絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


誰もが自由にものが言えること

 ♫ 戦争が終わって 僕らは生まれた

   戦争を知らずに 僕らは育った

 

 これは、1971年にリリースされて、若者たちの間で大ヒットしたフォークソング「戦争を知らない子供たち」(北山 修 作詞、杉田二郎 作曲)の歌い出しです。大学のフォークソング同好会に所属していた僕も、仲間たちといっしょによく歌ってました。

 戦争を知らずに育って…、「だから、どうした」と若い人たちから突っ込まれそうですが、当時、戦争を経験している世代かどうかで一つの境界がありました。僕の親たち世代はみな戦争体験者です。父はなんと16歳で志願兵として従軍していたらしく、偵察機に乗っていて米軍の戦闘機に追いかけられたけど何とか逃げ延びたんだという話をしていたことがあります。

 1945年7月には、岐阜市も米軍のB-29による空襲に遭っていて、母は、炎に包まれる岐阜駅や柳ヶ瀬を眺めていたという記憶を語ってくれたこともあります。

 町は焼け野原になって、食糧難の時代を生き抜いてきた親たち世代からしたら、僕たち「戦争を知らない子どもたち」は、何の苦労も知らずにのほほんと生きている若者たちだったんでしょうね。

 そして、戦争が終わって、世の中の価値観がガラッと変わりました。それまでは、「国民」とか「民主主義」といった言葉はほとんど存在しなかったんじゃないでしょうか。「戦争反対」などと叫べば、非国民として捕らえられたりもした時代です。それが、終戦を境に、徐々に、「誰もが自由にものが言える時代」へと変わっていったのです。

 

 ♫ 若すぎるからと許されないなら

   髪の毛が長いと許されないなら

   今の私に残っているのは

   涙をこらえて歌うことだけさ

 

と歌は続きますが、戦争を知らない僕らの世代は、心のどこかに戦争体験者に対する負い目のようなものと反発心もあったように思います。でも、それで何が悪いんだ、みんなでいっしょに笑顔で生きて行こうよ、というメッセージがこの歌にはあって、それに共感した若者たちは、長い髪を振り乱し、ギターをかき鳴らしながらこの歌を歌っていたわけです。そして、ちょっと大袈裟かも知れませんが、このパワーが新しい文化を生み出すことにも繋がっていったんじゃないでしょうか。

 今、ウクライナでは、ロシアによる非人道的な侵略戦争が続いていますが、ふと思ったことがあります。もしも、ロシアが「誰もが自由にものが言える国」であったら、こんな戦争を起こしていただろうかと。

 ロシア国内でもウクライナ侵攻に反対する声はかなりの数で上がっているようですが、戦争反対を叫ぶ人たちは政府当局の手で逮捕されてしまいますから、とても自由にものが言えるような国ではありません。プーチン政権の支持率は相変わらず高いようですが、それは、ロシア国民が得られる情報源は国営テレビのみで、それ以外は規制されていますから、さもありなんですね。大本営発表のラジオや新聞の情報しか国民の耳や目に届かなかった戦時中の日本と同じです。

 「独裁者はいずれ悲惨な最期を遂げる」、そう僕は信じたい。そして、日本がいつまでも「誰もが自由にものが言える国」であってほしいとつくづく思います。

 

おおきな木 杉山三四郎

 

STOP WAR! 「平和」とは…?

 「ロシアの殺し屋、ああオソロシや」。そういえば、こんなダジャレを子どもたちが口にしていた時期がありました。そのときは、「そんな恐ろしいダジャレはやめなシャレ」なんて突っ込んでましたが、それが本当になってしまいました。

 先日、おおきな木野外塾では、富山県南砺市まで雪国体験に行ってきましたが、そのバスの中の余興では、小学生たちの間から「プーチン憎し」の声が上がっていて、ちょっとびっくりでした。「あったらいいなあ、こんな薬」というやりとりでは、「空を飛べるようになる薬」とか「勉強しなくても賢くなれる薬」とか、いろんな答えが子どもたちから返ってきますが、「プーチンを殺せる薬」というのも出てきて、みんなの賛同を得ていました。毎日、ウクライナから届く悲惨な映像を子どもたちも憤って見ているのでしょう。

 ロシア軍による無差別攻撃は、住宅や幼稚園、小学校、病院、駅、ショッピングモールなども標的にし、避難者たちが大勢集まる劇場まで破壊しています。傷ついた人々、泣き叫ぶ子どもたち、家を追われ家族が引き離された人々。目にする光景は地獄です。プーチンは鬼にしか見えないでしょう。

 こんな非人道的な残虐行為が、一大国の一方的な大義によって堂々と繰り返されていることがとにかく信じられません。今はいったいいつの時代なのかと目や耳を疑ってしまいます。第二次世界大戦中に日本やドイツが行ってきた侵略戦争、アメリカが主導してきたベトナム戦争やイラク戦争などが頭に浮かびますが、どんな大義があろうと正当化される戦争などそもそもないと思います。ましてや、民間人を標的にして殺戮を繰り返し、降伏を迫るなどとんでもない話で、鬼のプーチンをなんとか退治できないものかという気持ちを持っているのは、子どもたちだけではありません。

