絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


ツーブロックは事件に巻き込まれる?

 今年の3月12日の東京都予算特別委員会での話だそうですが、共産党の都議が、「都立高校の校則、なぜツーブロックはダメなのか」という質問をしました。すると、教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と答弁。7月に入ってから、都議がこの様子を撮影した動画をツイッターで投稿したところ、なんと230万回も再生されたようです。

 「髪型がツーブロックだと事件や事故に巻き込まれる」なんて話はもちろん根拠のないこじつけで、真に受ける人なんて誰もいないでしょう。こうしたブラック校則の話は今に始まったことでもなければ、東京都だけの話でもないのですが、これを機に、校則のあり方、子どもの人権(人間の尊厳)について、そして、学校の存在意義についても考える機会になっています。

 20年ほど前の話になりますが、息子が通う高校の担任の先生から、突然電話がかかってきました。「私では指導が通らないので、ご両親からも指導をしてほしい」と言うのです。何の話かと思ったら、どうやら息子は髪を染めていたらしく、それが校則違反だと言うのです。親も気づかないほどの、ごく一般的な髪の色だったのですが、「何で髪を染めたらいけないのか?」と聞いても、「校則で決まっているから」としか答えは返ってきません。それで、「髪を染めることが悪いことだとは思わないので、息子に指導することなんかできません」と突っぱねました。そして、「校長に会わせてほしい」とその翌日、学校まで出かけました。しかし、会ってくれたのは校長ではなく学年主任。答えはいっしょで、「校則だから」「何とかご理解いただきたい」の一点張り。同席していた担任は一切無言でした。こういうモンスターペアレント問題は担任一人には荷が重いので、学年主任が登場なんでしょうね。

 こうした校則がなぜあるのかちゃんと納得できるような説明ができる教師はいるんでしょうか。教師をされている知り合いも何人かいますが、ある中学では「下着は白」と決まっているらしく、下着検査までさせられるんだそうな。子どもが可哀想と思いながらも、セクハラまがいのことをやらなくてはいけません。意に沿わないことをやらされる教師の立場も辛いと思います。森友問題で、法に触れるような公文書改ざんを命じられた国家公務員の心境とも重なります。

 教育研究家の妹尾昌俊さんの『教師崩壊』(PHP新書)という本によれば、ここ10年、うつ病などの精神疾患によって休職している教員は毎年5000人前後。そのさらに10年前に比べると倍増しているのだそうです。また、日本の教員の労働時間はダントツの世界ワーストで、過労死や過労自殺も増えているとのこと。まさに教師崩壊状態。こんな状態では、学校という場所が子どもたちにとっていい環境であるはずがありません。

 そして、日本の教育は「従順な羊を育てているだけ」で、創造力や批判的思考力を育てていないとも言っていますが、僕も同感です。誰がどういう経緯で決めたのかも分からない理不尽な校則を無批判のまま守っているというのは、そういうことなんです。批判したくても、同調圧力の方が強い日本の社会では、教師、そして保護者たちも口を閉ざすしかないのかも知れません。

 このコロナ禍の中、子どもたちは大人の都合でいろんなことを我慢させられていますが、もっと子ども本位に考えられる社会になってほしいとつくづく思います。

おおきな木 杉山三四郎

不条理ゆえに面白い戦国時代の人間ドラマ

 みなさんはNHKの大河ドラマはご覧になってますか。我が家では、初めの2〜3回を見て脱落するというパターンが多いのですが、今年の『麒麟が来る』は毎週楽しみに見ています。明智光秀、斎藤道三、織田信長など、ご当地美濃の国ゆかりの武将たちの話ですから、親近感が持てるし、舞台となる地名もほぼ分かるので、時間や距離の感覚が現実的にイメージできる、といったことが惹きつけられる要因なんだと思います。

 岐阜市は今年、この『麒麟が来る』とタイアップして大河ドラマ館を岐阜公園内にオープンさせたり、岐阜城の展示もリニューアルしたりして、多くの観光客を当てにしていたわけですが、新型コロナ騒動でどこも一時休館となり、本来ならばもっと賑わってるはずでした。僕は、コロナ以前に見に行きましたが、『麒麟が来る』の時代背景や人物の相関などが分かりやすく展示されていて、ドラマをさらに面白くしてくれました。

 NHKの大河ドラマで歴史ファンになる人も多いと思うのですが、今年は、僕もそのにわか歴史ファンの一人です。といっても戦国時代限定なんですが、日本史上じつに不条理極まりない時代で、ゆえに人間ドラマとしての面白さがあるわけです。

 下克上の代名詞とも言える斎藤道三は、三大梟雄(きょうゆう/残忍でたけだけしい人 *広辞苑)の一人にも数えられるほどの人物。「国盗り」のためには手段を選ばず。策略をめぐらして守護の土岐氏を追放し、美濃の国主にまでのし上がっていきます。

 その子である義龍は妾の子であり、実の父も道三ではないのではという疑いを持ち続けます。ゆえに、生涯道三に反目し、その道三に溺愛されていた、正室の子である二人の弟にはジェラシーを燃やし、仮病でおび

