絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


キャンプブームの中、山菜キャンプなのだ

 皆さんご存知かどうか分かりませんが、世の中では今や空前のキャンプブーム。週末ともなるとあちこちのキャンプ場は大賑わいで、平日や冬の間でも結構のキャンパーが来ているようです。何十年も前から、毎年当たり前のようにキャンプを楽しんできた身としては、これまた一体どうしたこと?という感じですが、昨年秋に野外塾で行ったキャンプ場で今まで見たこともないような光景が広がっていて、それを実感しました。ここには30年ぐらい前から行ってますが、立派なテントがびっしりと埋まっていて、こんな光景は初めてです。

 このブームは新型コロナウイルスが一役買ってます。海外旅行は行けないし、国内旅行でもいろんな意味で恐怖感があるし、ならば屋外で密閉が避けられるキャンプならいいんじゃないかということなんでしょうね。アウトドア用品の有名ブランドメーカーでは品薄が続いているという話もあるし、スポーツ用品店はもちろんのこと、ホームセンターまでも特設キャンプコーナーができているのでびっくりです。

 このブームの中、5月中旬に富山県の某キャンプ場に行ってきました。ここも30年ほど前から使っているキャンプ場ですが、満杯だったらどうしようと、数年ぶりに恐る恐る訪れてみました。すると、だーれもいません。ここにはブームは来ていないようでした。

 僕にとってこの時期のキャンプ最大の目的はというと「山菜」です。ここのテントサイトにはアサツキが雑草のように生えていて、山菜の上にテントを張っているようなものです。10分ほど歩いて行くと、秘密の谷があって、けもの道を踏み分けてクマに警戒しながら登って行くと、渓流沿いにワサビが群生しています。ウドがにょきにょき生えている場所にも遭遇。ギボウシもちょうどいいのがあちこちにあるしで、もう山菜の王国です。「雪国っていいなあ」とこの時期限定で憧れています。

 さて、その10日ほど後には、野外塾の「雪国の春キャンプ」に20数名の親子で行ってきました。場所は高山市荘川。ここも山菜の宝庫です。一番のお目当てはネマガリダケの竹の子。タイミングはバッチリで、子どもたちも藪をかき分けて竹の子狩りに夢中になりました。仕込みが大変ですが、皮むきも有志が集まってやりました。できた竹の子料理は信州流竹の子汁。僕が若かりし頃、長野県信濃町で居候をしていた家のご夫妻に教えていただいた食べ方ですが、これが今でも毎年この時期のお楽しみになっていて、野外塾でも恒例。たくさん作りましたが、完食でした。ここでは竹の子の他に、ワラビが一面に生えているところがあり、子どもたちはワラビにもしばし夢中。家にお土産に持って帰るんだと、ワラビの束を握っている子もいました。このキャンプでは、ウドやイタドリの天ぷら、クレソンのピザなどもいただきました。

 野外塾では、野生の力(ワイルドパワー)のことを「野力(のぢから)」という造語で呼んでいますが、山菜はまさに「野力」。これを食べて体力も付けています。そして、野に放たれた子どもたちは、チョウやガやセミなどの昆虫や、イモリやトカゲなども捕まえてきて目を輝かせていますが、これも「野力」です。

 キャンプ場に、「のんびりと自然の中で大人のキャンプを楽しみませんか」と張り紙がしてありましたが、僕の場合、自然の中にいると誘惑が多すぎて、子どもと同じでじっとしてはいられないので、当分「大人のキャンプ」はできそうにありません。

おおきな木 杉山三四郎

楽しく勉強できる「バーバパパのがっこう」

 『おばけのバーバパパ』(アネット=チゾン/タラス=テイラー作、山下明生訳/偕成社)という絵本はご存知でしょうか。僕がこの絵本に出会ったのは、大学をやめて北信の田舎町で一人暮らしをしていた時でしたが、最近、このシリーズの一冊『バーバパパのがっこう』という絵本をあるきっかけで紐解いてみました。

 先月もこの欄でご紹介しましたが、この春、岐阜市に草潤中学という公立の不登校特例校が開設されました。学校案内の表紙には「ありのままの君を受け入れる新たな形」と書かれています。校則もなければ、校歌も校章もない。決まった制服や体操服もないし、給食もなし。担任は生徒が自分で選ぶとか、通学形態もみなそれぞれでOKという、今までの公教育の常識を破った試みがされています。その草潤中学の開校式で話題になったのが、『バーバパパのがっこう』(講談社)です。来賓として参加された京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之さんが、「理想の学校」としてこの絵本を紹介されて、列席の方々が感銘を受けました。

 バーバパパは何にでも形を変えられるおばけで、これまでもその「特殊能力」を使っていろいろと人助けをしてきました。バーバ一家は全部で9人。バーバママとの間には、7人の個性豊かな子どもたちがいます。