 ロシアのウクライナ侵攻はこの先どんな道筋をたどるのでしょう。たとえ、ウクライナが降伏したとして、ロシアはこの先どうするつもりなんでしょう。この文章を書いている時点で、ウクライナの国内外への避難民は1,000万人を超え、亡くなった人は数千人。亡くなったロシア兵の数も数千人と言われています。ロシアでも戦争反対のデモが起きていますが、参加者は捕らえられ、多くのロシア国民は真実を知ることもできない状態です。満州事変に始まり太平洋戦争へと突き進んでいった我が国の一時代もおそらくこんな状態だったんじゃないでしょうか。このプーチン独裁国家も国際社会でまともに生きていける道があるとは思えません。

 遠く離れた日本にいて、私たちにできることは何かあるでしょうか。それは、ウクライナ国民に何らかの支援を届けること。そして、”STOP WAR” の声を上げ、平和の大切さを訴えることではないかと思います。

 

戦争は 人が死にます

戦争は 住む家をなくします

戦争は 家族を引き裂きます

戦争は 愛する人を奪います

戦争は 子どもたちの希望と未来を奪います

戦争は 勝っても負けても悲しみをもたらすだけで

戦争は 勝っても負けても幸せにはなりません

平和とは?

ひとことでいえば 戦争をしないことです

  ”STOP WAR”

 

おおきな木 杉山三四郎

「野力(のぢから)」で育つ子どもたち

 おおきな木では、自分の趣味(?)も兼ねて、野外塾という活動を続けてきました。当店の開店と同時に始めたので、4月から第29期を迎えることになりました。僕の思いはただひとつ。「子どもを自然の中で思いっきり遊ばせたい」、これだけです。

 毎月、四季折々のいろんなプログラムを用意していますが、1月には、岐阜市の最高峰 百々ヶ峰(どどがみね/標高418m)の麓に広がるながら川ふれあいの森のキャンプ場を拠点に「冬のデイキャンプ」を開催しました。寒くなると参加者も少し減りますが、それでも総勢40人弱の親子が集まりました。寒いのでたき火をガンガン燃やします。薪は全部現地調達。多少濡れていようが、頭と体を使えば燃えます。このたき火で料理もします。たき火で焼きたい食材をみんなそれぞれが持ち寄ってくることになっているので、「持ち寄りたき火料理」と言っていますが、ソーセージ、ピザ、焼きイモ、焼き鳥、おもち、焼きおにぎり、干物、ラーメン、カレーライス、ポップコーン、チーズフォンデュ…、みんなが何を持ってくるのかいつも楽しみです。

 虫好きの子たちは冬でも虫さがしに夢中になります。朽木を崩したり、腐葉土を掘ったりして、冬ごもりをしているいも虫(幼虫)や成虫を探ります。宝さがしをしているみたいなもんで、大人もハマります。この日も、一番のおめあてのクワガタの幼虫や成虫越冬をしているコクワガタも発見されました。その他の甲虫類も出てくれば、ハチやムカデなんかも出てきます。

 野外塾では毎回いろんなネタを用意はして行きますが、大人も子どももどんな風に時間を使おうが基本自由です。学校の行事のような時間割もなければ、「めあて」もありません。必要なのは3つの「間」だけです。自由に過ごせる「時間」、楽しく過ごせる「空間」、そしていっしょに過ごせる「仲間」ですね。

 コロナ禍においても野外塾はできるかぎり休まず続けてきましたが、こんなときこそ子どもたちに必要なのは、体力や免疫力をつけることだと僕は考えています。学校ではマスクやら消毒やらを強要されていますが、雑菌を遠ざけるようなことばかりやっていては免疫力はついていきません。まず、天気の良い日には紫外線を浴びて外で遊ぶことです。でこぼこ道を歩いたり、木登りをしたり、海や川で泳いだり、泥んこの中で遊んだりして体力をつけていくのが子どもです。

 また、歌ったりしゃべったり、泣いたり笑ったりすることも大事です。思いっきり呼吸をして喜怒哀楽を表現することも元気の元ですからね。今、みんなマスクという環境で、言語の発達が遅れている乳幼児が増えているという研究報告をされている方がありましたが、これは十分にあり得ることだと思います。言語は音声だけでなく、体全体でコミュニケーションをすることで獲得していくわけですから、唇の動きや顔の表情はとくに大事な要素です。そんな乳幼児にマスクをつけさせろと発言した大臣がいましたが、とんでもない話です。

 野外塾では、「自然の中で遊ぶこと、それが子どもたちの体力と生きる力を育てるのだ」という思いで、「野力(のぢから)」という造語を使っていますが、子どもたちに必要なのはワクチンよりも「野力」なんじゃないでしょうか。先日の「冬のデイキャンプ」では雪がうっすらと積もっていて、子どもたちは、僕が用意した遊びネタよりも雪合戦やそり遊びに夢中。そんな彼らを見ていて、つくづくその思いを強くしました。

おおきな木 杉山三四郎

新型コロナってそんなに怖い病気なの?

