野外塾第一期生の結婚式に参列して

 先日、何年かぶりに結婚式というものに招いていただいて、夫婦で参列して来ました。最近の若い人たちはちゃんとした結婚式をしない人が増えているので、今回も軽いノリなのかなあと思っていたら、どうもそうではないらしいということで、礼服も新調して行って来ました。葬式や法事やらは時どきあるので礼服ぐらい持ってはいますが、なんせ10年以上も前に買ったやつなので、ぶかぶかスタイルなのです。見た目を気にするワタクシとしては最近の細身スタイルで決めたいので、思い切ったわけです。

 とまあどうでもいい前置きはさておき、結婚式を挙げたのは、おおきな木野外塾の一期生T君です。25年前に小学一年生で入会して来ました。夏のキャンプなどは麦わら帽子に虫とり網という、ほとんど僕の少年時代と変わらないスタイルで彼はやってきました。でも、虫とりが好きだったかといえば決してそうでもなく、鉄道大好き少年だったんですね。高学年になっても鉄道マニアは続いていて、貸切バスで出かけるときなどにバスの中でうたう歌は、何というタイトルだったか忘れましたが電車の歌ばっかり。名鉄電車や新幹線の車内アナウンスのモノマネなんかもよくやってました。

 そしてTくんはじつによく食べました。野外塾では食べるプログラムが結構あるんですが、料理が出来上がると真っ先にお皿を持って並んでいます。「働かざるもの食うべからず」という暗黙の「オキテ」があっても、そんなのはお構いなし。昔は高学年の子の人数も少なかったので、10人にも満たない人数で高学年キャンプをやってましたが、そのときに用意したラーメンの分け前が少なかったようで、「僕はだいたい家ではラーメンは5食は食べてる」と息巻いていたのを覚えています。そんなわけで、食べることが大好きな彼は、当然の結果としてどんどん体重を増やし、100キロ超えを果たし、学校ではいろいろあったようです。

 でも、鉄道好きの彼はまっすぐに生きました。運転士になるのが夢で、就職試験に向けて毎日ランニングをするなどのダイエットにも励み、見事JR東海に就職したのです。しかし、これまたいろいろあって運転士になる道は険しく、最近は高山線の車掌を続けていました。

 そんな彼はまた旅行好きでもあり、その旅の宿で出会ったのがこのたびの新婦。押しの一手で射止めたようです。何年か前の話ですが、彼と二人でスキーに行ったとき、僕が「お前、彼女いないの?」って聞いたところ、「いるわけないじゃないですか。僕はイケメンじゃないですから」という答えが帰って来て、「そんなこと分かってるけど、世の中イケメンなんてそんなにいないんだから、大丈夫だよ」と全く激励にもなっていないような助言をしたことがありました。それが功を奏したのかどうか分かりませんが、今回はちゃんと自信を持って口説き、彼女も彼の良さに気づいてくれて、二人の共通の夢まで見つけたようです。

 電車は好きでも飛行機は大嫌いだった彼が、3か月間の世界一周新婚旅行に旅立ちましたが、帰って来たら、二人でゲストハウスを経営するという事業を始めるとのこと。あんなに好きだった鉄道の会社に入り、高収入も得ていたと思うんですが、それを辞めてまで夫婦二人の夢を実現させる道を選んだのは大したもんです。愛の力は偉大ですね。脱サラ族の先輩として多少の責任も感じますが、楽しく有意義な人生を歩んで行ってくれることを祈念したいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

子ども本位。大人目線の課題はいらない

 しつこいようですが、今年はおおきな木25周年。絵本屋を始めて、5月5日で25年になるわけですが、オープン以来ずっと続けてきた活動があります。それは、「ことば塾」と「野外塾」の二つの塾です。どちらも、頭にも心にも、そして体にもいい活動だとは思うのですが、いわゆるお勉強の塾ではありません。

 ことば塾は、1歳半から小学校低学年の子まで、いつでも好きなときにご入会いただけますが、野外塾は年長〜中学生を対象に年間登録制にしています。単発の活動ではなくて会員制にしてきたことは、今思えば本当に良かったと思っています。子ども同士のつながりはもちろんのこと、親同士のつながりも世代を超えてできたからです。