 ある日、バーバパパたちが可愛い友だちを連れて学校に来てみると、生徒たちは教室で大暴れ。学級崩壊状態です。親やおまわりさんたちは、「子どもはびしびし躾けることが肝心だ」と言うのですが、バーバパパはその意見には反対で、「子どもは、楽しみながら勉強させてやらなくっちゃいけません」「音楽が好きな子どももいるし、鳥や動物が好きな子どももいます。そんな自分の大好きなことを勉強するのなら、きっと喜んでやりますよ」と、新しい学校を作ることにしました。子どもたちが勉強したいことは様々なんですが、バーバ家族はみな個性豊かなので、特殊能力も駆使してそれぞれに合わせた教科を受け持つことができるんですね。そして、一年が経ち、学校は楽しく勉強ができる場所になってバーバパパは大満足。バーバパパは言います。「子どもたちは学校でたくさんのいろんなことを勉強しました。だけど、何よりも素晴らしいのは、みんなみんな、楽しく幸せにやっているということです」と。

 「バーバパパシリーズ」はフランスのお話ですが、さて、日本の学校は楽しく勉強できる場所になっているでしょうか。おおきな木では野外塾という活動を行なっていますが、その子たちに「学校は好き?」と聞いてみると、ほとんどの子が「嫌い」と言います。どうしてでしょう? だいたいの想像はつきます。意味があるのかないのか分からないような校則があったり、宿題、宿題で苦しめられたりの毎日。楽しいはずがありません。子どもたちがやりたいこと、知りたいことはみなそれぞれあると思うのですが、そうした多様性を受け入れることはできていません。不登校特例校だけでなく、どこの学校でも、「ありのままの君を受け入れる形」に発想を変えていくことができれば、みんな学校が大好きになるんじゃないかと思うんですけどね。

 先日、今期最初の野外塾「春のデイキャンプ」を行いましたが、同じ場所にいてもみんながやりたいことはみんな違います。主宰者として、いろいろと教えたいこともない訳ではありませんが、何よりも大事なのは、「みんなが楽しく幸せにやっている」とうことです。みんな違って当たり前。多様性を楽しみたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

「ナージャの5つのがっこう」から思うこと

 今回は『ナージャの5つのがっこう』(K.ナージャ  文、市原 淳 絵/大日本図書)という絵本をご紹介します。著者のキリーロバ・ナージャさんは、旧ソ連のレニングラードに生まれて、ロシアの小学校に通っていたのですが、科学者の両親の転勤で、小学校3年生の時にイギリスの小学校へ転校したのを皮切りに、その後、フランス、アメリカの小学校を転々とし、4年生の時に日本の小学校に転校してきます。その5か国で実際に通った地元の学校の違いを紹介しているのがこの絵本です。

 まず、教室の座席のレイアウトの違い。日本では、黒板とその前に立つ先生に向かって座るのが一般的ですが、イギリスでは大きめのテーブルが並んでいて、5〜6人が囲みます。グループで勉強を教え合うというスタイルですね。フランスでは、みんなの机がひとつの輪になって並んでいます。みんなの顔がよく見えて、先生はその輪の中に入って子どもたちに語りかけるという形です。まるで国連の会議のようですね。アメリカはさらにすごくて、この輪の中にカーペットが敷かれ、その上にソファもいくつかあって、そこで読み聞かせをしたり、ディベートをしたりするそうです。授業中はおしゃべりは禁止で、先生の言うことにしっかり耳を傾けるという日本の教室とは違って、子どもたちが自由に意見を言い合うことが重視されているんですね。先生はファシリテーターとしての役目を担っています。

 ランチの取り方もみんなずいぶん違います。日本では、ランチルームがある学校もありますが、大抵のところでは教室で全員が同じ給食を食べます。ロシアでもほぼ同じなんですが、朝食も給食なんだとか。この絵本には書かれていませんが、イギリスやアメリカは給食を食べてもいいし、家からランチを持ってきてもOKで、給食のメニューを見て決めたりする子もいるんだとか。そして、フランスでは、長い昼休みがあって家に帰って家族と一緒に食べる子が多いんだとか。

 お国によって学校のシステムは大きく違うんですが、ナージャが一番びっくりしたのは日本の学校です。みんな、同じかばんに同じ帽子、名札、上履き、防災頭巾。プールではみんな同じスクール水着に帽子、教科ごとにノートがあるのもヘン。不思議なことだらけです。

 この欧米と日本の学校の違いを一言で言えば、多様性を認めるか認めないかの違いではないかと思います。現在は日本の電通でコピーライターとして活躍されているナージャさんですが、彼女のブログにはこんなことも書かれています。日本の学校の初日にあった数学のテストで、全問正解だったのに、数字の書き方が違っているので不正解だと言われたというんです。アラビア数字やアルファベットの書き方は国によってまちまち。なのに、日本ではひとつしかないと言われたとか。

 欧米の国々では、人種、宗教、思想、貧富の差などが多様化しており、それを前提として学校教育がなされていますが、日本も様々な面で多様化しています。でも、島国根性というのか、異質なものを認めていくことにはまだまだ抵抗感があるように思います。画一的なスタンダードがあることによって、それに馴染めない子は不登校になっているのが現状です。

 この春、岐阜市立草潤中学という、多様化を認めることをコンセプトとする不登校特例校ができます。制服も校則も校歌も給食もない、授業の受け方や先生は生徒が自分で選べるという画期的なことが書かれていますが、これからどんな展開を見せるのか楽しみです。