 またまたまたまた「まん防(まん延防止等重点措置)」が出てしまいました。今年に入ってからオミクロン株による感染者がうなぎ上りで心配していましたが、やはり出てしまいました。新型コロナの話は何度も書いているので、もういい加減にしたいのですが、書かずにいられないので、今回もまたコロナです。

 新型コロナ騒動が起き始めて2年が経ち、今までに何度もまん防や緊急事態宣言などが出ましたが、その効果ってどれほどあったんでしょうね。それなのに、そのせいで人の動きは止まり、企業の倒産や事業縮小が止まらず、店舗の廃業も相次いで、失業者は増えるばかりです。あたかも飲食店や酒の提供が感染に結びついているかのごとくですが、居酒屋クラスターって話はあまり耳にしませんけどね。それに、まん防によって打撃を受けるのは飲食店だけではありません。観光業、イベント業、みんな辛い思いをしています。1月23日に当店で行われた「新春恒例さんしろう絵本ライブ」も、ご予約をいただいていたお客様が100名ほどあったんですが、キャンセルが相次ぎ、60名ほどに減ってしまいました。ライブをサポートしてくれている2人のミュージシャンたちもまん防のせいで軒並み仕事がキャンセルになっていると嘆いてました。重点措置がどれだけ人を苦しめているのか分かっていただきたいです。

 これまた何度も同じことを言っているんですが、そもそも新型コロナ感染症ってそんなに恐ろしい病気なのでしょうか。今流行のオミクロン株は確かに感染力は強いと言わざるを得ませんが、重症化する人はほとんどいないんですよね。それどころか、ほとんどが無症状。無症状の人から感染する確率はすごく低いとのことですが、検査で陽性になったからというだけで感染者にされてしまいます。厚労省もWHO(世界保健機関)も「検査で陽性=感染者」ではないということを言っているのに、毎日、新聞やテレビで報告されている数字は、何もかも含めた数字です。そして、感染者の数は言っても、検査数は言わない。どうして?

 今や、マスクをしていようがこまめに消毒をしていようが、かかるときにはかかる病気だということが分かってきましたが、かかると面倒なのが怖いです。1人感染者が出ると、家族や会食をしていた人たちが濃厚接触者に認定される。すると自宅から出られなくなり、さらに検査で陽性となると療養施設という名のホテルの一室に2週間閉じ込められる。想像しただけで気が狂いそうです。家族みんなピンピンしているのに、幼い子どもとも引き離されてしまっている人もいます。そして当然の如く長期にわたって仕事もできなくなるんです。とんでもない人権問題だと思われませんか?

 それに自粛要請がされると人の心がすさみます。みんなで我慢しようという社会は「監視社会」になっていきます。田舎の小さなコミュニティでは、感染者が転居せざるを得なくなったり、自殺に追い込まれた人もいると聞きました。今まで、インフルエンザにかかったからといってこんな目にあった人はいたでしょうか。ほんと怖いのは、病気よりも人の心です。

 ワクチンの効果もどうだったんでしょうかね。この騒動を早く収束させたいとの思いで、今までインフルエンザワクチンすら打ったことなかった僕もいち早く打ちましたが、結局、今このざまです。3回目を打ってもまた同じ繰り返しになっていくんじゃないでしょうか。見事に騙されていた。今そんな気持ちです。

おおきな木 杉山三四郎

夢の世界ってどうなってるの?

 またまた新しい年を迎えました。コロナ騒ぎがなかなか収まらないなか、さて今年はどんな年になるのでしょうか。昔の人は、初夢にどんな夢を見るかでその年の運勢を占ったということで、今でも耳にする「一富士、二鷹、三茄子」という縁起がいい夢ベストスリーは江戸時代の頃からあったようです。富士山や鷹は何となく縁起がいい感じはしますが、3番目の茄子(なす)のどこが縁起がいいのかよく分かりません。その当時はナスは高級野菜だったのかもしれませんね。「成す」に掛けているという説もあるようです。

 それはさておき、皆さんはいい夢を見ておられますか。僕が見る夢はほとんど悪い夢ばかり。一番多いのは、迷路のような屋敷に迷い込んでトイレを探す夢。『もっちゃう もっちゃう もう もっちゃう』(土屋富士夫 作・絵/徳間書店)という絵本がありますが、それと同じようなことが起きています。トイレを探していろんな部屋の扉を開けるんですが、「えーっ、ここでするのー?」といった場所ばかり。この絵本の主人公は子どもだけど、僕は大人なのでお漏らしはしませんけどね。どうもすみません、新年早々尾篭な話で…。

 他によく見る夢は、何かに追い詰められている夢。子どもたちを引率して海外に行かなくてはいけないのに、大勢の子どもたちとキャンプをしていて、ろくに用意もできてない状態で空港に着いたものの、集合時間はとうに過ぎていたという夢です。おそらく、何かの原稿の締め切りが迫っているのに、何も閃かないといった状況において見ているのかもしれません。

 僕の夢には子どもたちがしょっちゅう登場しますが、これは仕事柄でしょうね。僕の言うことなど誰も聞いてくれなくて、「みんな集まれー」と言っても誰もそばに寄ってきてくれない夢とか…。次の日、野外塾や絵本ライブがあったりするときに見てるのかもしれませんが、本番ではここまでひどいことは起こらなくて、楽しいひと時を過ごしてホッとしています。