きよせて殺し、父も長良川の合戦で殺します。

 織田信長もそうです。子どもの頃から「うつけ」とか「たわけもの」と呼ばれるほどの不良少年だったので母から疎んじられて育ったと。それで、母に大事に育てられた弟の信勝に対しずっと嫉妬していて、ゆえに信長も病気を装って信勝を誘い、殺しています。

 まあこんな話ばっかりなんですが、これらも諸説あるところがまた歴史の面白さかもしれないですね。同じ歴史上の記録でも、それを、誰がどちらの側に立って記録したかによって記述に差が出るわけですからね。

 にわか歴史ファンとなった僕も『帰蝶』(諸田玲子著/PHP文芸文庫)とか『信長』(坂口安吾著/土曜社)といった歴史小説を最近読みましたが、当然ながら、これも、どこまでが史実で、どこからが脚色なのかは分かりません。作家や脚本家たちは諸説ある史実のいずれかに寄り添って書いてはいるんでしょうが、登場人物の出自や相関にも違いがあります。幾多ある記録や書状などの文献から史実を読み解いていく歴史学者の仕事って改めてすごいと思います。

 さて、岐阜城がある金華山ですが、当店の裏山といってもいいくらいの馴染みの山で、岐阜市のランドマークでもあります。岐阜城にまだ行ったことな〜いという方、ぜひ一度訪れてください。その天守閣からの眺めは格別です。眼下に長良川が流れ、両岸に岐阜の町が広がり、遠くに御嶽山や北アルプスの山々、南は尾張との境となる木曽川が流れ、広大な濃尾平野の先に伊勢湾まで望むことができます。道三や信長でなくとも、天下を取ったような気分になれますよ。『麒麟が来る』は中断中ですが、大河ドラマ館は再開しております。

おおきな木 杉山三四郎

 

紫外線を浴びてウイルスに負けない体を作る

 ここ3か月連続コロナの話題で、他に何にもないのか!とお叱りを受けそうですが、確かにとくにこれといった話題はありません。ライブ公演も野外塾もなく、単調な毎日を過ごしていると、時が経つのがあまりにも早い。皆さんはそんな感じしませんか?

 でも、この時期、僕には、じっとしてはいられない、居ても立っても居られない、ある種の「生活習慣」があるのです。定休日には、コロナとは全く無縁の山奥に出かけます。聞こえてくるのは渓流のせせらぎと鳥の声だけ。その河原や薮に足を踏み入れると、ここまで来ないと手に入れることができない、おいしい食材が僕の目に飛び込んで来るのです。コゴミ、ウド、タラノメ、ゼンマイ、ワサビ、キノシタ、サンショウ、ハリギリ、ワラビ、イタドリ……。興味のない方にとっては、いったい何のこっちゃ??でしょうが、この手の草たちを見つけると、僕のアドレナリンは出まくり、しばし狩猟採集本能むき出しの行動に出てしまうのです。

 先日は、雪国に行かないと生えていないネマガリダケを渓流釣りをしながら採りまくってきました。この竹は、ヒメタケとかススタケとも呼ばれていますが、雪の重みで根元付近が湾曲しているのが特徴で、この薮を低い姿勢でかき分けて、地面から顔を出したタケノコを探すわけです。時々、このシーズンになると「タケノコ狩りの人が遭難」というニュースがありますが、それがこれ。夢中になると自分の居場所が分からなくなったりもするのです。ま、僕の場合、そんなことにはなりませんけどね。そういう魔力もある山菜なわけです。

 また新型コロナの話で恐縮ですが、5月後半になって、まだ終息とはいえませんが、収束はしてきており、14日には、岐阜、愛知など39県で緊急事態宣言も解除されました。とはいえ、まだまだクラスター(集団感染)の可能性があり、油断は禁物だそうです。早くその危険性からも解放されたいところですが、欧米諸国に比べて日本人の重症化率が低かったのはなぜでしょう? 医療体制が違うとか、いろんな憶測がありますが、先日読んだ本『歩くだけでウイルス感染に勝てる!』(長尾和宏著/山と渓谷社)によると、日本人は毎日お風呂に入るので、毎日温熱療法をしているようなもので、免疫力が高い、という指摘もありました。他にも、味噌汁や納豆や漬物などの発酵食品をたくさん摂っているからでは、などという話もありますね。

 この本の長尾先生のご指摘に妙に納得してしまったのは、どんなウイルスであろうと、結局はそれに勝つには自分の免疫力を高めるしかないということです。今後、新型ウイルスも完全になくなることはないわけで、インフルエンザウイルスなどと同様にうまく付き合っていかなくてはいけないとおっしゃるんですね。

 緊急事態宣言発令中は外出自粛が言われましたが、これが続いて、ずっと家の中に閉じこもる生活が続いたら免疫力が落ちまくりで、元も子もない状態になってしまいます。僕も前から言ってますが、近くの公園で遊んだり、山に登ったりすることが感染リスクに繋がるとはとても思えません。天気のいい日には外で遊びましょう。そして紫外線を浴びて、ビタミンDを摂取して、ウイルスに負けない体を作ることです。