おおきな木 杉山三四郎

春の妖精ギフチョウに魅せられて

 皆さんはスプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)という言葉をご存知でしょうか? 直訳すると「春の儚きもの」となりますが、日本語では「春の妖精」と普通呼ばれています。春真っ先に一面に可憐な花を咲かせたと思ったら、1〜2週間後にはすっかり姿を消してしまう、そんな植物たちのことで、その儚さゆえにそう呼ばれているのです。

 その代表的な花といえば、やはりカタクリではないでしょうか。そして、もうひとつ、僕自身が子どもの頃から馴染みがあるショウジョウバカマ。岐阜市内でもちょっと山に入れば見ることができます。この2つの花が特別な意味を持つ訳が実はあって、どちらもギフチョウが吸蜜に訪れる花だということです。

 スプリング・エフェメラルというのは、植物だけでなく、ギフチョウのような春限定で姿を現す蝶たちのこともそう呼ぶことがあります。ギフチョウの他に、ミヤマセセリ、コツバメ、ツマキチョウなどがいますが、いずれも儚げな蝶々たちです。これらも桜の咲く時期に成虫となり、その後姿を消してしまうのです。

 さて、その春の妖精ギフチョウですが、僕が初めて出会ったのは小学生のころ。蝶好きの同級生たちと春になると谷汲(現在は岐阜県揖斐川町谷汲)とか、岐阜市内の三田洞とか逹目洞(だちぼくぼら)に、虫採り網を持って出かけました。谷汲は今では採集禁止になっているみたいですが、当時はそういう規制はなく、子どもだけで名鉄谷汲線に乗って行き、どこかから仕入れた情報によるポイントで採集をしました。腐葉土の萌える匂いに包まれた開けた里山の道を歩いて行くと、ひらひらと舞い降りてくる白っぽい蝶。それがギフチョウだと判ると、もう胸はドキドキでした。興奮しながら網に入れることができたのはほんの数頭だったと思うのですが、家で展翅坂に翅を広げているときは幸福感に満ち満ちていたわけです。

 十代半ばともなると、蝶への興味は失せてしまうのですが、やがて家庭を持ち、子どもが成長していっしょに昆虫採集をするようになると、また火が着きました。大人になると機動力がありますから、いろんなところに行けます。ですが、ギフチョウだけは子どもの頃に行った場所にも出かけて行きます。卵の採集もし、飼育もしました。幼虫になると食草のカンアオイをよく食べるので、その採取がなかなか大変でした。その飼育個体は標本箱にずらーっと並んでいますが、今では標本にする根気もなくなり、もっぱらカメラに収めるところまでなんですが、興味は尽きません。

 こんな憧れのギフチョウの生態を絵本にしている人がいます。舘野鴻(たてのひろし)さん。カンアオイの葉の裏に産み付けられた10個の卵。それが孵化して黒い毛むくじゃらの幼虫になって、やがて蛹になり、翌年の春までおよそ10か月間をずっと雑木林の落ち葉の下で暮らす。そんな様子を細密な絵で描かれています。卵から成虫になるまでには、アリやオサムシやネズミやモグラなどに食べられてしまうので、100個の卵から成虫になるのはわずか2〜3匹なんですね。

 舘野さんの絵本は、『ぎふちょう』(偕成社刊)に続いて、『つちはんみょう』『しでむし』『がろあむし』が出ましたが、『ぎふちょう』はともかく、あとはマイナーな虫たちです。でも、そこには壮絶ともいえるミラクルなドラマがあるんです。3月27日、ギフチョウのシーズンに舘野さんがおおきな木にやってきますよ。

おおきな木 杉山三四郎

大家族の中で育つ子どもたち おおきな木野外塾

 今年は岐阜市内でも新年早々雪が積もりました。関市内の保育園で絵本ライブを終えると、パラパラと雪が舞ってきて、子どもたちは大喜びで園庭に飛び出していきました。子どもって雪が大好きですよね。僕も、子どもの頃は、朝起きて雪が積もっていると心が踊ってましたからね。子どもの特権です。

 雨でもそうです。水たまりができると、大人は避けて歩くのに、子どもはわざわざバシャバシャと入って遊びますからね。野外塾でもそうです。テントの屋根に溜まった雨水を浴びてはしゃいだり、泥んこの中にわざわざ足を突っ込んだりして遊んでますからね。時には、泥んこの山の斜面をお尻で滑って遊んでいたこともありました。アンビリーバブルです。

 でも、こういったことは一人っきりでもやるんでしょうか。やる子もいるかも知れませんが、たぶんみんなでやるからエスカレートしていって楽しくなるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。

 おおきな木では、自然の中で思いっきり遊びたいという思いで、27年にわたって野外塾を続けてきました。昨年は、新型コロナの影響で春の活動が中止になったりしましたが、その後は毎月のプログラムをほぼ予定通り続けてきました。ウイルス感染の心配がないわけではありませんが、自然の中で遊んでいる限り、三密は避けられるわけで、子どもたちは弾けてます。

 長年続けてきていつも思うことは、「子どもって群れで育つんだなあ」ということです。野外塾は、何をしてても基本は自由ですから、野に放たれた子どもたちは、一日山の中の秘密基地でみんな好きなことをして過ごしています。落とし穴を掘り始める子、ロープコースやブランコで遊ぶ子、ひたすら何かを拾っている子、汗びっしょりで鬼ごっこをしてる子、水で遊ぶ子、生き物に夢中の子、隠れ家を作る子、たき火のそばから離れない子、みんないろいろ。自然の中には子どもたちの興味をそそるものがたくさんあるんです。

