絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


いつまで続くのか 新型コロナウィルス騒動

 年が明け、はや2か月。1月から通常国会もスタートです。「桜を見る会」疑惑の追求も年を越えて続いていますが、安倍総理やそのお取り巻きたちの虚偽答弁が益々エスカレートしていて、閣僚、官僚が一体となって辻褄合わせに必死になっている姿は見るに忍びないです。マスコミ各社の世論調査で、政府の「桜」疑惑の説明には納得いかないとする声は80%近く。その国民の声を代表して追求を続ける野党各党の質問をほくそ笑んで聞いているあのお方。「意味のない質問だよ」とヤジまで飛ばしてしまいましたよね。ほんと国会をなめてます。それは国民を馬鹿にしてるのと同じですから、我々はもっと怒るべきではないかと思います。

 そして、その「桜」疑惑をかき消しているのが新型コロナウィルス騒動。テレビも新聞も毎日これ。ちょっと騒ぎすぎなんじゃないのと思ってたんですが、2月24日に「これから1〜2週間が感染拡大が急激に進むのか、収束できるかの瀬戸際である」との政府見解が示されました。とは言いながらも、具体的かつ詳細な情報は閉ざされていて、国民は不安を募らせるばかりです。

 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号をウィルス検査の結果陰性だったということで降ろされた方たちから感染者が出たり、検査のため乗船していた厚労省の職員が無検査で元の職場に戻っていて感染が確認されたり…。一体どうなってるんだろう、この国の医療体制?とみんなが首を傾げ始めました。ちゃんと検査をすれば感染者がどんどん増えていくことを政府が恐れているんじゃないかと勘ぐる人もいます。隠蔽体質の政府のことだから、「感染者」が増えることではなく、「感染者数」が増えることを恐れているということは十分考えられますよね。

 人が多く集まるイベントの開催もどんどん中止になるなど、例によって自粛ムードもだんだん広がってきました。そして、ついにこの流れも人ごとではなくなり、3月に予定されていた埼玉県内の図書館での「さんしろう絵本ライブ」も2か所とも中止が決定しました。首都圏での感染拡大は今後ますます広がっていく模様ですから、残念ですがやむを得ない判断でしょう。

 でもね、2月初旬の埼玉県の図書館と保育園でのライブは予定通り行われて行って来ました。大宮駅近辺に宿をとりましたが、岐阜からやって来たものとしては、まずその人の多さにびっくり。そして駅の大きさにびっくりです。大宮駅は上越新幹線、東北新幹線、北陸新幹線の3つの新幹線が止まり、在来線も高崎線、京浜東北線、埼京線など、埼玉県を通って、栃木県、群馬県、さらにその先へと向かう人たちの乗り換え駅でもあり、地元の人でさえ迷うほど、とにかくややこしいのです。首都圏にはこんな駅が各地にあって、人混みだらけ。この中に新型コロナウィルス感染者がいてもおかしくないとできるだけマスクをしていましたが、あれから2週間以上が過ぎた今、益々現実味を帯びて来ています。

 で、絵本ライブの方はどうだったのかというと、親子連れや読み聞かせボランティアの方たちで満席になり、埼玉県でも大盛り上がりでした。図書館でのライブには、当時まだ学生だった古い知人たちが30〜40年ぶりに会いに来てくれ、フェイスブックなどでつながっているその仲間たちは飲み会を開いてくれて、そこには10人ほどが集まりました。教え子のような彼らの当時の面影はすぐに蘇り、時のブランクがあるとは思えないほど昔の話で盛り上がり、ほんと感動でした。

おおきな木 杉山三四郎

「ふつうの子」なんて、どこにもいない

 おおきな木では、26年前、オープンと同時に、「ことば塾」と「野外塾」という二つの塾を始めました。塾といっても、決まったカリキュラムをこなす学習塾のような塾でもなければ、お稽古ごとでもありません。何をやるのかというと、「一人ひとりの子どもたちが、自分が楽しいと思えることを見つけて過ごす」、たったこれだけです。でも、これでは何をやっていいのか分からないので、子どもたちが「楽しい」と思えることをいろいろと用意します。そのいろいろある中から、楽しそうなことを選べばいいし、それ以外のことをやっていても構わない、というわけです。だから、大ウケすることもあれば空振りに終わることも時にはあります。大人の側から子どもに対して、ああしろこうしろと強要することが多い日常ですが、ここではあくまでも「子どもが主人公」なのです。

 では、彼らが通う小中学校ではどうでしょう。時間割があって、学習内容が決まっていて、違うことをしていたら叱られます。おまけに服装やあいさつの仕方まで細かく決められていたりで、どんな子も一斉に同じことをしなくてはいけません。少なくとも日本の学校ではこれが当たり前です。この当たり前についていけない子は不登校になるしかない。そういう仕組みです。

