやオサムシやネズミやモグラなどに食べられてしまうので、100個の卵から成虫になるのはわずか2〜3匹なんですね。

 舘野さんの絵本は、『ぎふちょう』(偕成社刊)に続いて、『つちはんみょう』『しでむし』『がろあむし』が出ましたが、『ぎふちょう』はともかく、あとはマイナーな虫たちです。でも、そこには壮絶ともいえるミラクルなドラマがあるんです。3月27日、ギフチョウのシーズンに舘野さんがおおきな木にやってきますよ。

おおきな木 杉山三四郎

大家族の中で育つ子どもたち おおきな木野外塾

 今年は岐阜市内でも新年早々雪が積もりました。関市内の保育園で絵本ライブを終えると、パラパラと雪が舞ってきて、子どもたちは大喜びで園庭に飛び出していきました。子どもって雪が大好きですよね。僕も、子どもの頃は、朝起きて雪が積もっていると心が踊ってましたからね。子どもの特権です。

 雨でもそうです。水たまりができると、大人は避けて歩くのに、子どもはわざわざバシャバシャと入って遊びますからね。野外塾でもそうです。テントの屋根に溜まった雨水を浴びてはしゃいだり、泥んこの中にわざわざ足を突っ込んだりして遊んでますからね。時には、泥んこの山の斜面をお尻で滑って遊んでいたこともありました。アンビリーバブルです。

 でも、こういったことは一人っきりでもやるんでしょうか。やる子もいるかも知れませんが、たぶんみんなでやるからエスカレートしていって楽しくなるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。

 おおきな木では、自然の中で思いっきり遊びたいという思いで、27年にわたって野外塾を続けてきました。昨年は、新型コロナの影響で春の活動が中止になったりしましたが、その後は毎月のプログラムをほぼ予定通り続けてきました。ウイルス感染の心配がないわけではありませんが、自然の中で遊んでいる限り、三密は避けられるわけで、子どもたちは弾けてます。

 長年続けてきていつも思うことは、「子どもって群れで育つんだなあ」ということです。野外塾は、何をしてても基本は自由ですから、野に放たれた子どもたちは、一日山の中の秘密基地でみんな好きなことをして過ごしています。落とし穴を掘り始める子、ロープコースやブランコで遊ぶ子、ひたすら何かを拾っている子、汗びっしょりで鬼ごっこをしてる子、水で遊ぶ子、生き物に夢中の子、隠れ家を作る子、たき火のそばから離れない子、みんないろいろ。自然の中には子どもたちの興味をそそるものがたくさんあるんです。

 野外塾では上下関係は全くないので、お互いの学年など気にしてないみたいで、ただ自分の興味で動いていた時にそばにいた子と自然に繋がりができます。お互いを〇〇さんと苗字で呼び合っているところはあまり見たことがなく、たいてい下の名前で呼び捨てで遊んでいます。ずっと年上の子に対しても呼び捨てですが、憧れの友だちでもあります。そして、年上の子たちは小さい子たちの面倒もよく見てくれて、遊ぶ時には年下の子もちゃんと誘ってくれたりします。いろんな生き物や食べられる植物に出会ってどうしたらいいのか分からなくても、お互い教えあったりしてるんですね。僕も今までの人生の中で学んできたことを、子どもたちにおもしろく伝えることはしてますが、子ども同士で学んでいくことも多いのではないかと思います。

 そして、子どもだけでなく、大人同士もいい関係ができているように思います。近年はお父さんの参加も多くなりました。父親の子育て参加が増えて、お父さん同士も話が合うんでしょうね。子どもたちといっしょになって遊んでくれるお父さんやお母さんもいて、自分の子だけでなく、よその子も巻き込んでもらえるのはとてもありがたいことです。多くても月に一度会う仲間たちですが、なんか大家族のような気がします。

 野外塾では、いつの頃からか、僕は「三ちゃん」と呼ばれていますが、共に参加している妻共々、友だちだったり、家族の一員と思っていただければ本望です。

おおきな木 杉山三四郎

コロナコロナの1年を振り返って

 明けましておめでとうございます。といっても、この文章を書いているのは年の瀬で、「今年はコロナコロナで明け暮れてしまったなあ」と、あっという間に駆け抜けた1年をしみじみと振り返っております。

 1年前には、中国武漢で新型のウイルスが流行り始め、「日本にやってこなければいいけどなあ」などと、対岸の火事を見て祈ってましたが、あれよあれよという間に日本どころか世界中に広がってしまいました。

 2月に入って、埼玉県の図書館や保育園で絵本ライブの出張公演をしていましたが、2月後半になると、3月以降に決まっていた各地での「さんしろう絵本ライブ」の公演が次から次へとキャンセルとなり、初めて訪れる場所もいくつかあったのに、残念で仕方ありません。でも、まだその頃には、暑くなれば収まってくるだろう、そうなればまた声がかかるのでは、などと楽観視していました。ところがところが、未だ収まる気配がありません。自然の猛威に打ち勝つのは容易なことではないんですね。

 おおきな木発足以来ずっと続けてきた「ことば塾」と「野外塾」も休止を余儀なくされました。とくに野外塾は大勢の会員を抱えているだけに、先行き不安の中でどう判断をしていったらいいのか悩みました。しかし、野外塾は野外での活動だから密閉空間ではないので感染リスクは低いのではということで、緊急事態宣言が解除されるのを待って再開しました。

 とは言っても親御さんたちの不安が消えたわけではないので、どれぐらい活動に参加してもらえるのか全く未知数でしたが、5月31日に延期していた「春のデイキャンプ」には、雨だったにも関わらず大勢の参加者があり、嬉しくもあり、驚きでもありました。自宅にこもりっきりだった子どもたちは、待ってましたとばかり、秘密基地で大はしゃぎ。大きなブルーシートを雨よけに張ると、それに大喜び。テントの下で踊り始める子もいれば、テントから落ちる雨水でグチョグチョになった泥に入って遊び始める子もいるし、ロープコースを作ったら群がるし…。焚き火ではいろんな料理もしました。年に数回やるデイキャンプですが、この日はいつまでも記憶に残るデイキャンプになりました。

 このデイキャンプの後、いくつかの泊りがけプログラムは中止にしましたが、恒例の無人島キャンプなどは実施しました。がらがらの新幹線で岡山に向かったのをよく覚えています。島に渡ってしまえば「密」になることはまずないのですが、行き帰りはちょっと心配、と思ってましたが、全然大丈夫だったわけです。島ではいちおうテントは張るものの、テントで寝る子はほとんどなくて、みんなは星空を仰ぎながら外で寝ています。大声でしゃべったり歌ったりはしていましたが、紫外線を浴びて遊びまくることは、何よりもの予防策なのではないかと思います。

 秋以降のデイキャンプやいも煮会も大勢参加してくれました。子どもだけでなく大人の参加率も高かったです。「このコロナの中で、野外塾があって本当に良かったです」と何人かのお母さんに感謝していただき、本当に嬉しかったですが、主催する我々も、改めてこういう野外活動の大切さを噛み締めています。

 まだまだマスクを外せる状況ではありませんが、紫外線を浴びて遊ぶこと、笑うこと、美味しいものを食べること、お風呂で体を温めることなど、免疫力を高めることがまず大事だと思っています。

※写真は、5月31日のデイキャンプ

おおきな木 杉山三四郎