 野外塾では上下関係は全くないので、お互いの学年など気にしてないみたいで、ただ自分の興味で動いていた時にそばにいた子と自然に繋がりができます。お互いを〇〇さんと苗字で呼び合っているところはあまり見たことがなく、たいてい下の名前で呼び捨てで遊んでいます。ずっと年上の子に対しても呼び捨てですが、憧れの友だちでもあります。そして、年上の子たちは小さい子たちの面倒もよく見てくれて、遊ぶ時には年下の子もちゃんと誘ってくれたりします。いろんな生き物や食べられる植物に出会ってどうしたらいいのか分からなくても、お互い教えあったりしてるんですね。僕も今までの人生の中で学んできたことを、子どもたちにおもしろく伝えることはしてますが、子ども同士で学んでいくことも多いのではないかと思います。

 そして、子どもだけでなく、大人同士もいい関係ができているように思います。近年はお父さんの参加も多くなりました。父親の子育て参加が増えて、お父さん同士も話が合うんでしょうね。子どもたちといっしょになって遊んでくれるお父さんやお母さんもいて、自分の子だけでなく、よその子も巻き込んでもらえるのはとてもありがたいことです。多くても月に一度会う仲間たちですが、なんか大家族のような気がします。

 野外塾では、いつの頃からか、僕は「三ちゃん」と呼ばれていますが、共に参加している妻共々、友だちだったり、家族の一員と思っていただければ本望です。

おおきな木 杉山三四郎

コロナコロナの1年を振り返って

 明けましておめでとうございます。といっても、この文章を書いているのは年の瀬で、「今年はコロナコロナで明け暮れてしまったなあ」と、あっという間に駆け抜けた1年をしみじみと振り返っております。

 1年前には、中国武漢で新型のウイルスが流行り始め、「日本にやってこなければいいけどなあ」などと、対岸の火事を見て祈ってましたが、あれよあれよという間に日本どころか世界中に広がってしまいました。

 2月に入って、埼玉県の図書館や保育園で絵本ライブの出張公演をしていましたが、2月後半になると、3月以降に決まっていた各地での「さんしろう絵本ライブ」の公演が次から次へとキャンセルとなり、初めて訪れる場所もいくつかあったのに、残念で仕方ありません。でも、まだその頃には、暑くなれば収まってくるだろう、そうなればまた声がかかるのでは、などと楽観視していました。ところがところが、未だ収まる気配がありません。自然の猛威に打ち勝つのは容易なことではないんですね。

 おおきな木発足以来ずっと続けてきた「ことば塾」と「野外塾」も休止を余儀なくされました。とくに野外塾は大勢の会員を抱えているだけに、先行き不安の中でどう判断をしていったらいいのか悩みました。しかし、野外塾は野外での活動だから密閉空間ではないので感染リスクは低いのではということで、緊急事態宣言が解除されるのを待って再開しました。

 とは言っても親御さんたちの不安が消えたわけではないので、どれぐらい活動に参加してもらえるのか全く未知数でしたが、5月31日に延期していた「春のデイキャンプ」には、雨だったにも関わらず大勢の参加者があり、嬉しくもあり、驚きでもありました。自宅にこもりっきりだった子どもたちは、待ってましたとばかり、秘密基地で大はしゃぎ。大きなブルーシートを雨よけに張ると、それに大喜び。テントの下で踊り始める子もいれば、テントから落ちる雨水でグチョグチョになった泥に入って遊び始める子もいるし、ロープコースを作ったら群がるし…。焚き火ではいろんな料理もしました。年に数回やるデイキャンプですが、この日はいつまでも記憶に残るデイキャンプになりました。

 このデイキャンプの後、いくつかの泊りがけプログラムは中止にしましたが、恒例の無人島キャンプなどは実施しました。がらがらの新幹線で岡山に向かったのをよく覚えています。島に渡ってしまえば「密」になることはまずないのですが、行き帰りはちょっと心配、と思ってましたが、全然大丈夫だったわけです。島ではいちおうテントは張るものの、テントで寝る子はほとんどなくて、みんなは星空を仰ぎながら外で寝ています。大声でしゃべったり歌ったりはしていましたが、紫外線を浴びて遊びまくることは、何よりもの予防策なのではないかと思います。

 秋以降のデイキャンプやいも煮会も大勢参加してくれました。子どもだけでなく大人の参加率も高かったです。「このコロナの中で、野外塾があって本当に良かったです」と何人かのお母さんに感謝していただき、本当に嬉しかったですが、主催する我々も、改めてこういう野外活動の大切さを噛み締めています。

 まだまだマスクを外せる状況ではありませんが、紫外線を浴びて遊ぶこと、笑うこと、美味しいものを食べること、お風呂で体を温めることなど、免疫力を高めることがまず大事だと思っています。