 今、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)という本を読んでいます。2006年に大阪市住吉区に創立された公立小学校の校長を9年間務められていた木村泰子さんが書かれた本です。この小学校の名は大空小学校。全国各地で自習上映されている「みんなの学校」という映画にもなった小学校です。

 「授業は椅子に座って受ける」、これは日本の学校では当たり前のように思われてるけど、今どき椅子に座れない子なんて「ふつうに」いる。座れない子は「変わった子」という風に思われてしまうけど、「座るのが当たり前」という既存の学校文化をまず問い直すべきでは、という問題提起があります。

 なかなか大胆な提起ですが、野外塾の子たちを思い浮かべると、「椅子に座れない子」がたくさんいます。集合場所で僕が話をするとき、ちゃんと聞いて欲しいと思ったりするんですが、みんなばらばら。ちょっとつまらない話になるとどこかに行ってしまう子もいます。野外塾ではこれが「ふつう」なんですね。

 そして、山の中の秘密基地に向かい、一日を過ごしてきますが、みんなそれぞれ好きなことを見つけて遊んでいます。着く早々お弁当を食べ始める子、ロープで遊ぶ子、焚き火に夢中になる子、虫とりをしてる子、鬼ごっこをする子、隠れ家を作って出てこない子、……。でも、退屈してる子はほとんどいません。それだけ自然の中には子どもの興味をそそるものがあるとも言えます。そして、子どもは群れで遊ぶのが大好きです。知らない子同士でもその場で気が合って遊んだり、ときには喧嘩になったり、なんてこともあるわけです。

 野外塾の塾生や親たちから、「野外塾には変な子が多い」などと冗談か真面目か分からないような感想をいただいたりしますが、それは、「みんながありのままでいられる場所である」ことへの高評価なんだと思っています。野外塾で育っていった高校生や大学生たちが、自分たちが「ヘンな子」や「ヘンな奴」であることに誇りを持ってますからね。そう、「ふつうの子」なんてどこにもいません。どの子もみんな「変わってる子」。それでいいじゃありませんか。

おおきな木 杉山三四郎

絵本 おおきな木 “The Giving Tree”

 「おおきな木はどうして『おおきな木』なんですか?」とときどき聞かれることがありますが、『おおきな木』(大きな木ではありません)という絵本をみなさんご存知ですか。店がオープンする半年ぐらい前でしょうか、店名をどうしようか、いろいろ悩んでおりました。そんなとき、ふとかたわらに置いてあった絵本が目にとまりました。「おおきな木」か、なかなかいいかも。公園に遊びに行って一本の大きな木があれば、その木の下でお弁当を食べたりしたくなるし、荒野にそびえる一本の大木はランドマークにもなるし、虫や鳥たちも寄ってくるし……。そうだ、みんなが心地よさを求めて集まってくる場所、そんな店になれれば嬉しいな。そんな気持ちで店名は決まりました。

 では、この絵本『おおきな木』はどんな絵本でしょうか。アメリカで初版が発行されたのが1964年。本田錦一郎訳(篠崎書林刊)で日本語版が出たのが1976年となっています。しかし、現在日本で販売されているのは、村上春樹訳(あすなろ書房刊)で、タイトルは「おおきな木」のまま。原書に、bigとかtallとかの形容詞は使われていませんが、「長く読み続けられた本なので、混乱を避けるために、あえてそのままにした」(村上春樹氏あとがきより)とのことです。

 作者のシェル・シルヴァスタイン(1930〜1999)という人は、僕は絵本作家としてしか知りませんが、漫画家、作詞作曲家、ミュージシャンなどとしても活躍した人で、原書の裏表紙には顔写真がデカデカと掲載されているくらいなので、アメリカでは有名人のようです。

 ストーリーは明快です。

 一本のりんごの木と一人の少年。少年は木に登ったり、枝にぶら下がったり、りんごを食べたり、かくれんぼをしたりして遊びます。でも、時は流れ、少年も大きくなると、木で遊ぶこともなくなり、木はひとりぼっち。ある日、少年はりんごの木にやって来て、お金が欲しいと言います。木は、お金はないけどりんごを集めて売ればいいとりんごを与えます。さらに年を経てやって来た少年は家が欲しいと言います。木は、私の枝を切って家を建てなさいと枝を与えます。さらに年を経て老人になった少年は船が欲しいと言います。木は、私の幹を切って船を作りなさいと幹を与えます。そして、さらに年老いた少年は休む場所が欲しいと言います。木は、この切り株に腰を下ろして休みなさいと言います。それで木は幸せでした。おしまい。

 この絵本の原題は ”The Giving Tree” (与える木)。少年のことが大好きだった木は、少年の生涯にわたって自分のすべてを与えて、幸せだったということなんですね。全てを与えてしまっても、自己犠牲とは考えない。ましてや損得勘定などもないわけです。多くの人は、このりんごの木の行動に母性を感じ取ります。母と息子の関係というのはこういうものなのでしょうか。