 おおきな木野外塾も5月31日から再開をします。自然のなかで遊ぶこと、それが子どもたちの体力と生きる力を育てるのです。その育む力を”野力(のぢから)”と名付けましたが、これが大事なのです。

おおきな木 杉山三四郎

感染の恐怖と失業の恐怖に苛まれて

 僕の朝の散歩コースは、岐阜市内の長良川河川敷道路なんですが、今朝もいろんな鳥がさえずってました。声だけで姿を見せてくれないウグイス。ソロでもピーチクパーチクと賑やかなヒバリ。小枝の先っぽで「一筆啓上仕り候」と泣いているホオジロ。鳥たちは元気です。それにくらべて、行き交う人たちは何か元気がない感じがします。誰もがコロナ感染者かもしれないと思うと、声もかけられないんでしょうね。僕も初めのうちは黙ってすれ違ってましたが、なんかやっぱり気持ち悪いので、「おはようございま〜す!」と明るく挨拶をするようにしています。考えてみれば、すれ違う人に挨拶するぐらいで感染するとは思えませんからね。

 でも、専門家の人たちのなかには、散歩するのにもマスクをするべきだとおっしゃる方もあるし、そうかと思えば外を歩くときにマスクは全く意味ないとおっしゃる方もあります。いったいどっちなの?

 テレビをつければ、コロナコロナ。街中のスピーカーも、コロナがどうのこうのと言っている。もういい加減にしてくれ!と叫びたくなるけど、一部に感染防止意識のない人たちがいて、そのために過剰な規制がひかれたりしているのかも知れません。どこの公園に行っても「バーベキュー禁止」の立て札が立っているのと同じことなのかも。バーベキュー自体は悪い行為でもないのに、一部にマナーの悪い市民がいて、ゴミも食材も放置して帰ってしまうという輩がいるからこういう規制になってしまうという構造と同じような気がします。

 そしてもうひとつ。岐阜のような小都市と東京や大阪のような大都市とを同じレベルで考えるのはいかがなものでしょうか。大都市だと、外出イコール人混みで、濃厚接触の危険がありますが、岐阜あたりでは駅ですら大した人混みではありません。それなのに、どうして子どもたちの遊び場である近所の公園を立ち入り禁止にしたり、金華山や百々ヶ峰の登山客の駐車場を閉鎖したり、全くもってその意味が分かりません。

 今や、多数の国民が、新型コロナの感染の恐怖と、経済的損失や失業の恐怖に苛まれています。僕もその一人です。いつになったら日常が取り戻せるのだろうか、本当に不安ですよね。4月7日には緊急事態宣言が出されました。外出自粛と、密閉、密集、密接の三密がそろう場には行かないというのが合言葉です。「人混みに行かない」「濃厚接触を避ける」を守らなくてはいけません。しかし、感染のリスクが高いとされる濃厚接触というのは、1メートル以内で、マスクなどの飛沫防止をしないで、15分以上話をすること、これが厚労省が出した基準です。そうした基準から考えても、近所の公園や登山のどこに感染の危険があるのか分かりません。もしそうであるのならば、スーパーマーケットも駅も封鎖し、電車やバスも走らせてはいけないんじゃないですか。そうした感染のリスクが低いところまで規制するようなことになれば、人々の心は疲弊し、人間不信に陥り、お互い罵り合うような嫌な世の中になってしまいます。これも恐ろしい話です。

 書店は休業要請の対象外で、休業しても協力金の申請はできません。当店も細々と営業を続けていますが、客足は途絶えています。このまま長引けば、生き延びるための選択をしなくてはいけなくなります。でも、生き甲斐を失いたくありません。過剰なコロナ対策に疑問は感じますが、早期の終息のためには、一人ひとりの感染防止意識が求められていることだけは確かです。

おおきな木 杉山三四郎

記憶に残る誕生日にはなったけど…

 3月9日は僕の誕生日でした。誕生日には夫婦でデートが恒例になっていて、今年は普段あまり行かないイタリア料理のレストランで食事をしました。ネットでの評価が高いということで選んだ初めての店で、場所は岐阜市の繁華街柳ヶ瀬。結構大きなバー風のレストランで、カウンターに案内されました。夕飯時というのに他に客は誰もいません。シェフ兼バーテンダーのオーナーが応対してくれて、イベリコ豚のステーキやズワイガニのパスタなど、料理も評判通り安くて美味い。なのに、こんな貸切状態で申し訳ないといった感じです。

 新型コロナの影響で柳ヶ瀬がゴーストタウンのように静まり返ってますが、この店も宴会のキャンセルが続出していて、売り上げが大きく落ち込んでいるとのこと。この日も他の客はついに現れず、オーナーとお互い慰め合っていたところ、今日は僕の誕生日で…、という流れになって、「では、これプレゼントします」とスパークリングをボトルでいただいちゃいました。で、もう一人の若いスタッフも加わり、シャンパングラスで乾杯をして、また話が弾み、僕の何回目かの誕生日は、新型コロナのおかげで記憶に残る一夜となりました。