※写真は、5月31日のデイキャンプ

おおきな木 杉山三四郎

クリスマスってなんだろう?<絵本で知るクリスマス>

 時が過ぎるのは本当に早いもので、今年も残すところあと1か月。クリスマスや新年を迎える時期になってしまいました。先月のこの「つうしん」で、GoToトラベルで登山をしたという話を書きましたが、それ以降コロナ感染者数は記録を更新し続けており、さて、いったいどんな年越しを迎えられるのでしょうか。

 それはさておき、クリスマスという行事はそもそも一体何なんでしょう。『クリスマス』(バーバラ・クーニー作、安藤紀子訳/ロクリン社)という絵本を紐解いてみましょう。キリスト教の国々においては、イエスの誕生を祝う日、それがクリスマスです。祝い方は国によって様々ですが、元となっているのは、「新約聖書」に描かれたイエス誕生の物語ですね。”Twelve Days of Christmas”(クリスマスの12日間)という歌がありますが、イエスの誕生を祝う行事は、11月の末ごろから始まり、クリスマスから12日目の1月6日まで続くんだそうです。「東方の三博士」が空に大きな星が輝くのを見て、ベツレヘムの馬小屋にたどり着くまで12日間を費やしたことが元になっているようです。

 また、クリスマスに繋がる行事は、イエスが生まれるずっと前からあったということで、冬至の祭りがそのひとつでした。太陽の復活を祝う行事は古代から行われていたんですね。このあたりのこともこの絵本に書かれていますので、ぜひお読みいただければと思います。

 では、クリスマスにはなぜツリーを飾るんでしょうか。『クリスマスツリーをかざろうよ』(トミー・デ・パオラ作、福本友美子訳/光村教育図書)という絵本を見てみましょう。そのルーツはドイツなんだそうで、中世の頃からあったその風習が18世紀にアメリカにも渡り、ツリーも巨大化していったんだそうです。クリスマスツリーにロウソクを灯すわけ(今ではLEDライトですけどね)や、ツリーのてっぺんに飾るお星様の意味も分かります。

 さて、では、クリスマスは日本にはいつごろ伝わってきたんでしょう。少なくとも僕が幼かったころ(60年ほど前になります)にはすでにクリスマスツリーを飾る習慣もあったし、サンタクロースもいました。クリスマスの朝起きると、枕元にはちゃんとおもちゃが置いてありましたからね。一年で一番嬉しい朝でした。

 宗教行事にはなっていない日本でクリスマスが定着したのは、サンタクロースの存在が大きいのではないかと思いますが、サンタクロースはいつごろ生まれたんでしょう。その起源は、4世紀に実在した聖ニコラウスという司教であるというのが定説ですが、現在日本で定着しているサンタクロース像は、アメリカから来たもので、1823年に新聞に掲載された一編の詩が元になっています。”The Night Before Christmas”、書いたのは、クレメント・クラーク・ムーア(1779〜1863)という神学校の先生です。8頭立てのトナカイがひくそりに乗って空を飛んできて、煙突から家に入って、靴下にプレゼントを入れていく小太りのおじいさん。名前はセント・ニコラス。子どもたちの夢を大きく広げてくれるこの詩を元にした絵本もたくさん出ていますので、ぜひお読みいただければと思います。

 日本ではクリスマスにデコレーションケーキを食べるという習慣がありますね。これはお菓子メーカーの不二家が、「クリスマスにはケーキを」と売り込んだのが始まりとか。「バレンタインデーにチョコを」と同じ戦略ですが、こちらは大正時代の話のようですよ。

おおきな木 杉山三四郎

新型コロナ対策の恩恵にもあずかって…

 今年は、このまま行くと、コロナで始まり、コロナで終わる年になりそうですが、今まで当たり前にやってきたことが当たり前でなくなったりで、いろんなショックがあります。価値観がガラッと変わったとおっしゃる方もあれば、先行き不安で苦しい思いをされてる方も大勢いらっしゃいます。でも、そんな中、ちょっといい思いもしているという話をさせていただきます。

 例年ならばもうとっくに終わっているプロ野球のペナントレース。今年は開幕が遅れた分、今だに楽しませてもらっています。とは言っても、我が愛する中日ドラゴンズがここ数年のような低迷ぶりであったら、もうテレビも見ていないかもしれないのですが、今年は違います。10月に入ってからは、今日(25日)までで、なんと16勝5敗。勝率.762。貯金を一気に8まで増やして、セ・リーグの2位につけています。でも、優勝は巨人でほぼ決まりなので、もっと早い時期に頑張れなかったのか、というファンの声もありますが、最後まで楽しく試合を見せてもらえるのが一番嬉しいのです。

 そして、経済支援で始まったGoToキャンペーン。これを利用して、10月半ばごろ、山に登ってきました。泊まったのは奥飛騨温泉郷にある隠れ宿といった風情の古民家をリノベした小さな民宿。ここの宿泊代が35%OFF。それにお買い物クーポンが一人あたり2000円付いてくるんです。GoToのサービスがどんなものなのかあまり関心はなかったのですが、特に面倒な手続きもなく、こういうサービスが受けられて、正直、久々に得をした気分になりました。おまけに、利用した新穂高ロープウエィが、岐阜県のGoTo対象になっていて、通常、往復運賃プラス2000円分のお買い物券で4000円というチケットが、なんと半額の2000円。妻と二人でお買い物クーポンが8000円分もゲットできて、普段はまず手を出さないお高い地酒を4本も買いました。