 また、僕はこの木は自然の恵みとも捉えることができるかもと思いました。人はみな、自然の恵みを与えられて育っていくわけですからね。この絵本に込められたメッセージは何なのか。こんなふうに、読んだ人がそれぞれに感じることができる絵本です。みなさんも是非一度お読みいただければと思います。

おおきな木 杉山三四郎

トンボ天国と子ども時代が蘇った大人たち

 フェイスブックを始めて8年。当店では、イベントの告知などで公式ページを作っていますが、普段利用しているのは僕の個人ページで、「友達」は現在約900人弱。ほぼ毎日目を通していますが、投稿されている写真を見るのは楽しいものです。その中に、野鳥や昆虫などの生き物の写真をしょっちゅう撮ってアップされている方があり、1年ほど前に、ぜひこの方のお供をさせていただきたいと思い、メールをしてみました。そうしたら、ぜひぜひということで案内していただいたのが、岐阜県笠松町にあるトンボ天国です。

 トンボ天国は木曽川の河川敷にある自然保護地域で、面積はそれほど広くはないのですが、6つの池(たぶん河跡湖)があり、里の自然がたくさん残っているところです。初めて行ったのは20年以上前でしたが、ショウジョウトンボやチョウトンボといった図鑑でしか見たことがなかったトンボがたくさん飛んでいて感動したことを覚えています。

 それ以来の久々のトンボ天国。ここで、その方、箕浦先生に初めてお会いしました。近くに住んでおられて、毎日のようにトンボ天国に通って生き物の観察を続けておられる先生のお話を聞いていると、生き物を見る目も変わり、それ以来数回訪れています。先日(11月19日)も現地で先生とお会いして一緒に歩きました。トンボは少なくなる時期ですが、交尾をするアキアカネやオオアオイトトンボなどがいました。と言っても、僕にはイトトンボの種類を判別する能力はありませんが、先生には普通に分かるんですね。野鳥はいろいろいました。これは僕にも分かります。モズ、シジュウカラ、コゲラ、ジョウビタキ、エナガなどに会えました。12月になればさらに種類は増えてくるそうです。

 箕浦先生は岐阜大学工学部の元教授で、現在は名誉教授という肩書きをお持ちなのですが、ご専門以外にも自然分野や芸術分野にも多才なすごい方です。でも僕とちょっとした共通点がありました。

 子どものころから蝶々好きで、標本もいくつか作っていた。そのころの標本箱は紙の菓子箱だったので、全部虫に食われて跡形もない。結婚をして子どもができると、子どもの影響で自分の虫捕り熱が再燃、自分の方がのめりこんでしまった。

 これ、僕も全く同じです。でも、そののめり方が違います。標本の数が、ドイツ箱という木製の本格的な標本箱50箱ぐらいはあるそうです。僕も大人になってから採集した蝶はドイツ箱に標本を収めていますが、僕は15箱。比べものになりません。標本を作る作業はなかなか手間がかかるので、僕の昆虫採集は店を始めてからは徐々に終息していきましたが、先生は捕虫網をカメラに代えてずっと続けてこられたんだと思います。一方、僕の方は野外塾を始めたおかげで、蝶だけではなく、その他の昆虫や魚なども観察したり採集したりする機会があり、今でも興味だけは持ち続けています。

 その野外塾でも、箕浦先生や僕と同じような道をたどっておられるお父さんやお母さんを見かけます。虫捕りや魚捕りなどのプログラムもあるんですが、子どもよりも夢中になってる人が結構いますからね。きっと子どもと一緒に自然の中に足を踏み入れることで、自分の子ども時代が蘇るんでしょうね。好奇心旺盛な子ども時代に戻れたらこんな素晴らしいことはありません。そして、こんな風にして身近な自然環境を次の世代に残していければいいのではないかと思います。

おおきな木 杉山三四郎

不可解な増税と面倒なキャッシュレス化

 会員登録をしている某紳士服店から、時々お買い物券が届きます。3000円以上の買い物で2000円割引というお得感。ついつい使わなきゃ損みたいな気になって何度か利用していましたが、今回からこれが電子交付となったそうで、お買い物券はダウンロードしてお使いくださいとのこと。ああ、これも時代の流れかと諦めざるを得ないのですが、こういうの、なんかありがたみがないよなと思ってしまうのは僕だけでしょうか。図書カードも図書券の時代の方がよかったよなって思うんです。紙幣のように財布に入っている方が金券という感じがするじゃないですか。今の図書カードはQRコード読み取り式になっていて、今いくら分残っているのかはスマホをかざさないと分からないんです。

 そして、今ここに来て政府が主導してやっているのがキャッシュレス化。来年のオリンピックに向けてやらなくてはいけないんだとか。確かにアジアやヨーロッパ諸国を旅行すると、どんな小さな店でもクレジットカードが使えたりするので、便利といえば便利なんですけどね。それに比べると日本はまだまだ現金払いが主流。これって遅れてるんでしょうかね。現金に対する信用が日本は高いということなんですから、別に諸外国に追随することはないと思いますけどね。