 でも、今、世の中はこんな能天気なことを言ってられない状態になってます。うちの取引先のバス会社は、3月、4月の予約は全てキャンセルになり、その先も出始めているとか。僕の絵本ライブ公演も4月までほとんどキャンセル。僕のサポートをしてくれているミュージシャンたちも同じ目に会っていて、ギャラのいい仕事から先にキャンセルが決まって来ると言ってました。ギャラのいい仕事は規模も大きいわけだから、仕方ないとはいえ、悲しい話です。

 そして、学校の全国一斉休校要請がまた世の中を混乱させました。外出禁止になった子どもたちは暇を持て余し、ゲーム三昧。仕事を持つ親たちは、学校の託児機能の大きさを改めて感じておられるでしょうね。この休校要請は、安倍首相が専門家の意見を聴くことなく独断で行なったらしいのですが、残念ながら彼の想像をはるかに超える混乱が生じてしまったんでしょうね。教育関係の専門家の方たちからは、学校ほど安全な場所はないのに…、という声もあります。

 この政府の休校要請を受けて、岐阜市もすぐに一斉休校となりましたが、外出している子どもの姿を見て、学校に通報するような人もいるとかで、そういう話になるとちょっと怖いですね。4月の岐阜まつり(道三まつり)も中止になりました。たしかに人が多く集まるイベントなので、感染の可能性は高いと言えますが、自粛ムードの中でうちだけやる訳にはいかない、ということなんでしょうね。この、なんというか、みんな我慢してるんだから…、という感覚は戦時中を思い起こさせ、人を監視するような行為にまで及ぶと怖さを感じます。みんな横並びで、ではなく、ウィルス感染の可能性がどれほどなのかといった基準で、主催者が責任を持って判断をすることが重要だと思います。

 おおきな木では、先日も野外塾を予定通り行いました。屋外の活動だし、大規模でもないし、リスクはゼロとは言いませんが、普段公園で遊んだりするレベルと何ら変わりはないと思うのです。子どもたちは弾けてました。ツクシやノビルなどの野草収穫に夢中になり、川で水遊びや泥んこ遊びで大はしゃぎ。そんな子どもたちの様子を見て、親御さんたちも胸をなで下ろしておられたんじゃないでしょうか。

おおきな木 杉山三四郎

いつまで続くのか 新型コロナウィルス騒動

 年が明け、はや2か月。1月から通常国会もスタートです。「桜を見る会」疑惑の追求も年を越えて続いていますが、安倍総理やそのお取り巻きたちの虚偽答弁が益々エスカレートしていて、閣僚、官僚が一体となって辻褄合わせに必死になっている姿は見るに忍びないです。マスコミ各社の世論調査で、政府の「桜」疑惑の説明には納得いかないとする声は80%近く。その国民の声を代表して追求を続ける野党各党の質問をほくそ笑んで聞いているあのお方。「意味のない質問だよ」とヤジまで飛ばしてしまいましたよね。ほんと国会をなめてます。それは国民を馬鹿にしてるのと同じですから、我々はもっと怒るべきではないかと思います。

 そして、その「桜」疑惑をかき消しているのが新型コロナウィルス騒動。テレビも新聞も毎日これ。ちょっと騒ぎすぎなんじゃないのと思ってたんですが、2月24日に「これから1〜2週間が感染拡大が急激に進むのか、収束できるかの瀬戸際である」との政府見解が示されました。とは言いながらも、具体的かつ詳細な情報は閉ざされていて、国民は不安を募らせるばかりです。

 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号をウィルス検査の結果陰性だったということで降ろされた方たちから感染者が出たり、検査のため乗船していた厚労省の職員が無検査で元の職場に戻っていて感染が確認されたり…。一体どうなってるんだろう、この国の医療体制?とみんなが首を傾げ始めました。ちゃんと検査をすれば感染者がどんどん増えていくことを政府が恐れているんじゃないかと勘ぐる人もいます。隠蔽体質の政府のことだから、「感染者」が増えることではなく、「感染者数」が増えることを恐れているということは十分考えられますよね。

 人が多く集まるイベントの開催もどんどん中止になるなど、例によって自粛ムードもだんだん広がってきました。そして、ついにこの流れも人ごとではなくなり、3月に予定されていた埼玉県内の図書館での「さんしろう絵本ライブ」も2か所とも中止が決定しました。首都圏での感染拡大は今後ますます広がっていく模様ですから、残念ですがやむを得ない判断でしょう。

 でもね、2月初旬の埼玉県の図書館と保育園でのライブは予定通り行われて行って来ました。大宮駅近辺に宿をとりましたが、岐阜からやって来たものとしては、まずその人の多さにびっくり。そして駅の大きさにびっくりです。大宮駅は上越新幹線、東北新幹線、北陸新幹線の3つの新幹線が止まり、在来線も高崎線、京浜東北線、埼京線など、埼玉県を通って、栃木県、群馬県、さらにその先へと向かう人たちの乗り換え駅でもあり、地元の人でさえ迷うほど、とにかくややこしいのです。首都圏にはこんな駅が各地にあって、人混みだらけ。この中に新型コロナウィルス感染者がいてもおかしくないとできるだけマスクをしていましたが、あれから2週間以上が過ぎた今、益々現実味を帯びて来ています。