 山の方の話はしてもしょうがないかもしれませんが、新穂高ロープウェイの頂上駅から西穂高山荘を経て、西穂の独標(標高2701m)に登ってきました。30年ほど前にはそこから西穂高岳(2,909m)に登ったことがありますが、それは諦めました。しかし、3000m近い稜線を歩くのは本当に気持ちがいいですね。天気はちょっと雲が多めでしたが、眼前に穂高連峰が見え、紅葉もばっちりで、心が爽やかになりました。

 新型コロナのせいで、三密を避けて、登山やキャンプ、釣りなどのアウトドアを楽しむ人が増えているようですね。この日も平日にも関わらずお客さんは多く、ロープウェイも増便を出していました。ヨーロッパやアメリカなどでは感染者が今だに爆発的に増えているので海外旅行は怖くて行けませんが、国内でアウトドアを楽しむというのは免疫力も高まるのでは…。

 ま、呑気な話をしてしまいましたが、最近ご来店のお客様から聞いた話なんですが、ご近所でコロナ感染者が複数あって、その方たちはほんとひどい目に遭われたとのこと。家に落書きをされたりといったいじめを受け転居されたとか、命を絶たれた方もあるとか。病気になることより怖いのは世間の目だとおっしゃってました。僕もこの「つうしん」で同調圧力のことを書きましたが、本当に「コロナより怖いのは人間」ですよね。人間の心が荒んでいくようなこのコロナ禍が早く終息することを願うばかりですが、当分は上手く付き合っていくしかないでしょうね。恩恵にもあずかりながら、できるかぎりのことを続けていこうと思います。

おおきな木 杉山三四郎

ネコにはネコの世界があるのです<ネコの絵本>

 あなたはイヌ派ですか、それともネコ派ですか? よくある質問ですが、僕は断然ネコ派です。我が家で飼っていたネコといえば、僕が高校生の時に拾ってきた白ネコ。名前はペレ。当時僕はサッカー少年だったので、サッカーの王様と言われているブラジルのペレからもらいました。ペレは、うちのジャングルのような庭でよく遊んでいて、友だちもできました。その友だちの名はトスタオ。やはり当時のブラジル代表サッカー選手です。トスタオは、庭の松の枝に体を預け、足をだらりんとぶら下げたスタイルで寝ていました。時どき「ブー」と鼻を鳴らすので、トスタオブーとも呼んでました。

 それから何年経ったでしょうか。ネコを飼うことなんてなかった我が家ですが、今から26年前、おおきな木を始めた年ですが、野外塾の帰りに一匹の子ネコに遭遇し、連れて帰ることになりました。白ネコだけど、額にスミいちの、生まれて間もないメスの白ネコです。家に帰って測ったら、体重200グラム。ガリガリで、震えていて、死にそうで、放っておくわけにもいかず、すぐに動物病院に駆け込みました。即入院でしたが、何とか助かって、我が家の一員となりました。

 名前はトト。拾った場所が百々ヶ峰の麓だったので、ドド。でも、ドドでは響きが悪いので、トトにしました。成長するにつれ額のスミいちは消えて、ペレの生まれ変わりではないかと思われるような真っ白なネコになりました。「トト!」と呼ぶと、「ふにゃあ〜」とだるそうに返事をします。家の中の生活にもすっかり馴染み、レバーに飛びついて、自分でドアを開けることもできました。閉めることはしませんでしたけどね。

 その当時、『タンゲくん』(片山健作・絵/福音館書店)という絵本が我が家ではブームでした。タンゲくんもどこかからやってきたネコで、片目がつぶれているのでタンゲくん(丹下左膳はご存知ですか?)という名前になったのです。タンゲくんは、虫捕りは得意なのに、掃除機が苦手。我が家のトトもそうでした。「タンゲくんは私のネコだよね」と飼い主の女の子が言うと、タンゲくんは「カ、カ」と変な声で鳴いて、外に出て行ってしまいます。そして、外で会っても知らん顔。タンゲくんはタンゲくんの世界があって、そこで何をしているのか誰も分かりません。

 ネコはイヌと違って人に依存することなく、独自の世界を生きてますよね。存在感が大きいのです。そんなネコの世界を描いた絵本で、最近すごいと思っているのが、町田尚子さんの絵本。新刊『ねこはるすばん』(町田尚子作・絵/ほるぷ出版)では、人間が出かけて留守になると、ネコは箪笥の扉を開けてどこかにお出かけ。木のウロから姿を現すと、そこにはネコの世界があって、まずはカフェでコーヒーを一杯。その後、床屋に行って毛並みを整えると、映画館、回転寿司、バッティングセンターとはしご。最後に銭湯で疲れを癒してから、人間の家に帰ってくるのです。

 町田尚子さんもネコ好きの方のようで、2016年刊の『ネコヅメのよる』(WAVE出版)では、主人公のネコは町田さんの飼い猫がモデルになっているのだそうです。また、昨年出た『なまえのないねこ』(竹下文子文、町田尚子絵/小峰書店)は、ネコ好きのお二人の共作です。いずれの絵本も、ネコがわざとらしく可愛く描かれていないところが魅力です。ネコと共に暮らしている作者ならではのリアルなネコ。存在感ありありです。皆さんもネコの世界をのぞいてみませんか?