 たまにいい夢も見ます。珍種の蝶々に次々出会う夢とか、美女に囲まれている夢とか。でも、いい夢は目が覚めたときのがっかり感が半端ないですよね。「なんだ、夢か。ここにこんな蝶がいる訳ないよな」、「そうだよ、オレがそんなモテるわけないわな」と、現実と向き合わなくてはいけませんからね。

 今年はトラ年、ということでご紹介したい絵本が、『とらのゆめ』(タイガー立石 作・絵/福音館書店)。我が家では、息子が幼少の頃に好きだった絵本なので、思い出の一冊です。主人公はトラのとらきち。なぜか緑色をしてます。表紙には木が3本描かれていて、よく見るとその木の緑色の部分がトラの形をしています。宙に浮いた立方体の物体が溶解してとらきちに変化し、夢の世界へ出て行くという不思議な絵とストーリー。池で遊んでお日様に照らされると、とらきちはスイカのように変化したかと思うと、徐々にだるまさんに変身。でも、とらきちは自分が変身しただるまさんとバイバイするんですね。もう訳が分かりません。

 ま、この訳が分からない展開を見せるのが夢の世界なのですが、ポップアーティストのタイガー立石さん(1998年に56歳で亡くなられています)の手にかかると、この不思議な世界を紙の上にちゃんと具現化してしまうんですね。ひょっとしたら、夢の時間を生きる幼い子どもの頭の中ではこんな映像が流れているのかもしれないと思ってしまいます。

おおきな木 杉山三四郎

早く堂々とマスクなしで町を歩きたい!

 今年も残すところあと1か月となってしまいましたが、令和3年はどんな年だったでしょう。オリンピックやら衆院選やらいろいろありましたが、結局、昨年に引き続きコロナコロナの1年でしたね。

 でも、ここのところ新規感染者の数が激減しています。嬉しいことですが、その要因は何なんでしょう。ワクチンの効果が表われてきているのでしょうか。でも、日本より接種が先行している欧米の国では、いまだに万単位の新規感染者が出ています。6か月以上が経ってワクチンの効果が薄れてしまったのでしょうか。では、マスクの効果? いえいえ、日本ではほとんどの人がずーっと前からマスクをしてますから、これも無関係。ウイルスが自然消滅したのではという説もありますが、はっきりとしたことは何も分かってないようです。

 さて、感染が爆発していた今年の夏のこと、近くのコンビニに行こうと歩道を歩いていたら、一人のおじさんに「マスクをつけなさい」と注意されました。外を一人で歩いているときにマスクをつける意味はないだろうと思うので、外を歩くときはいつも僕はノーマスクなのですが、店にはマスクをつけてないと入れないのでポケットには忍ばせています。「マスク警察」という人がいるという話は聞いてましたが、実際に会ったのは初めてで、以降「話のネタ」にさせていただいてます。

 律儀な日本人は戦争中の国民服のように誰もがマスクを着用していますが、TPOに応じて自分で着脱を判断したらいいんじゃないかと思うんですけどね。みんなと同調しておいた方が楽だし無難であるということなんでしょうね。周りのみんなと違う行動をとるというのは、なかなか勇気がいることなんです。

 では、みなさんはこのコロナ禍で生活していて、何でこれがコロナ対策なの?と思えるようなことってありませんか。例えばトイレの手洗いのハンドドライヤー。今、どこに行っても使用禁止になっていますが、濡れた手を払う方がよっぽど飛沫が飛ぶような気がします。「トイレットペーパーの三角折りを中止してます」という張り紙も見かけますが、その因果関係も僕にはよく分かりません。ホテルの朝食バイキングなどでは、ビニールの手袋をはめて料理を取るというのが常識になってますが、手指のアルコール消毒をしてから食堂に入っているわけだから、あまり意味がないし、プラスチックごみが増えるだけではないかと思います。どこもかしこも、感染防止効果の有無よりも、ちゃんと対策を取ってますよとアピールすることが大事なわけです。

 とまあいろいろ思うところはあるのですが、コロナのせいで普段以上に人の目を気にして生活しなくてはいけない状態になっていて、ストレスが溜まります。こんな話もありました。長良川のラフティングボートツアーに修学旅行でやってきた学校があって、先生から主催者に、生徒を水に濡らさないようにしてほしいという要望があったとのこと。この寒い時期に体が濡れると風邪をひく、すると周りからコロナの疑いがかけられてしまうからということなんですね。生徒が風邪をひくということよりも、世間の目の方が怖いということです。修学旅行自体を中止している学校も半数ほどあるようですが、これも同様の理由からでしょうね。

 昨年来、僕の出張公演も激減してますが、ここに来て少しずつ声をかけていただけるところが出てきました。「早くマスクなしで堂々と町を歩けるようになってほしーい! 早く同調圧力から解放されたーい!」。