 おまけに消費税増税の免罪符のように始められたキャッシュレス決済5%ポイント還元制度。当店も対象店舗ですので申請はしてるんですが、審査に時間がかかるらしく、1か月以上経ってもまだ承認が得られていません。9月の時点で対象店舗の約3割しか申請がされていないということだったので、駆け込みがいっぱいあったんでしょうね。でもね、こんなことにかけられるお金があるんだったら消費税を上げる必要なんてないんじゃないかというのが正直な気持ちです。

 そして、今まではほとんど必要を感じていなかったので放っておいたQRコード決済の申請も重い腰を上げて面倒な書類を提出しました。アップルペイとかペイペイとかアリペイとか、何とかペイなるものがクレジットカード以上に種類があって、今後どれくらい利用があるのか分からないのに、各社に申請しなくてはいけないので大変なのです。おまけにクレジットにしてもペイにしてもお店は手数料を負担しなくてはいけないわけで、現金払いの方がありがたいのです。消費者の身になってみても、こうした目に見えないお金ってありがたみがないし、各種あるポイントカードもいくら貯まっているのかよく分からないし、使い方もよく分からなくて、どうも損をしているような気がするだけです。若い人たちには抵抗感がないのかなあ。

 とにかくこうしたことがこの10月に一気にやってきて煩わしい思いをしているのに、消費税が上がったことで消費が冷え込んでいる感じが実感としてあります。安倍内閣で内閣官房参与を務められた藤井聡さんが書かれた『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)という本を読んでみましたが、1997年に3%から5%に上がった時、2014年に8%に上がった時、いずれも消費が落ちこんでデフレが進み、各世帯あたりの収入は減り、国の税収も減少するという結果になったようです。消費税は消費に対する「罰金」のようなもので、デフレが続き景気が後退しているときに消費税を上げるというのはとんでもないというのが、この藤井さんの主張です。こうしたアドバイザーの言うことに耳を貸さずに強行したのが今回の10%増税なんですね。

おおきな木 杉山三四郎

マスコミの矜持が問われる差別的報道

 今年6月にスイスに行った時のこと、ルツェルンという町で、予約していたホテルへの行き方が分からなくて駅の観光案内所に入りました。3人の女性スタッフがいて、一人がパソコンで調べてくれている間、あとの二人は何やらにこやかにしゃべっています。そして僕に、「Where are you from?」と聞いてきて、「Japan」と答えると、二人はがっかりした表情を見せました。「えっ、なんでなんで?」と聞くと、どうやら二人は僕が何人かという当てっこをしていたらしく、「私は中国人、彼女は韓国人だと言ってたのよ」とのことで、見事二人ともハズれたわけです。「ごめんなさい」と謝っていましたが、ま、そんなもんなんでしょうね。自分たちでさえ区別つきませんからね。

 そんなよく似たお隣同士の国々ですから、仲良くお付き合いをしていきたいものですが、ここのところ、日本と韓国の関係がよくありません。韓国の文在寅大統領が対日強硬策をとっていて、歴史問題を蒸し返してきたことが発端だったのではないかと思うのですが、それに対する日本政府の対応が火に油を注ぐような形になってしまって、ややこしくなってしまいました。

 両国民の意識調査では、日韓関係が良好であることを望む人が圧倒的に多いのですが、日本政府の対応は売られた喧嘩を買うような姿勢を見せて、「けしからん!」と言ってみたり、「無礼者!」と言ってみたり、政府の代表としてやってきている担当者を粗末に扱ったりと、わざわざ相手を怒らせるような態度を見せてきました。そして、歴史問題を争点にするのではなく、経済問題で制裁を加えるようなことまでしたわけです。詳しいことは僕には分かりませんが、海外メディアなどによると、日本と韓国が経済制裁の応酬を始めたら共倒れになるだけだと憂慮する意見も多数あるようです。

 関係を悪化させていいことなどひとつもないと僕も思いますが、さらに火に油を注いでいるのが日本のマスコミです。テレビのワイドショーで、著名人が韓国人に対する差別的発言をしたり、メジャーな某週刊誌が嫌韓特集を組んだり、さらに、いっときはどこのテレビ局でも文在寅大統領の側近の疑惑追及を毎日毎日特集したりと、よその国を叩いていったいどうするの? 何か展望はあるの? と言いたいです。その間、日本では厚労省の政務官の収賄疑惑があったのに、こちらはほとんど報道されていないのはどういうわけ?? 何かあるのではと勘ぐってしまいます。

 人種差別を助長し扇動するような行為をヘイトと言いますが、ヘイト本の多くは根拠のない「事実」をでっちあげて被差別者を叩くような内容で、読むに忍びない、聞くに耐えないものです。でも、こうした記事を読んで溜飲を下げるような人間もたくさんいるんでしょうね。だからヘイト本がそれなりの売り上げを上げていて、それに乗っかる形で、大手のテレビ局や出版社がその矜持も忘れて差別的な報道をする。これは一番やってはいけないことでしょう。それによって生まれるものは何もないわけですから。そう思いませんか?