おおきな木 杉山三四郎

コロナより怖い「同調圧力」という化け物

 7月に刊行された『ほんとうのリーダーのみつけかた』(梨木香歩著/岩波書店)に引用されていた、あるテレビ番組の話なんですが、ちょっと面白い実験なので、ご紹介します。

 錯視の実験をするということで集められた10人の学生が、長さの違う2本の鉛筆AとBのどちらが長いと思うかを答えるという内容です。しかし、錯視でも何でもなくて、この2本の鉛筆は明らかにAの方が長いのに、1番から9番目の学生はみな「Bです」と答えます。彼らは事前にスタッフから「Bと答えるように」と言い含められていたんですね。そんなことは全く知らされていない10番目の学生は、Aの方が長いことは明らかなのに、首を傾げながらも「Bです」と答えてしまうのです。

 お分かりかと思いますが、これは同調圧力の実験なんですね。明らかに間違っていると思われる事柄でも、世間の大多数が「正しい」と言えば、それに抗って「違う」と言うことがいかに難しいことなのかということを示しています。

 思えば、この同調圧力は世の中が自粛ムードになっているときに顕著に現れますね。戦争中、「欲しがりません、勝つまでは」と言われ、「贅沢は敵だ」と、みんなが国民服やモンペ姿になりました。パーマをかけているというだけで、周りの冷たい視線を浴びるということもあったようです。そして、息子を戦場に送る母親は、嬉しいはずもないのに、「お国のため」と万歳をして送り出さなくてはいけませんでした。

 戦後75年を迎えた今年、新型コロナウイルス感染が世界を駆け巡り、日本でも依然終息の気配がありません。そんな中起こっているのが、自粛ムード。インフルエンザや熱中症に比べたら大した病気ではないのかも知れませんが、何しろ正体不明のウイルスなので、警戒心も強くなるのは仕方がないことでしょう。しかし、感染者が犯罪者のように扱われたり、謝罪に追い込まれたりというのはどう見てもおかしいです。先日も、集団感染した高校のサッカー部員がネットで叩かれたり、学校にも批判や中傷の電話が殺到しているというニュースがありましたが、コロナより怖いのがこの人間の集団心理です。マスク警察とか自粛警察と呼ばれている人たちは、自分が正しいことをしているという正義感に満ちているので、タチが悪いのです。感染した人の大半は、マスク着用、手洗い、うがいをちゃんとしていたのに、それでもかかってしまったのです。自分もいつ感染するか分からないのに、そういう想像力が働かないので、平気で人を痛めつけてしまうんでしょうね。

 短かった夏休みも終わり、子どもたちは猛暑の中、律儀にマスクをして登校し、学校でもあまり喋らないようにと言われているようです。おまけに、運動会や修学旅行も中止になったり…。これも感染防止対策? ウイルスそのものの脅威より、感染者を出してしまうことへの恐れでしょうね。これも同調圧力です。

 当店が主催する「野外塾」「ことば塾」は、できる限りの感染防止対策をとりながら、通常通り活動を始めました。感染の心配はないとは言いませんが、いつまでも家にこもっていては、肉体的にも精神的にもいいことは全くありません。通常の生活をしながら、コロナと付き合っていくことを考えるべきだと思います。インフルエンザなどと同様、どんな対策をとっていても、誰もがいつ感染してもおかしくありません。感染しても怯えることのない世の中であってほしいと願います。

おおきな木 杉山三四郎

ツーブロックは事件に巻き込まれる?

 今年の3月12日の東京都予算特別委員会での話だそうですが、共産党の都議が、「都立高校の校則、なぜツーブロックはダメなのか」という質問をしました。すると、教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と答弁。7月に入ってから、都議がこの様子を撮影した動画をツイッターで投稿したところ、なんと230万回も再生されたようです。

 「髪型がツーブロックだと事件や事故に巻き込まれる」なんて話はもちろん根拠のないこじつけで、真に受ける人なんて誰もいないでしょう。こうしたブラック校則の話は今に始まったことでもなければ、東京都だけの話でもないのですが、これを機に、校則のあり方、子どもの人権(人間の尊厳)について、そして、学校の存在意義についても考える機会になっています。

 20年ほど前の話になりますが、息子が通う高校の担任の先生から、突然電話がかかってきました。「私では指導が通らないので、ご両親からも指導をしてほしい」と言うのです。何の話かと思ったら、どうやら息子は髪を染めていたらしく、それが校則違反だと言うのです。親も気づかないほどの、ごく一般的な髪の色だったのですが、「何で髪を染めたらいけないのか?」と聞いても、「校則で決まっているから」としか答えは返ってきません。それで、「髪を染めることが悪いことだとは思わないので、息子に指導することなんかできません」と突っぱねました。そして、「校長に会わせてほしい」とその翌日、学校まで出かけました。しかし、会ってくれたのは校長ではなく学年主任。答えはいっしょで、「校則だから」「何とかご理解いただきたい」の一点張り。同席していた担任は一切無言でした。こういうモンスターペアレント問題は担任一人には荷が重いので、学年主任が登場なんでしょうね。