おおきな木 杉山三四郎

絵本選びが個性的!? おおきな木ブッククラブ

 日本では、会員の方に定期的に本をお届けするというシステムをいつのころからか「ブッククラブ」という名称で呼ぶようになっていますが、そもそもブッククラブとは何のことなのかとちょっと調べてみました。発祥はドイツらしいんですが、広まったのはアメリカで、書籍を市価より安く通信販売する会員組織のことで、仲間内の読書会などもブッククラブと呼ぶこともあるそうです。日本では書籍の割引販売はご法度ですからどこも定価販売ですが、おもに児童書専門店がこの定期配本サービスを行っています。当店も開店当初から「おおきな木ブッククラブ」を続けてきました。現在会員の数は250名。他社に比べるとかなり少ないと思いますが、当店の規模から考えたらちょうどいいぐらいかもしれません。1年ぐらいで退会される方もありますが、中には、赤ちゃんのときに始めて、6年生になるまで続けてこられた方もあったりして嬉しいかぎりです。

 ほそぼそと続けてきた当店のブッククラブですが、昨年の春ごろから会員の方が少しずつ増えてきました。理由ははっきりしませんが、新型コロナ騒動でおうち時間が増えたとか、図書館が閉まっていたりといったことも関係しているのかもしれません。

 今さらの話ですが、ブッククラブという検索ワードでネットを調べていたら、各社のブッククラブの比較サイトというのを発見しました。クリックしてみると、そこに取り上げられている10社の中に、なんと「おおきな木」もあるではありませんか。何年か前にアップされたサイトのようで、データ的にはちょっと古いんですが、何か悪いことでも書かれていると困るなと思い、その評価を見てみました。すると、「絵本選びがとても個性的」と書かれています。他社のブッククラブには選ばれていない絵本がたくさん入っていて、「とてもユニーク」だそうです。ユニークなものを選ぼうと意識したことはありませんが、たまたま私たちが気に入っている絵本を選んだ結果がユニークだったようです。

 ちょっと気になって他社の選書も見てみました。各社違いがありますが、ロングセラーを重視してるところは結構ありますね。なぜロングセラーかというと、長い年月、多くの人たちに支持されてきたからということなんですね。でも、それって巷の評価で選んでいるということですから、専門店の存在価値はどうなのって思ってしまいます。ですから、おおきな木のリストにもロングセラーはたくさんありますが、「ロングセラーだからいい絵本だ」といった考えは持っていません。そのロングセラーだって新刊のときはあったわけだし、今、次から次に出版される新刊にも素晴らしい(面白い、楽しい、etc.)作品は常にあって、それを会員の方にも出会っていただきたいという思いがあります。ひょっとしたらこれからロングセラーになる可能性も秘めているわけですしね。ですから、当店のリストには比較的新しい絵本や童話も含まれています。

 ちなみに当店の選書の基準を書いておきますと、①大人の価値観ではなく子どもの感性に響く本、②作者や出版社が偏らないこと、③日本だけでなく海外の作品も選ぶ、④配本月の季節にふさわしいもの、といった感じですが、さらに、⑤皆さんがあまり持ってなさそうなものを選んでいるということがあり、それでちょっとユニークになるのかもしれません。ま、ユニークであろうとなかろうと、本で親子のいい時間を作ってもらえたら、それが絵本屋の喜びなのです。

おおきな木 杉山三四郎

何を信じていいのか分からない時代です

 9月も後半になり、新型コロナウイルスの新規感染者数が徐々に減ってきました。その理由は今のところよく分かってはいないようですが、ワクチン接種が2回終わった人が半数近くになったというのはあるんじゃないでしょうか。というか、そう思いたいですよね。変異株(デルタ株など)には効果が薄くなるとも言われてますが、早くこのコロナ禍から脱出するためにはまず自分の感染リスクを下げなくてはという思いから、僕は接種券が来てすぐに予約を入れて打ちました。副反応もいろいろあるようですが、僕の場合は2回ともほとんどなし。高齢者だからなんでしょうかね。

 日本においてはまだ正式に承認された治療薬はないというなかで、ワクチン接種が今できる最良のリスク回避対策だと思うのですが、まだまだ若者世代の接種率が低いのは何故なんでしょう。打ちたくても予定が合わなくて予約がとれないとか、副反応の心配もあります。働き盛りの人たちからしたら、それによって仕事を休まざるを得ないことになると大変だ。コロナにかかっても重症化する確率は低い。だったら、……。ということなんでしょうね。でも、出どころ不明の怪情報によってワクチンに対する不信感を持っている人たちが少なからずいるというのは困ったものです。

 厚労省のホームページを見てみると、Q&A形式で数ある誤情報に答えてくれてますが、いろいろあるんですね。ワクチン接種が原因で死者が多数出ているとか、ワクチンを打つと不妊になるとか、ワクチン接種をした人が変異株にかかると重症化しやすいとか。これらの情報はおそらくごく少数の人から発信されたものだと思うのですが、今の時代はSNSであっという間に拡散されてしまうんですね。「そもそもコロナなんてないんだ。誰かがでっち上げた陰謀だ」なんていう動画まで広まってますから、びっくりです。