 では、そもそも何でこういう活動をしようと思ったのかということをちょっと振り返ってみたいと思います。僕はおおきな木を始める前、全国組織の子どもの英語教室を展開する会社に勤めていました。ここはただの英語教室ではなくて、英語劇をしたり、ダンスやゲームをしたりというグループ活動をメインに行い、全国規模のキャンプをしたり、海外とのホームステイ交流をしたりというダイナミックなこともしていました。僕はここで実に多くのことを学びましたが、ずっと自分の思いを遂げられないもどかしさを感じてもいました。

 それは、子ども本位の活動になっているだろうか、という点です。例えばキャンプだと、おそらくどこの学校でも民間団体でもそうだと思うのですが、いろんな課題が設けられて、プログラムが時間割で決まっています。そして、その課題を決めるのは大人で、大人の要望に基づいて、「今回はこれを課題にしよう」と組織的に決まっていきます。そこで僕は、子ども本位のキャンプにするには、まず課題をやめたらどうかと提案してきましたが、教育プログラムとしての大規模なキャンプでしたから、全く通らない提案でした。

 そんなわけで、そのころから僕が思い描いてきたのが今やっている「野外塾」のような活動でした。課題や目当ては設けない。時間割もない。いろんなプログラムを用意はするけど、参加するかどうかは子どもたちの自由。こんな行き当たりばったり的な塾に入会してくれる人がいったいどれぐらいいるのだろうかと不安でいっぱいでしたが、初年度に約40人の子どもたちが入会してくれました。

 やっていくうちに分かったことがたくさんあります。岐阜市内の山の中で一日放し飼いのようなデイキャンプでも、退屈してる子はほとんどいないということ。場の力ですね。とくに何か施設があるわけではなく、あるのはどこにでもある自然環境だけですが、子どもたちは本当によく遊びます。そしてその遊びを通して、自然に仲間を作ります。子どもって群れで育っていくんだなあとつくづく思います。いろんな年齢の子がいますから、ちょっと年上の子に憧れたり、年下の子の面倒を見たり、仲間に誘ったりという光景も見られます。

 野外塾には毎年100人前後の登録会員がいますが、昔に比べるとお父さんやお母さんの参加も増え、よその子どもたちとも気兼ねなく遊んだりしゃべったり、また、火を起こしたり料理をしたりのお手伝いもしていただいたり、そんなことをしながら親同士のつながりもできてきました。子どもだけでなく親も自由気ままに過ごせる場でもあるんですね。毎回、大家族のような賑やかさで楽しいひとときを過ごしています。

おおきな木 杉山三四郎

23回目となる新春恒例さんしろう絵本ライブ

 新年です。おおきな木が始まって、なんと25回目の新年です。5月には満25歳になります。25周年を迎えるにあたって、10月末にはリニューアル工事をしました。10年ほど前からの汚れもたまり、庭も生い茂っていたので、外壁塗装や庭の剪定をしてきれいになりました。シンボル旗も新調しました。ほどよい風の日に、高畠純さんのイラストによる黄色いコアラがそよいでいます。そして、みなさんにくつろいでいただけるベンチを特注しました。ときどき、ここで記念撮影をしていかれるご家族連れがありますが、寒い冬も終われば、もっと愛用していただけるのではないかと思っています。

 さて、来たる1月20日(日)には、新春恒例「さんしろう絵本ライブ」があります。恒例と言っていますが、何回目になるんでしょう。ちょっと調べてみました。店がオープンしたのは1994年5月ですが、そのころから毎月「おはなしひろば」という名前で、いろんな方に来ていただいて人形劇や落語やコンサートなどをやっていました。そして、3年目となる1997年1月から、絵本屋のオヤジが何かやってもいいだろうということで、主人が直々にステージに立つことになりました。そんなわけで、これを第1回とすると第23回になります。

 でも、このころはまだ「絵本ライブ」という名前は使っていなくて、第1回は「絵本であそぼう」、第2回は「絵本とことばのバラエティ」という名前で、絵本を読んだり歌ったり、あそび歌やパネルシアターや紙芝居などもしていました。そして、1998年8月に岐阜市の未来会館(現在は清流文化プラザ)で行われた「絵本カーニバル」(主催:岐阜県産業文化振興事業団他)という大きなイベントで、「さんしろうおじさんの絵本ライブ」という名前が生まれました。