 で、絵本ライブの方はどうだったのかというと、親子連れや読み聞かせボランティアの方たちで満席になり、埼玉県でも大盛り上がりでした。図書館でのライブには、当時まだ学生だった古い知人たちが30〜40年ぶりに会いに来てくれ、フェイスブックなどでつながっているその仲間たちは飲み会を開いてくれて、そこには10人ほどが集まりました。教え子のような彼らの当時の面影はすぐに蘇り、時のブランクがあるとは思えないほど昔の話で盛り上がり、ほんと感動でした。

おおきな木 杉山三四郎

「ふつうの子」なんて、どこにもいない

 おおきな木では、26年前、オープンと同時に、「ことば塾」と「野外塾」という二つの塾を始めました。塾といっても、決まったカリキュラムをこなす学習塾のような塾でもなければ、お稽古ごとでもありません。何をやるのかというと、「一人ひとりの子どもたちが、自分が楽しいと思えることを見つけて過ごす」、たったこれだけです。でも、これでは何をやっていいのか分からないので、子どもたちが「楽しい」と思えることをいろいろと用意します。そのいろいろある中から、楽しそうなことを選べばいいし、それ以外のことをやっていても構わない、というわけです。だから、大ウケすることもあれば空振りに終わることも時にはあります。大人の側から子どもに対して、ああしろこうしろと強要することが多い日常ですが、ここではあくまでも「子どもが主人公」なのです。

 では、彼らが通う小中学校ではどうでしょう。時間割があって、学習内容が決まっていて、違うことをしていたら叱られます。おまけに服装やあいさつの仕方まで細かく決められていたりで、どんな子も一斉に同じことをしなくてはいけません。少なくとも日本の学校ではこれが当たり前です。この当たり前についていけない子は不登校になるしかない。そういう仕組みです。

 今、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)という本を読んでいます。2006年に大阪市住吉区に創立された公立小学校の校長を9年間務められていた木村泰子さんが書かれた本です。この小学校の名は大空小学校。全国各地で自習上映されている「みんなの学校」という映画にもなった小学校です。

 「授業は椅子に座って受ける」、これは日本の学校では当たり前のように思われてるけど、今どき椅子に座れない子なんて「ふつうに」いる。座れない子は「変わった子」という風に思われてしまうけど、「座るのが当たり前」という既存の学校文化をまず問い直すべきでは、という問題提起があります。

 なかなか大胆な提起ですが、野外塾の子たちを思い浮かべると、「椅子に座れない子」がたくさんいます。集合場所で僕が話をするとき、ちゃんと聞いて欲しいと思ったりするんですが、みんなばらばら。ちょっとつまらない話になるとどこかに行ってしまう子もいます。野外塾ではこれが「ふつう」なんですね。

 そして、山の中の秘密基地に向かい、一日を過ごしてきますが、みんなそれぞれ好きなことを見つけて遊んでいます。着く早々お弁当を食べ始める子、ロープで遊ぶ子、焚き火に夢中になる子、虫とりをしてる子、鬼ごっこをする子、隠れ家を作って出てこない子、……。でも、退屈してる子はほとんどいません。それだけ自然の中には子どもの興味をそそるものがあるとも言えます。そして、子どもは群れで遊ぶのが大好きです。知らない子同士でもその場で気が合って遊んだり、ときには喧嘩になったり、なんてこともあるわけです。

 野外塾の塾生や親たちから、「野外塾には変な子が多い」などと冗談か真面目か分からないような感想をいただいたりしますが、それは、「みんながありのままでいられる場所である」ことへの高評価なんだと思っています。野外塾で育っていった高校生や大学生たちが、自分たちが「ヘンな子」や「ヘンな奴」であることに誇りを持ってますからね。そう、「ふつうの子」なんてどこにもいません。どの子もみんな「変わってる子」。それでいいじゃありませんか。

おおきな木 杉山三四郎

絵本 おおきな木 “The Giving Tree”

 「おおきな木はどうして『おおきな木』なんですか?」とときどき聞かれることがありますが、『おおきな木』(大きな木ではありません)という絵本をみなさんご存知ですか。店がオープンする半年ぐらい前でしょうか、店名をどうしようか、いろいろ悩んでおりました。そんなとき、ふとかたわらに置いてあった絵本が目にとまりました。「おおきな木」か、なかなかいいかも。公園に遊びに行って一本の大きな木があれば、その木の下でお弁当を食べたりしたくなるし、荒野にそびえる一本の大木はランドマークにもなるし、虫や鳥たちも寄ってくるし……。そうだ、みんなが心地よさを求めて集まってくる場所、そんな店になれれば嬉しいな。そんな気持ちで店名は決まりました。

 では、この絵本『おおきな木』はどんな絵本でしょうか。アメリカで初版が発行されたのが1964年。本田錦一郎訳(篠崎書林刊)で日本語版が出たのが1976年となっています。しかし、現在日本で販売されているのは、村上春樹訳(あすなろ書房刊)で、タイトルは「おおきな木」のまま。原書に、bigとかtallとかの形容詞は使われていませんが、「長く読み続けられた本なので、混乱を避けるために、あえてそのままにした」(村上春樹氏あとがきより)とのことです。