 昨年日本で新型コロナが流行りだしたころ、「私は日赤病院に勤めるものですが……、コロナ患者が多数運び込まれていてパニック状態になっている」という投稿がチェーンメールのように広がったことがあります。僕のところにも何人かの知り合いの方から送られてきました。親しい人から送られてくると、それは正しい情報なのかもと思ってしまうんですね。でも、このときは、発信者が誰なのか何も書かれていませんし、どこの日赤病院なのかも特定されていませんでしたから、僕はこれは怪しいなと思ったんですが、コロナが一体どんなものなのかまだよく分かっていない状況だったので、不安に思った人が拡散してしまったんでしょうね。

 今の時代、何を信じたらいいのか本当によく分かりません。悪意があって発信する人もいるんでしょうが、ほんの冗談半分につぶやいたことが、どこかで真実かのごとく変化して伝わってしまう場合もあります。よく吟味もしないで安易に拡散してしまわないように注意が必要だと自戒も含めてつくづく感じています。だったら、政府や自治体やマスコミが発している報道なら信じられるのかというと、やたら不安を煽るだけのような報道もあって、これも吟味が必要でしょうね。

 要は、どこに感染者がいるか分からないから、人と人が接するときにはマスクをするなどの感染防止対策をするということですよね。あとは自分の頭で判断するしかありません。どう行動しても感染する確率はゼロにはなりません。でも、そのリスクを下げる対策の一つとして、ワクチン接種は有効なのではと思います。

おおきな木 杉山三四郎

セミとも馴染みになれた今年の夏

 今年もあっという間に夏が終わり、夏好き人間としては、毎年この時期は寂しさを感じます。おまけに、今年はとにかく雨が多くて、太陽がギラギラと照りつける「正しい日本の夏」といった日は数えるほどしかなく、ほんと残念な夏でした。しかし、天気には恵まれなくても、山や海でアウトドアは楽しみました。そして、いつもそんなに気にしていなかったセミの鳴き声もそこそこ判別できるようになってきました。

 今年初めてセミの声を聞いたのは、5月の荘川(岐阜県高山市)でのキャンプ。盛んに鳴いていたのがエゾハルゼミです。図鑑によるとその鳴き声は、「ミョーキンミョーキン、カナカナカナカナ」となっていますが、たしかに前半と後半部分では違う鳴き方をしています。最初、ヒグラシが鳴いているのかと思ったのですが、時期が早すぎるし、ちょっとおかしいよな、何だろう、と思っていたら、子どもたちがエゾハルゼミの♂を捕まえてきてくれて、「ああ、これだったんだ」と判明。

 6月には、奥飛騨の平湯温泉から上高地へ行きましたが、ここでもエゾハルゼミが盛んに鳴いていました。鳥の鳴き声も誰が鳴いているのか分かると嬉しいですが、セミも同じですね。7月になって板取(岐阜県関市)の山奥に渓流釣りに入った時には、今度は正真正銘のヒグラシが鳴いていました。谷筋に響くあのカナカナカナカナは何とも侘しい気持ちになります。

 そして、梅雨が明けると朝から賑やかなのがクマゼミ。我が家の小さな庭にある何本かの木にびっしりとしがみついて、オスたちは必死にシャーシャーシャーシャーと求愛のメッセージを送っています。子どもの頃、このあたりにはクマゼミはあまり多くなくて、あの透き通った翅の大型のセミはあこがれでしたが、今では街中はクマゼミ天国と化しています。しかし、クマゼミは昼ごろになるとピタッと鳴くのをやめて、それまで負けていたアブラゼミの鳴き声が街中に響きます。

 やたらといるクマゼミやアブラゼミはあまりありがたくないのですが、7月下旬に、岐阜市内のキャンプ場で昆虫採集キャンプをしたときにミンミンゼミが鳴いていたのはちょっとびっくりでした。ミンミンゼミというともっと山の方にいるという感覚だったんですが、こんな里山にもいたとは。今まで気がつかなかっただけなのかも知れませんが、ちょっと嬉しいです。

 8月に入ると野外塾恒例の無人島キャンプ。瀬戸内海のその島では、クマゼミ、アブラゼミの他に、ツクツクボウシが俺も負けてはいないぞとばかり、朝から張り切っていました。彼らは夜も休まず鳴いてますから、たいしたもんです。話は変わりますが、セミは食べても美味しいらしくて、今年の無人島でも食べていた親子がいました。何ゼミだったんでしょうね。僕も、塾長として、かつ、やがて訪れる昆虫食の時代に備えて、子どもたちを見習って食べてみなくてはいけないんですが、今のところセミもコガネムシも食べてません。

 8月中旬からは雨が続きましたが、運よく雨が上がった休みの日、長良川源流の山、大日ヶ岳に登ってきました。見晴らしのいい尾根伝いにジジージジーと響くかったるい声。俺のことを呼んでいるのかとムカつきましたが、エゾゼミです。必死に鳴いているオスの姿を何頭も発見。近づいてもなかなか逃げていかないので、いくつか素手で捕まえておみやげに持って帰りました。これは今僕の標本箱に収まっています。──というわけで、セミと馴染みになれた夏でもありました。