 8月、日本人女性観光客がソウル市内で韓国人の男性に暴力を受けるという事件がありましたが、それに対する韓国国民の反応はその男性に対する非難でした。これには正直ホッとしました。国家間の関係が難しくなってきているときに、人種に関係なく人間としてやってはいけないことはいけない、恥ずかしい行為だとはっきりコメントできる韓国国民に敬意を表します。

おおきな木 杉山三四郎

300号! これも読者の方があってこそです

 「おおきな木つうしん」第300号となりました。25年と4か月で300号達成です。何事も三日坊主に終わってしまう性格の人間なのに、よくここまで続いてきたと、我ながら感心してしまいます。でもね、これもひとえにみなさんのおかげです。「いつも楽しみに読んでいます」という方が少なからずおられるので、それを励みにこの「さんしろうブログ」を書いています。

 何事も三日坊主と書きましたが、大体からして僕は広く浅くの人間で、何をやっても長く続くことがないのです。小学生の夏休みには、「今年は絵日記を毎日書くぞ」ととりあえず張り切るのですが、たいてい3日も持たずにそんな気合はどこかに行ってしまうんです。だから二学期が近づいてくると憂鬱になり、学校に行きたくない症状が発生します。

 ところが、こんな僕でも、中学2年から3年にかけて学級新聞を毎月発行したことがあります。その新聞の名前は「人間革命」。言っておきますが、某宗教団体の思想など全く知らないただのガキでしたから、その「人間革命」とは無縁であります。ただ、何となくちょっとかっこいいかも、と思いついたネーミングでした。コピー機などない時代ですから、白抜き文字で書かれた「人間革命」のロゴは毎回手書き。サイズはB4の縦で、4段組の縦書き。用紙はもちろんわら半紙で、ガリ版刷りです。

 記事の内容は、学級担任や教科担任の先生へのインタビュー、世の中のくだらないニュース(新聞の「海外こぼれ話」のような欄のパクリ)やクイズ(これもどこかからのパクリ)。そして、毎回好評だったのが、一コマ漫画。描いてくれてたのは似顔絵がうまいクラスの男子。登場人物はクラスの誰かか先生で、吹き出しに書かれたその会話を読むと、みんなが「ああ、あの事件ね」と了解できるような内容でした。その漫画がうまい同級生は、若くして油絵の画家としてデビューして、今も巨匠として活躍しています。

 ま、そんな学級新聞でしたが、2年間続けられたのは、まずクラスのみんなが面白がって読んでくれたからであり、先生に忖度することなく、自由に作っていたからではないかと思います。どんなに歌がうまい歌手でも、聴いてくれる人がいなくては成り立たないのと同じで、どんな表現媒体でもそれを受けてくれる人がいて初めて成り立つ訳ですからね。

 夏休みももう終わってしまいましたが、毎年この時期には、「読書感想文が書きやすい本はないですか?」というご質問を受けることががときどきあります。これってなかなかの難問でして、「この本を読めば書けます」と自信を持ってお勧めできる本はないのです。その子が読みたいと思える本に出会えるかどうか、結局はそこですからね。そもそも読書感想文を宿題にするというのはいかがなものでしょう。読み終わって、面白かったとか、つまんなかったで終わって、それでいいんじゃないか。何か書かなくてはいけないと思って読むのはつらいんじゃないかと、僕自身も読書感想文を書いた記憶がほとんどないので思います。

 でも中には上手に書く子もいるし、読書感想文が好きだったと言う人にも会ったことがあります。たぶんそういう人は、読み手を想定して文章が書けるんでしょうし、その人の受けを狙うことができるか、感じたことを素直にさらけ出してしまっていいと思えるか、ができる人なんじゃないかと思います。

おおきな木 杉山三四郎

「スイス鉄道ものがたり」を旅して

 『スイス鉄道ものがたり』(たくさんのふしぎ傑作集/福音館書店)という絵本があります。27年前に出た絵本なのですが、昨年、イタリアからレーティッシュ鉄道に乗って、ちょっとだけスイスに足を踏み入れて、アルプスの風景やスイスの山岳鉄道に魅せられたその頭で改めて読んでみました。すると、前に読んだ時よりもどんどんと想像力が膨らみ、そこに載っている鉄道に全部乗ってみたい、そして、アルプスの山々を歩いてみたい、という気持ちがパンパンに膨らみ、6月終わりから7月にかけて、ついに行ってしまいました。