 作者のシェル・シルヴァスタイン(1930〜1999)という人は、僕は絵本作家としてしか知りませんが、漫画家、作詞作曲家、ミュージシャンなどとしても活躍した人で、原書の裏表紙には顔写真がデカデカと掲載されているくらいなので、アメリカでは有名人のようです。

 ストーリーは明快です。

 一本のりんごの木と一人の少年。少年は木に登ったり、枝にぶら下がったり、りんごを食べたり、かくれんぼをしたりして遊びます。でも、時は流れ、少年も大きくなると、木で遊ぶこともなくなり、木はひとりぼっち。ある日、少年はりんごの木にやって来て、お金が欲しいと言います。木は、お金はないけどりんごを集めて売ればいいとりんごを与えます。さらに年を経てやって来た少年は家が欲しいと言います。木は、私の枝を切って家を建てなさいと枝を与えます。さらに年を経て老人になった少年は船が欲しいと言います。木は、私の幹を切って船を作りなさいと幹を与えます。そして、さらに年老いた少年は休む場所が欲しいと言います。木は、この切り株に腰を下ろして休みなさいと言います。それで木は幸せでした。おしまい。

 この絵本の原題は ”The Giving Tree” (与える木)。少年のことが大好きだった木は、少年の生涯にわたって自分のすべてを与えて、幸せだったということなんですね。全てを与えてしまっても、自己犠牲とは考えない。ましてや損得勘定などもないわけです。多くの人は、このりんごの木の行動に母性を感じ取ります。母と息子の関係というのはこういうものなのでしょうか。

 また、僕はこの木は自然の恵みとも捉えることができるかもと思いました。人はみな、自然の恵みを与えられて育っていくわけですからね。この絵本に込められたメッセージは何なのか。こんなふうに、読んだ人がそれぞれに感じることができる絵本です。みなさんも是非一度お読みいただければと思います。

おおきな木 杉山三四郎

トンボ天国と子ども時代が蘇った大人たち

 フェイスブックを始めて8年。当店では、イベントの告知などで公式ページを作っていますが、普段利用しているのは僕の個人ページで、「友達」は現在約900人弱。ほぼ毎日目を通していますが、投稿されている写真を見るのは楽しいものです。その中に、野鳥や昆虫などの生き物の写真をしょっちゅう撮ってアップされている方があり、1年ほど前に、ぜひこの方のお供をさせていただきたいと思い、メールをしてみました。そうしたら、ぜひぜひということで案内していただいたのが、岐阜県笠松町にあるトンボ天国です。

 トンボ天国は木曽川の河川敷にある自然保護地域で、面積はそれほど広くはないのですが、6つの池(たぶん河跡湖)があり、里の自然がたくさん残っているところです。初めて行ったのは20年以上前でしたが、ショウジョウトンボやチョウトンボといった図鑑でしか見たことがなかったトンボがたくさん飛んでいて感動したことを覚えています。

 それ以来の久々のトンボ天国。ここで、その方、箕浦先生に初めてお会いしました。近くに住んでおられて、毎日のようにトンボ天国に通って生き物の観察を続けておられる先生のお話を聞いていると、生き物を見る目も変わり、それ以来数回訪れています。先日(11月19日)も現地で先生とお会いして一緒に歩きました。トンボは少なくなる時期ですが、交尾をするアキアカネやオオアオイトトンボなどがいました。と言っても、僕にはイトトンボの種類を判別する能力はありませんが、先生には普通に分かるんですね。野鳥はいろいろいました。これは僕にも分かります。モズ、シジュウカラ、コゲラ、ジョウビタキ、エナガなどに会えました。12月になればさらに種類は増えてくるそうです。

 箕浦先生は岐阜大学工学部の元教授で、現在は名誉教授という肩書きをお持ちなのですが、ご専門以外にも自然分野や芸術分野にも多才なすごい方です。でも僕とちょっとした共通点がありました。

 子どものころから蝶々好きで、標本もいくつか作っていた。そのころの標本箱は紙の菓子箱だったので、全部虫に食われて跡形もない。結婚をして子どもができると、子どもの影響で自分の虫捕り熱が再燃、自分の方がのめりこんでしまった。

 これ、僕も全く同じです。でも、そののめり方が違います。標本の数が、ドイツ箱という木製の本格的な標本箱50箱ぐらいはあるそうです。僕も大人になってから採集した蝶はドイツ箱に標本を収めていますが、僕は15箱。比べものになりません。標本を作る作業はなかなか手間がかかるので、僕の昆虫採集は店を始めてからは徐々に終息していきましたが、先生は捕虫網をカメラに代えてずっと続けてこられたんだと思います。一方、僕の方は野外塾を始めたおかげで、蝶だけではなく、その他の昆虫や魚なども観察したり採集したりする機会があり、今でも興味だけは持ち続けています。

 その野外塾でも、箕浦先生や僕と同じような道をたどっておられるお父さんやお母さんを見かけます。虫捕りや魚捕りなどのプログラムもあるんですが、子どもよりも夢中になってる人が結構いますからね。きっと子どもと一緒に自然の中に足を踏み入れることで、自分の子ども時代が蘇るんでしょうね。好奇心旺盛な子ども時代に戻れたらこんな素晴らしいことはありません。そして、こんな風にして身近な自然環境を次の世代に残していければいいのではないかと思います。