おおきな木 杉山三四郎

自由かつ多様な五輪開会式だったけど…

 いよいよ東京オリンピックが始まりました。7月23日、夜8時に始まった開会式、ご覧になられましたか? 統一感がないとかといった感想もありましたが、各分野のプロフェッショナルたちの力が結集されたパフォーマンスがどれも面白かったし、一糸乱れず行われるどこかの儀式とはまるで違って、バラバラ感がまた良かったのではないかと思ってます。

 中でも面白かったのは、50種目の競技のピクトグラムを2人の身体表現で表すパフォーマンス。アイデアはもちろんのこと、ここにもバタバタ感があって良かったです。すごいと思ったのは、1824台の発光するドローンを使って会場の夜空に巨大な球体を描いたやつ。シンボルマークから地球へと変化していきましたが、ドローン同士がぶつかったりはしないだろうかとヒヤヒヤして見てました。どうやって制御してるんでしょうね。

 選手の入場も延々と続いて、途中で居眠りしてしまいましたが、これも面白かったです。派手な民族衣装で目を引く国もあれば、旗手がトップレスで肉体美を見せつけている国もあったり、整然と歩くような国はほとんどなくて、自由かつ多様でいいなあと思って見てました。また、こんな国や地域があったんだと新発見があったり、国名が変わってたんだーといった国もあり、いい勉強にもなりました。

 翌日の野外塾(当店主催)に参加した子どもたちも開会式は見てたようですが、時間が遅くて最後まで見せてもらえなかったと嘆いていた子もいました。暗くならないと意味がないパフォーマンスなので、こういう時間帯になったんだと思いますが、天皇陛下のあいさつは数十秒で終わったのに、その他のお偉方のあいさつが十数分もあったりして、予定より随分延長してしまったとか。ここまでたどり着くまでが大変だった五輪だけに、ま、仕方ないかとも思うんですが、もっと空気を読んでいただかないとダメでしょうね。

 それにしても、今回の五輪、またそれに続くパラリンピックはいろいろゴタゴタがありました。大会エンブレムの盗作疑惑、新国立競技場の当初の設計が巨額の予算オーバーで白紙撤回になるとかに始まり、今年になって組織委員会会長が男女差別発言で辞任するという騒動もありました。他にも人権意識に欠ける行動をしていた開会式の演出関係者が続々辞任しました。情けない話ですが、それでもちゃんと開会式ができたというのは彼らの存在はそれほどでもなかったのかも…。

 個人的にはスポーツは見るのもやるのも大好きで、4年に一度のオリンピックも毎回テレビ観戦を楽しんでいますが、今回は「祭典」としていまひとつ喜べない複雑な思いがあります。新型コロナウイルス感染が再拡大しているという状況で、国民の大半が中止または延期を求めるなか強行されたのはどうしてでしょうね。そもそもを辿ってみると、原発事故の放射能問題を心配する各国を相手に、「完全にコントロールされている」と宣言して東京に誘致して「復興五輪」と言ってみたり、「コロナに打ち勝った証拠として」といった美辞麗句を並べてみたり。いったい何を根拠に言ってんだろと思いませんか? 違和感だらけです。

 無観客で、各国の選手団、ご来賓、スタッフなどみんなマスクをして参加するという異様な開会式でしたが、今の世情を象徴する歴史に残る大会となることには間違いありません。何はともあれ、始まった以上、選手たちを応援し観戦を楽しみたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

虫採りで自然界の不思議をのぞいてみよう

 先月は、コロナの影響でキャンプブームになっているという話を書きましたが、ここ2〜3年、子どもたちの間で昆虫ブームが起きているような気がします。おおきな木では28年の間「おおきな木野外塾」という自然体験活動を行なっていますが、昔から虫好きはたくさんいましたが、最近とくに増えているように思います。

 何を隠そう、僕自身も子どものころは昆虫少年でした。小さいころはバッタ採りをするぐらいがせいぜいでしたが、小学3年生の夏休みの作品展で、同級生が出していた昆虫標本を見てから蝶々にハマっていきました。その標本箱にあったルリタテハ。濃紺と褐色が入り混じった黒っぽい地色に、ルリ色の帯模様。こんなきれいな蝶がいるんだと感動しました。ちょっと郊外に出かけていけば出会える普通種ですが、子どもにとっては珍しかったし、たとえ見つけたとしても飛翔力がすごいので虫採り網に入れるのは至難の技なのです。

 岐阜市には、名和昆虫博物館という虫好きな人たちが集まるところがあって、そこで、本格的な補虫網や、標本にする道具も一式手に入れ、高学年になると友だち同士で、電車やバスを使って遠くまで採集に出かけるようなります。標本箱には憧れていた珍しい種類も増えていきました。しかし、僕の蝶々熱は中学2年ごろには覚めてしまい、実家を離れるころにはその標本たちはすべて標本虫にやられて粉々になっていました。

 でも、やがて第二ブームがやってきます。ちょうど長男が生まれたころだったと思うのですが、小学生のときにいっしょに採集に行っていた友だちがまだ採集を続けていることを知り、誘われて長野県や山梨県まで採集に行きました。子どものときとは違って機動力があるというのは強みですね。図鑑でしか見ることがなかった垂涎の蝶に出会うことになって蝶々熱が再燃しました。今だから言いますが、当時、長野県方面に出張に行くことが結構あったので、採集シーズンになると車にはちゃんと補虫網が積んでありました。