 昨年のイタリア旅行の際に旅の計画を立てる楽しさにも目覚め、今回も6泊7日の旅程を全部自分で立てました。ちょっと偉そうですが、今はネットで何もかも検索できてしまうので、大したことではありません。おまけに、既成のツアーで行くよりも大幅に費用を削減することができるので、一挙両得です。

 さて、でもこの絵本の旅程を辿るととても6泊では行けないし、たとえ行けたとしても大きな荷物を担いでの移動ばかりになって忙しいだけになってしまうので、今回は、ユングフラウとマッターホルンの二つの有名観光地をメインに計画を立てました。いろいろ調べていてまず知ったことは、スイスの鉄道網の凄さ。とにかく山と湖ばっかりの国ですから、直線で走っている路線はほとんどなく、曲線やループを描いて走る鉄道が網の目のようになっています。そして、どんな田舎でも30分に1本ぐらいの割合で便があるのがまた凄い。おまけに乗り継ぎ時間も短い。田舎と言ってもそれだけ多くの観光客が訪れているということなんでしょうね。

 セントレアからチューリッヒまでは約17時間。チューリッヒからは4回鉄道を乗り換え、ユングフラウを望む村ヴェンゲンへ。そこからロープウェイでメンリッヒェンという山に登るとアイガー、メンヒ、ユングフラウの3名山を始めとする4000m級の山々が眼前に。そこから約2時間のハイキングコースはとにかく感動でした。色とりどりの花を咲かせる高山植物の群生。そこに訪れる高山蝶。カメラのシャッターを押す手を休める暇がありません。次の日は、ユングフラウ鉄道に乗って、標高3571mのユングフラウヨッホまで行く予定です。この鉄道は1912年に全線開通してるんですが、こんなところにまで鉄道を通してしまうこの国はすごいです。こんな登山鉄道がまた各所にあるんですからね。

 こんな調子で旅行記を書いていたら誌面がどれだけあっても足りないのでやめときますが、鉄道の旅がまたいいのは、いろんな国から来ているお客さんたちとの会話が楽しめるところです。チューリッヒからは、にぎやかなスイス人のおっちゃん、おばちゃんたち御一行様が、「どこから来たのか?」「どこへ行くのか?」に始まって、いろいろ話しかけて来てくれました。ツェルマットのゴンドラで隣り合わせになったスイス人の女性も、”Can you speak English?”に始まっていろいろ。ホテルやレストランでもみんなフレンドリーです。スイス人だけでなく、各国の人たちとも乗り物で会話が弾みました。香港、南アフリカ、インド、オーストラリア、中国、そして、大阪や広島のおばちゃんたち。大した話は全然してませんが、いいんです、それで。

 スイスが美しいのは自然や町の風景だけでなく、鉄道の外観、車内、各施設のトイレも美しい。観光立国であることは確かなんですが、車ではなく鉄道を優先させて来たのは環境への配慮も大きいんでしょうね。

おおきな木 杉山三四郎

岐阜人のソウルフード「冷やしたぬき」

 今回はそばの話をさせていただきます。でも、言っておきますが、私はそば通ではありません。ただのそば好き。そば道を極めている方からしたらお叱りを受けるかもしれませんが、立ち食いそば好きなのであります。もちろん、本格的な手打ちそばも好きなんですが、こだわりの店はそれなりのお値段がするので、お腹いっぱい食べようとすると僕の生活レベルを超えてしまいます。というわけで、いろいろトッピングをしてもワンコイン程度で済む立ち食いそばで十分なのです。

 でも、残念ながら岐阜には立ち食いそば屋は一軒もないので、「麺類・丼物」の食堂で食べるしかありません。東京で仕事をしていたころには、帰りの電車に乗る前に駅の立ち食いそば屋にしょっちゅう立ち寄ってました。でも、名古屋に転勤になると、名古屋も立ち食いきしめん屋はあってもそば屋はない。不思議ですね。今ではたまに関東方面に行くことがあると、立ち食いそば屋に行くのがひとつの楽しみになっていて、朝も昼も行ってしまったりもします。

 ではみなさん、岐阜には「冷やしたぬき」というソウルフードがあるのをご存知でしょうか。たぬきそばといえば、ここら辺では天かすが載ったそばで、だいたいどんな麺類食堂のメニューにもありますが、「冷やしたぬき」というと、岐阜人がイメージするのはある有名店のあのそばのことなんです。その店の名前は「更科」。おおきな木からも徒歩10分です。

 先日、岐阜市内にある長良川国際会議場で行われた「さだまさしコンサート」に行って来ました。彼のコンサートはトークもおもしろいんですが、そのネタにも「更科の冷やしたぬき」がありました。「今日、更科で冷やしたぬきと木の葉丼を食べて来まして〜」というと、場内がどよめきました。「えーっ、さだまさしのような有名人でも、あの庶民が通うそば屋に行くんだ!」とか「今日、更科にさだまさしがいたんだー!」みたいな反応でしょうね。僕は、「更科の冷やしたぬき」と言っただけでここに来ているほとんどのお客さんが分かってしまうというこの共通認識(ちょっと大げさですが)に感動しました。このどよめきで、ここにいる人たちみんな知り合いなんじゃないかと思ってしまいましたね。