 こうした校則がなぜあるのかちゃんと納得できるような説明ができる教師はいるんでしょうか。教師をされている知り合いも何人かいますが、ある中学では「下着は白」と決まっているらしく、下着検査までさせられるんだそうな。子どもが可哀想と思いながらも、セクハラまがいのことをやらなくてはいけません。意に沿わないことをやらされる教師の立場も辛いと思います。森友問題で、法に触れるような公文書改ざんを命じられた国家公務員の心境とも重なります。

 教育研究家の妹尾昌俊さんの『教師崩壊』(PHP新書)という本によれば、ここ10年、うつ病などの精神疾患によって休職している教員は毎年5000人前後。そのさらに10年前に比べると倍増しているのだそうです。また、日本の教員の労働時間はダントツの世界ワーストで、過労死や過労自殺も増えているとのこと。まさに教師崩壊状態。こんな状態では、学校という場所が子どもたちにとっていい環境であるはずがありません。

 そして、日本の教育は「従順な羊を育てているだけ」で、創造力や批判的思考力を育てていないとも言っていますが、僕も同感です。誰がどういう経緯で決めたのかも分からない理不尽な校則を無批判のまま守っているというのは、そういうことなんです。批判したくても、同調圧力の方が強い日本の社会では、教師、そして保護者たちも口を閉ざすしかないのかも知れません。

 このコロナ禍の中、子どもたちは大人の都合でいろんなことを我慢させられていますが、もっと子ども本位に考えられる社会になってほしいとつくづく思います。

おおきな木 杉山三四郎

不条理ゆえに面白い戦国時代の人間ドラマ

 みなさんはNHKの大河ドラマはご覧になってますか。我が家では、初めの2〜3回を見て脱落するというパターンが多いのですが、今年の『麒麟が来る』は毎週楽しみに見ています。明智光秀、斎藤道三、織田信長など、ご当地美濃の国ゆかりの武将たちの話ですから、親近感が持てるし、舞台となる地名もほぼ分かるので、時間や距離の感覚が現実的にイメージできる、といったことが惹きつけられる要因なんだと思います。

 岐阜市は今年、この『麒麟が来る』とタイアップして大河ドラマ館を岐阜公園内にオープンさせたり、岐阜城の展示もリニューアルしたりして、多くの観光客を当てにしていたわけですが、新型コロナ騒動でどこも一時休館となり、本来ならばもっと賑わってるはずでした。僕は、コロナ以前に見に行きましたが、『麒麟が来る』の時代背景や人物の相関などが分かりやすく展示されていて、ドラマをさらに面白くしてくれました。

 NHKの大河ドラマで歴史ファンになる人も多いと思うのですが、今年は、僕もそのにわか歴史ファンの一人です。といっても戦国時代限定なんですが、日本史上じつに不条理極まりない時代で、ゆえに人間ドラマとしての面白さがあるわけです。

 下克上の代名詞とも言える斎藤道三は、三大梟雄(きょうゆう/残忍でたけだけしい人 *広辞苑)の一人にも数えられるほどの人物。「国盗り」のためには手段を選ばず。策略をめぐらして守護の土岐氏を追放し、美濃の国主にまでのし上がっていきます。

 その子である義龍は妾の子であり、実の父も道三ではないのではという疑いを持ち続けます。ゆえに、生涯道三に反目し、その道三に溺愛されていた、正室の子である二人の弟にはジェラシーを燃やし、仮病でおび

きよせて殺し、父も長良川の合戦で殺します。

 織田信長もそうです。子どもの頃から「うつけ」とか「たわけもの」と呼ばれるほどの不良少年だったので母から疎んじられて育ったと。それで、母に大事に育てられた弟の信勝に対しずっと嫉妬していて、ゆえに信長も病気を装って信勝を誘い、殺しています。

 まあこんな話ばっかりなんですが、これらも諸説あるところがまた歴史の面白さかもしれないですね。同じ歴史上の記録でも、それを、誰がどちらの側に立って記録したかによって記述に差が出るわけですからね。

 にわか歴史ファンとなった僕も『帰蝶』(諸田玲子著/PHP文芸文庫)とか『信長』(坂口安吾著/土曜社)といった歴史小説を最近読みましたが、当然ながら、これも、どこまでが史実で、どこからが脚色なのかは分かりません。作家や脚本家たちは諸説ある史実のいずれかに寄り添って書いてはいるんでしょうが、登場人物の出自や相関にも違いがあります。幾多ある記録や書状などの文献から史実を読み解いていく歴史学者の仕事って改めてすごいと思います。

 さて、岐阜城がある金華山ですが、当店の裏山といってもいいくらいの馴染みの山で、岐阜市のランドマークでもあります。岐阜城にまだ行ったことな〜いという方、ぜひ一度訪れてください。その天守閣からの眺めは格別です。眼下に長良川が流れ、両岸に岐阜の町が広がり、遠くに御嶽山や北アルプスの山々、南は尾張との境となる木曽川が流れ、広大な濃尾平野の先に伊勢湾まで望むことができます。道三や信長でなくとも、天下を取ったような気分になれますよ。『麒麟が来る』は中断中ですが、大河ドラマ館は再開しております。

おおきな木 杉山三四郎