 今では絵本の読み聞かせイベントのことを「絵本ライブ」と呼んでいる方が多くなりましたが、当時は僕が知る限りそんな言葉はなく、絵本カーニバルを担当された岐阜県職員のKさんが、「絵本ライブというのはどうですか?」と提案してくださり、僕がやっていることはまさにこれだ、と我が意を得たわけです。そのころ、絵本を歌うレパートリーもどんどん増えていき、単なる読み聞かせとは違って、音楽が大きなウエートを占めるステージになってましたから、まさに「ライブ」だったんです。以降、いろんな絵本作家の方とのジョイントでも「絵本ライブ」という名前で催してきました。

 そして、1999年の新春ライブが「絵本ライブ」という名称での第1回(実質的には第3回)です。初めのうちは一人でいろいろやっていましたが、その後サポートを申し出てくれるミュージシャンが一人、二人と現れ、そのルートからアレンジャーの伊藤精一さんと出会うことになりました。精一さんが加わったライブが、2004年1月。その年の10月、彼のアレンジと録音でCDデビューを果たすこととなりました。

 その後、2007年に2枚目のアルバム、2011年に3枚目をリリースしていますが、3枚目の録音に参加してくれた若手のミュージシャンたちが「せーちゃんす」を結成し、2012年の新春ライブから「さんしろう絵本ライブ with せーちゃんす」という豪華なステージとなって、今回第8回を迎えます。毎年欠かさず来ていただいているお客様も結構あって感謝感激です。

 とまあ、皆さんにとってはどうでもいいような「絵本ライブの歴史物語」でしたが、今年は25周年記念イベントをいくつかやります。どうぞご期待ください。

おおきな木 杉山三四郎

本屋は未知の世界との出会いの場です

 「本屋で本が売れない時代になった」と、一年前、この欄に書いたんですが、こんな時代が来ることをおおきな木を始めたころには思ってもみないことでした。僕は本屋を始める前、サラリーマンをしてましたが、会社の昼休みや帰りの時間には本屋にはよく行ってました。ある目的の本があって行っていたのかというとそうでもなく、ただ何となく暇つぶしにうろうろしていました。そして、パッと目に飛び込んで来た本のタイトルを見て、目次を見て、本文をぱらぱらっとめくって、面白そうだと思ったものを買ってくるわけです。おそらくこういう人、多いんじゃないでしょうか。大袈裟に言うと、僕にとって本屋は、自分の好奇心を満たす場であり、未知の世界との出会いの場であり、自分の可能性を探る場でもありました。

 自分が本屋を始めてからも時々はよその書店に足を踏み入れますが、先日ふらっと立ち寄った書店で一冊の本を買ってしまいました。本屋だから仕入れ値で買えるのにですよ。でも、出会ったときに買わないと、次いつ会えるか分からない、というのが本です。面出しになって立てかけられていたその本のタイトルは、『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子著/方丈社刊)。「イタリア、トスカーナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、禁断の書、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある」と帯に書かれていて、”イタリア”、”本屋”、これにまんまと引っ掛かりました。

 著者の内田洋子さんがかつて住んでおられたヴェネツィアにある小さな古書店。「私にとってヴェネツィアの水先案内人であり知恵袋である」店。店主は四代目ですが、創業の曽祖父の出身はモンテレッジォという、今では人口が30人ほどという山奥の村であることを知り、その歴史を辿ることからこの本の旅は始まります。この村出身の人や住む人と会って分かったことは、モンテレッジオは本の行商人たちがいた村で、19世紀ごろから、本を担いで遠く何百キロと離れた町まで出かけて行き、野宿をしたりしながら露店で店を開いていたらしいというのです。その末裔たちが主に北イタリアの各地で書店や取次店を経営しているとのことで、イタリアの本屋のルーツのような村なんですね。

 ろくに字も読めなかった人たちが、どうして本を売ることで生活の糧を得ようとしたのか、著者の内田さんならずとも心が惹かれます。そして、内田さんの文章の力と見開きの左半分に載せられたカラー写真によって、今年5月に北イタリアを鉄道と船で旅した僕は、いっしょに旅に出たような気分になってしまいました。単なるノンフィクションではなく、素晴らしい紀行文です。