 じつを言うと、更科を経営されているご家族はご近所同士なので皆さん昔から知っているんですが、うちが店を始めるとき、「更科のような店にするのが目標です」と奥様に言ったことがあります。あれから25年。とても足元にも及びません。うちはそこまで認知度もなければ行列ができることもないですからね。地元に定着するというのは並大抵のことではないのです。更科はまた地元だけでなく、週末などは県外ナンバーも結構来てますからね。マスコミ登場率も高いのです。

 とまあ、更科の話が長くなりましたが、冷やしたぬきの他にも岐阜人にとってのソウルフードはいろいろあるでしょう。でも、岐阜人からしたらそれが他の地域にはない独特のものであることは知らなかったりします。で、このたび岐阜新聞社から出た『ちほ先生が見た岐阜人の不思議』(大藪千穂著)を読んでみてください。京都に生まれ育った著者ならではの驚きが綴られていて、岐阜人の僕も改めて「へえー」と驚いています。日本各地にはそれぞれの文化があって、不思議なのは岐阜人だけではないのですが、不思議であることに誇りを持って生きて行きたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

子どももハマるタケノコ狩り

 4月後半から5月にかけての時期、僕は毎年落ち着かない日々を過ごします。何でかというと、山菜の季節だからです。「もう芽は出たかなあ?」「いや、まだ早すぎるかも?」。その年の天候である程度予想はできるものの、現地に行ってみないと分かりません。火曜日しか休めない僕の場合、タイミングを間違えると大ショック。1週間違うだけで野山の状況は全然変わってしまいますからね。岐阜市内でも、人気のコシアブラやタラの芽、セリやミツバなどは採れますが、やはりいいものをゲットしようとしたら時間をかけて雪深い山奥に行かなくてはいけません。なので、気が気でないわけです。で、今年はどうだったかというと、毎週ほぼほぼ当たり。例年通り、荘川、板取、揖斐、根尾あたりで、渓流釣りをしながら山菜を愛でて参りました。

 そもそも僕が山菜に出会うことになったのは20代の頃。赴任していた長野県の一番北の方の信濃町という雪国です。アパートなどひとつもないところだったので、地元の小学校の教師をしてらっしゃる方のお宅に間借りをしていました。そのご夫妻が春は山菜狩り、秋はキノコ狩りと山の幸に大変詳しい方で、いっしょにタケノコ狩りに連れて行っていただいたのが初体験でした。このとき僕は、タケノコというのは掘るものだと思っていたのですが、連れて行かれたのは戸隠あたりの笹薮。竹なんてないのに…??でした。そうなんです。このあたりでタケノコというと、根曲がり竹のことで、太めの熊笹といった感じです。土から顔を出したこの根曲がり竹のタケノコを手でポキっと折って収穫します。

 これが楽しかったのなんの。夢中になって藪をくぐってタケノコ探しをしていると、自分の居場所が分からなくなって、「おじさーん、おばさーん!」と大声で叫んでいたら、「どうしたの? ここにいるがね」とおばさんが笑ってました。すぐ近くにいたんですね。

 信州から新潟県の妙高あたりではこのタケノコを信州味噌でタケノコ汁にしますが、これがまた美味しいんです。タケノコの他に、じゃがいもと卵、それに鮭缶を入れるんです。鮭缶は高いから鯖缶でもいいよと教えてもらいましたが、どうやら鯖缶の方が正統派のようです。

 さて、先日、おおきな木野外塾では、「雪国の春キャンプ」を行いました。このキャンプ場は根曲がり竹の藪に囲まれていて、ちょっと入って行くだけでタケノコがニョキニョキ生えています。昨年も同時期に行ってるんですが、伸びすぎていてあまり収穫できませんでしたが、今年はタイミングばっちり。「山菜は何でも太い方が美味しいんだよ」と子どもたちに言い聞かせてから藪に放つと、みんな目を輝かせて太いタケノコ探しに夢中になりました。「ほら、そこに太いのがある!」「えっ、どこどこ?」。険しい藪の中まで採りに行ってくれるので、「ここ掘れ、ワンワン」状態。

 ここでは、タケノコの他に、ワラビもニョキニョキ生えていて、これにも子どもたちがハマりました。そして、僕は密かに、タラの芽やハリギリ、コゴミゼンマイ、コシアブラ、クレソンなども採りました。

 というわけで、山菜いろいろ大収穫。みんなでタケノコの皮むきをして信州流タケノコ汁にしたり、皮付きのまま焼きタケノコにしていただきました。ワラビはアク抜きをして翌朝おひたしにしましたが、子どもたちも結構食べてました。お昼は、山菜天ぷらうどんとクレソンのピザ。現地調達の食材でいろんなお料理ができる。これって最高のキャンプだと思いませんか?