おおきな木 杉山三四郎

不可解な増税と面倒なキャッシュレス化

 会員登録をしている某紳士服店から、時々お買い物券が届きます。3000円以上の買い物で2000円割引というお得感。ついつい使わなきゃ損みたいな気になって何度か利用していましたが、今回からこれが電子交付となったそうで、お買い物券はダウンロードしてお使いくださいとのこと。ああ、これも時代の流れかと諦めざるを得ないのですが、こういうの、なんかありがたみがないよなと思ってしまうのは僕だけでしょうか。図書カードも図書券の時代の方がよかったよなって思うんです。紙幣のように財布に入っている方が金券という感じがするじゃないですか。今の図書カードはQRコード読み取り式になっていて、今いくら分残っているのかはスマホをかざさないと分からないんです。

 そして、今ここに来て政府が主導してやっているのがキャッシュレス化。来年のオリンピックに向けてやらなくてはいけないんだとか。確かにアジアやヨーロッパ諸国を旅行すると、どんな小さな店でもクレジットカードが使えたりするので、便利といえば便利なんですけどね。それに比べると日本はまだまだ現金払いが主流。これって遅れてるんでしょうかね。現金に対する信用が日本は高いということなんですから、別に諸外国に追随することはないと思いますけどね。

 おまけに消費税増税の免罪符のように始められたキャッシュレス決済5%ポイント還元制度。当店も対象店舗ですので申請はしてるんですが、審査に時間がかかるらしく、1か月以上経ってもまだ承認が得られていません。9月の時点で対象店舗の約3割しか申請がされていないということだったので、駆け込みがいっぱいあったんでしょうね。でもね、こんなことにかけられるお金があるんだったら消費税を上げる必要なんてないんじゃないかというのが正直な気持ちです。

 そして、今まではほとんど必要を感じていなかったので放っておいたQRコード決済の申請も重い腰を上げて面倒な書類を提出しました。アップルペイとかペイペイとかアリペイとか、何とかペイなるものがクレジットカード以上に種類があって、今後どれくらい利用があるのか分からないのに、各社に申請しなくてはいけないので大変なのです。おまけにクレジットにしてもペイにしてもお店は手数料を負担しなくてはいけないわけで、現金払いの方がありがたいのです。消費者の身になってみても、こうした目に見えないお金ってありがたみがないし、各種あるポイントカードもいくら貯まっているのかよく分からないし、使い方もよく分からなくて、どうも損をしているような気がするだけです。若い人たちには抵抗感がないのかなあ。

 とにかくこうしたことがこの10月に一気にやってきて煩わしい思いをしているのに、消費税が上がったことで消費が冷え込んでいる感じが実感としてあります。安倍内閣で内閣官房参与を務められた藤井聡さんが書かれた『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)という本を読んでみましたが、1997年に3%から5%に上がった時、2014年に8%に上がった時、いずれも消費が落ちこんでデフレが進み、各世帯あたりの収入は減り、国の税収も減少するという結果になったようです。消費税は消費に対する「罰金」のようなもので、デフレが続き景気が後退しているときに消費税を上げるというのはとんでもないというのが、この藤井さんの主張です。こうしたアドバイザーの言うことに耳を貸さずに強行したのが今回の10%増税なんですね。

おおきな木 杉山三四郎

マスコミの矜持が問われる差別的報道

 今年6月にスイスに行った時のこと、ルツェルンという町で、予約していたホテルへの行き方が分からなくて駅の観光案内所に入りました。3人の女性スタッフがいて、一人がパソコンで調べてくれている間、あとの二人は何やらにこやかにしゃべっています。そして僕に、「Where are you from?」と聞いてきて、「Japan」と答えると、二人はがっかりした表情を見せました。「えっ、なんでなんで?」と聞くと、どうやら二人は僕が何人かという当てっこをしていたらしく、「私は中国人、彼女は韓国人だと言ってたのよ」とのことで、見事二人ともハズれたわけです。「ごめんなさい」と謝っていましたが、ま、そんなもんなんでしょうね。自分たちでさえ区別つきませんからね。

 そんなよく似たお隣同士の国々ですから、仲良くお付き合いをしていきたいものですが、ここのところ、日本と韓国の関係がよくありません。韓国の文在寅大統領が対日強硬策をとっていて、歴史問題を蒸し返してきたことが発端だったのではないかと思うのですが、それに対する日本政府の対応が火に油を注ぐような形になってしまって、ややこしくなってしまいました。

 両国民の意識調査では、日韓関係が良好であることを望む人が圧倒的に多いのですが、日本政府の対応は売られた喧嘩を買うような姿勢を見せて、「けしからん!」と言ってみたり、「無礼者!」と言ってみたり、政府の代表としてやってきている担当者を粗末に扱ったりと、わざわざ相手を怒らせるような態度を見せてきました。そして、歴史問題を争点にするのではなく、経済問題で制裁を加えるようなことまでしたわけです。詳しいことは僕には分かりませんが、海外メディアなどによると、日本と韓国が経済制裁の応酬を始めたら共倒れになるだけだと憂慮する意見も多数あるようです。