 そして、今の仕事をするようになってからはあまり休みも取れなくなって、標本作りはやめてしまいましたが、子どもたちと一緒に虫探しを楽しんでいます。子どもたちの一番人気はやはりカブト、クワガタですが、ハンミョウやハムシなどの小さな甲虫類にも眼が行く子も結構います。その刺激も受けて、最近僕も小さな甲虫やカメムシなどの美しさに惹かれています。図鑑で調べてみても同定はなかなか難しいのですが、ルーペで覗いてみると実に神秘的で、惚れ惚れしてしまいますよ。

 先日、中日新聞(中日こども文庫)でもご紹介した「むしとりにいこうよ!」(はたこうしろう作/ほるぷ出版)という絵本ですが、虫好きのはたこうしろうさんが子どものころの体験をもとに描かれています。お兄ちゃんにくっついて虫採りに行ったものの、弟くんの目には虫の姿は全く入ってこなくて、「虫なんていないよー」なんて言ってます。でも、お兄ちゃんは虫がいそうな木や草を知っていて、タモを使ってガサゴソやると、ハムシやゾウムシやオトシブミなどの小さな虫たちが網に入ってくるんですね。自然の中に入れば必ず何かの虫がいるわけですが、それに出会えるかどうかは「虫を見つける眼」が必要です。虫好きな子たちは、この絵本のお兄ちゃんのような行動をとっています。

 自然界は不思議に満ちていますが、虫採りをすることは、子どもたちにとって「センス・オブ・ワンダー」を体験する格好の遊びなのではないかと思います。 

おおきな木 杉山三四郎

キャンプブームの中、山菜キャンプなのだ

 皆さんご存知かどうか分かりませんが、世の中では今や空前のキャンプブーム。週末ともなるとあちこちのキャンプ場は大賑わいで、平日や冬の間でも結構のキャンパーが来ているようです。何十年も前から、毎年当たり前のようにキャンプを楽しんできた身としては、これまた一体どうしたこと?という感じですが、昨年秋に野外塾で行ったキャンプ場で今まで見たこともないような光景が広がっていて、それを実感しました。ここには30年ぐらい前から行ってますが、立派なテントがびっしりと埋まっていて、こんな光景は初めてです。

 このブームは新型コロナウイルスが一役買ってます。海外旅行は行けないし、国内旅行でもいろんな意味で恐怖感があるし、ならば屋外で密閉が避けられるキャンプならいいんじゃないかということなんでしょうね。アウトドア用品の有名ブランドメーカーでは品薄が続いているという話もあるし、スポーツ用品店はもちろんのこと、ホームセンターまでも特設キャンプコーナーができているのでびっくりです。

 このブームの中、5月中旬に富山県の某キャンプ場に行ってきました。ここも30年ほど前から使っているキャンプ場ですが、満杯だったらどうしようと、数年ぶりに恐る恐る訪れてみました。すると、だーれもいません。ここにはブームは来ていないようでした。

 僕にとってこの時期のキャンプ最大の目的はというと「山菜」です。ここのテントサイトにはアサツキが雑草のように生えていて、山菜の上にテントを張っているようなものです。10分ほど歩いて行くと、秘密の谷があって、けもの道を踏み分けてクマに警戒しながら登って行くと、渓流沿いにワサビが群生しています。ウドがにょきにょき生えている場所にも遭遇。ギボウシもちょうどいいのがあちこちにあるしで、もう山菜の王国です。「雪国っていいなあ」とこの時期限定で憧れています。

 さて、その10日ほど後には、野外塾の「雪国の春キャンプ」に20数名の親子で行ってきました。場所は高山市荘川。ここも山菜の宝庫です。一番のお目当てはネマガリダケの竹の子。タイミングはバッチリで、子どもたちも藪をかき分けて竹の子狩りに夢中になりました。仕込みが大変ですが、皮むきも有志が集まってやりました。できた竹の子料理は信州流竹の子汁。僕が若かりし頃、長野県信濃町で居候をしていた家のご夫妻に教えていただいた食べ方ですが、これが今でも毎年この時期のお楽しみになっていて、野外塾でも恒例。たくさん作りましたが、完食でした。ここでは竹の子の他に、ワラビが一面に生えているところがあり、子どもたちはワラビにもしばし夢中。家にお土産に持って帰るんだと、ワラビの束を握っている子もいました。このキャンプでは、ウドやイタドリの天ぷら、クレソンのピザなどもいただきました。

 野外塾では、野生の力(ワイルドパワー)のことを「野力(のぢから)」という造語で呼んでいますが、山菜はまさに「野力」。これを食べて体力も付けています。そして、野に放たれた子どもたちは、チョウやガやセミなどの昆虫や、イモリやトカゲなども捕まえてきて目を輝かせていますが、これも「野力」です。

 キャンプ場に、「のんびりと自然の中で大人のキャンプを楽しみませんか」と張り紙がしてありましたが、僕の場合、自然の中にいると誘惑が多すぎて、子どもと同じでじっとしてはいられないので、当分「大人のキャンプ」はできそうにありません。

おおきな木 杉山三四郎