おおきな木 杉山三四郎

25周年記念イベント終わりました

5月5日、こどもの日はおおきな木の誕生日でもあります。昨日、25歳を迎えたおおきな木、それを記念して「絵本まつり/さんしろう絵本ライブ with 長野ヒデ子、高畠純、ひろかわさえこ」を行いました。お客さんは約70名。3人の絵本作家さんをゲストに迎えたライブで、絵本の歌や読み聞かせ、紙芝居、トークコーナー、抽選会など、たっぷりの内容でしたが、子どもたちも最後までノリノリで見てくれました。いつも子どもたちに助けられています。

夜は、会費制の「25周年記念パーティー」。総勢約30名。古いお付き合いとなるお客様であり、大切なファンの方たちばかりで、いっぱいお祝いの言葉やお花などをいただいてしまいました。こうしたファンの皆さんに支えられて、ここまでやってこられたんだなあとつくづく感じ入っております。また料理は、河原町で新たに店を始めた長男が担当してくれました。

10連休最後の今日は、昨日の賑わいとは打って変わって店の方は静かな状態で、疲れた体でボーッとしています。4月30日の平成最後の日に行われた「ケロポンズファミリーコンサート」に始まった一連の25周年記念イベントやお客様感謝ウィークも何とか無事に終わりました。明日は定休日、明後日からは気持ちを切り替えて次の仕事をこなしていきたいと思います。

イベントに参加していただいたみなさん、ご来店いただいたみなさん、本当にありがとうございました。これからも、おおきな木をよろしくお願いいたします。

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平成から令和への節目に迎える25周年

 新年号が「令和」と決まりました。賛否両論あるようですが、僕自身は、「憲法を遵守し、平和な世の中であってほしい」という思いが込められているのだ、と勝手に解釈して納得しています。昭和から平成に変わったときもそうでしたが、馴染むまでにはある程度の時間はかかることでしょう。

 年号が変わり、天皇が代わることによって、新しい時代が始まるのかというと、特に変わりはないんでしょうが、ひとつの節目であるんだという気分的なものはありますね。ラジオやテレビ、新聞などでも、平成はいったいどんな時代だったのか、といったテーマの番組がありますが、30年と数か月の時代を振り返ってみる機会を与えてくれていることには間違いありません。みなさんにとって平成とはどんな時代だったんでしょう。それは人それぞれだし、一言で言えるようなことではないんですが、ただひとつ言えるとしたら、昭和と違って戦争が全くなく、平和が保たれた時代だったということではないでしょうか。令和になっても、平和憲法が守られ、戦争によって人々が傷つくようなことがない世の中が続いていくことを願ってやみません。

 さて、話は個人的なことになりますが、平成は僕の岐阜時代です。10年を過ごした東京から岐阜に戻って来たのが平成元年。母が病に倒れ、その看病のため、勤めていた会社に転勤を願い出て、1月に名古屋の支局に単身赴任しました。昭和天皇逝去の号外を名古屋駅前でもらったのをよく覚えています。このとき、長男が5歳、長女は1か月になるかならないかというときだったので、妻は大変だったと思います。

 そして、母が亡くなったのが平成3年。しばらくサラリーマンを続けていましたが、一旦岐阜に戻ってくると、あの東京の雑踏に身を置く自分が想像できなくなり、転勤の辞令が下りる前に退職をして、10年ほど前から描いていた夢を実現させる道を選んだわけです。

 そして、平成6年5月5日におおきな木がオープンしました。25周年記念イベントに向けて、当時の記録を編集する作業をしているのですが、今も続けていることば塾や野外塾の他にも、いろんな企画を立てていたんだなあと我ながら感心しています。今はおもちゃ売り場になっている店内奥のスペースは展示コーナーになっていて、毎月絵本原画展などを行い、それに合わせて絵本作家さんを招いて講演会もしていました。でも、原画展はなかなか大変で、その割に集客にもつながらないということが分かり、数年でやめてしまいました。

 また、毎月、人形劇、腹話術、おはなしおじさん(おばさん)、手品師、ミュージシャンなどに来ていただいて、「おはなし広場」というのもやっていました。今回、平成最後の日に行うケロポンズファミリーコンサートのような親子向けコンサートや保育者向けセミナーなども毎年行っていました。こうしたイベントは満員御礼ということもありましたが、思ったほど人が集まらなくて大赤字になったこともありました。人を集めるというのは本当に難しいですね。

 前代未聞の10連休中に平成から令和へのバトンタッチが行われますが、この連休中に、10数年飲食の仕事をしてきた長男が、それまでの勤めを辞め、独立して、岐阜市内の観光地である川原町界隈で飲食店を始めることになりました。新たな時代に新たな事業を始める息子に、父として、また地域を盛り上げる同志として、エールを送りたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