 関係を悪化させていいことなどひとつもないと僕も思いますが、さらに火に油を注いでいるのが日本のマスコミです。テレビのワイドショーで、著名人が韓国人に対する差別的発言をしたり、メジャーな某週刊誌が嫌韓特集を組んだり、さらに、いっときはどこのテレビ局でも文在寅大統領の側近の疑惑追及を毎日毎日特集したりと、よその国を叩いていったいどうするの? 何か展望はあるの? と言いたいです。その間、日本では厚労省の政務官の収賄疑惑があったのに、こちらはほとんど報道されていないのはどういうわけ?? 何かあるのではと勘ぐってしまいます。

 人種差別を助長し扇動するような行為をヘイトと言いますが、ヘイト本の多くは根拠のない「事実」をでっちあげて被差別者を叩くような内容で、読むに忍びない、聞くに耐えないものです。でも、こうした記事を読んで溜飲を下げるような人間もたくさんいるんでしょうね。だからヘイト本がそれなりの売り上げを上げていて、それに乗っかる形で、大手のテレビ局や出版社がその矜持も忘れて差別的な報道をする。これは一番やってはいけないことでしょう。それによって生まれるものは何もないわけですから。そう思いませんか?

 8月、日本人女性観光客がソウル市内で韓国人の男性に暴力を受けるという事件がありましたが、それに対する韓国国民の反応はその男性に対する非難でした。これには正直ホッとしました。国家間の関係が難しくなってきているときに、人種に関係なく人間としてやってはいけないことはいけない、恥ずかしい行為だとはっきりコメントできる韓国国民に敬意を表します。

おおきな木 杉山三四郎

300号! これも読者の方があってこそです

 「おおきな木つうしん」第300号となりました。25年と4か月で300号達成です。何事も三日坊主に終わってしまう性格の人間なのに、よくここまで続いてきたと、我ながら感心してしまいます。でもね、これもひとえにみなさんのおかげです。「いつも楽しみに読んでいます」という方が少なからずおられるので、それを励みにこの「さんしろうブログ」を書いています。

 何事も三日坊主と書きましたが、大体からして僕は広く浅くの人間で、何をやっても長く続くことがないのです。小学生の夏休みには、「今年は絵日記を毎日書くぞ」ととりあえず張り切るのですが、たいてい3日も持たずにそんな気合はどこかに行ってしまうんです。だから二学期が近づいてくると憂鬱になり、学校に行きたくない症状が発生します。

 ところが、こんな僕でも、中学2年から3年にかけて学級新聞を毎月発行したことがあります。その新聞の名前は「人間革命」。言っておきますが、某宗教団体の思想など全く知らないただのガキでしたから、その「人間革命」とは無縁であります。ただ、何となくちょっとかっこいいかも、と思いついたネーミングでした。コピー機などない時代ですから、白抜き文字で書かれた「人間革命」のロゴは毎回手書き。サイズはB4の縦で、4段組の縦書き。用紙はもちろんわら半紙で、ガリ版刷りです。

 記事の内容は、学級担任や教科担任の先生へのインタビュー、世の中のくだらないニュース(新聞の「海外こぼれ話」のような欄のパクリ)やクイズ(これもどこかからのパクリ)。そして、毎回好評だったのが、一コマ漫画。描いてくれてたのは似顔絵がうまいクラスの男子。登場人物はクラスの誰かか先生で、吹き出しに書かれたその会話を読むと、みんなが「ああ、あの事件ね」と了解できるような内容でした。その漫画がうまい同級生は、若くして油絵の画家としてデビューして、今も巨匠として活躍しています。

 ま、そんな学級新聞でしたが、2年間続けられたのは、まずクラスのみんなが面白がって読んでくれたからであり、先生に忖度することなく、自由に作っていたからではないかと思います。どんなに歌がうまい歌手でも、聴いてくれる人がいなくては成り立たないのと同じで、どんな表現媒体でもそれを受けてくれる人がいて初めて成り立つ訳ですからね。

 夏休みももう終わってしまいましたが、毎年この時期には、「読書感想文が書きやすい本はないですか?」というご質問を受けることががときどきあります。これってなかなかの難問でして、「この本を読めば書けます」と自信を持ってお勧めできる本はないのです。その子が読みたいと思える本に出会えるかどうか、結局はそこですからね。そもそも読書感想文を宿題にするというのはいかがなものでしょう。読み終わって、面白かったとか、つまんなかったで終わって、それでいいんじゃないか。何か書かなくてはいけないと思って読むのはつらいんじゃないかと、僕自身も読書感想文を書いた記憶がほとんどないので思います。

 でも中には上手に書く子もいるし、読書感想文が好きだったと言う人にも会ったことがあります。たぶんそういう人は、読み手を想定して文章が書けるんでしょうし、その人の受けを狙うことができるか、感じたことを素直にさらけ出してしまっていいと思えるか、ができる人なんじゃないかと思います。

おおきな木 杉山三四郎