 この本の書評をいろんな書店員さんが書かれていますが、僕も本屋の経営者としていろいろ考えさせられました。本屋はただ本を売っている店ということだけでいいんだろうか。一人ひとりのお客さんと向き合い、心を満たせるような本を手渡して来ただろうか。リアル書店には、ネット書店とは違って未知の本との出会いや心満たす居場所としての価値があるはずです。おおきな木は来年25周年ということで、先月、ちょうどそんなことを考えながらリニューアルを試みました。陳列棚も、お客様に手にとってもらいたい本をどう見せるかを改めて考えました。そして、お客様のもうひとつの居場所としてベンチも作りました。寒い季節になりましたが、みなさん、ゆっくりと本に会いに来てください。

おおきな木 杉山三四郎

生き物好きの男子大学生たちは今…

 前にもこの欄でネタにさせてもらった二人の男子のことをまた書かせていただきます。彼らは今、大学一年生。小学生の時からおおきな木野外塾に来ていた子です。高校生のとき、Yフレンドという名称の子どもたちのリーダー的存在で活躍し、今年の春、I君は新潟大学農学部、N君は琉球大学理学部に進学し、岐阜を離れました。

 二人の共通点は生き物好きの飼育マニア。フェイスブックをやっているI君はときどき彼のペットを動画で紹介してくれます。ペットといっても、トビイロケアリの女王アリとかワラジムシとかカエルとかニホンカナヘビで、先日の学祭では、所属サークルの展示で、可愛がっている2匹のナガレヒキガエルを出演させて、達成感を十二分に味わうことができたと書いていました。

 僕が大学生の時は、学祭というと、所属していたフォークソング同好会のコンサートに出演して女の子たちの気を惹いていい気になっていましたが、I君の学生生活にはそんなやましい心は一切ないようです。

 一方、琉球大学に行ったN君はというと、あまり情報がないので何をやってるのかよく分からないのですが、夏に沖縄で会ったときには、夜の海にしょっちゅう潜っているようで、いっしょにシュノーケリングをしたときには、「この岩の下にネッタイミノカサゴとキミオコゼがいるよ」などと魚の名前をいろいろ教えてくれたりしました。そして先日、彼からLINEで届いた写真は血まみれになったカメの写真。説明がなかったので、「何これ?」って聞いたら、「ぽん」という答え。ははあ、スッポンの解体をしていたわけですね。彼は高校生のときから、ウナギやヘビをさばいて食べたりしてましたから、こんなのはさほど驚くことではありません。

 こんな二人ですが、一般的にはやはりちょっと変わっているわけで、中学や高校では浮いた存在だったようです。でも、野外塾では年下の子たちの憧れの的で、N君などは学校ではほとんどしゃべらないちょっと変なやつなのに、野外塾では子どもたちともよくしゃべってテキパキと動くやつなのです。

 学校というところは、みんな一斉に同じことをやらせて競わせるという仕組みになってますから、彼らのような生徒はそんな仕組みには馴染めないのは当然でしょうね。でも、「みんな違ってみんないい」を実践している野外塾では、みんなそれぞれやりたいことを自由にやってます。でも、ただ放ってあるというわけじゃないですよ。子どもたちが自然の中で遊べそうなことをあれやこれやと用意していきますからね。それをおもしろいと思える子はやるし、そうでない子は他のことをしている。退屈してる子がいなければいいと思ってます。そんな環境が彼らの肌には合っていたんでしょうね。

 そして、大学に進学したら全国から生き物好きが集まってきているので、そこでは彼らは全然フツーなわけです。彼らに言わせると、尊敬するスゴイ先輩がいろいろといるようです。おそらく授業もサークルも楽しいんだろうなと推測します。自分の好きなことがちゃんとあって、その道に進めている彼らは幸せもんです。偏差値教育に振り回されて、よりレベルの高い学校に進学することが目標になっている子たちとはちょっと違います。

 今年の夏、里帰りしてきた彼らも野外塾のキャンプに参加してくれましたが、相変わらずの人気者ぶりを発揮していました。野外塾では、彼らを見て育ってきた中学生たちも徐々に個性を発揮し始めて「おもろい連中」になってきているので、これからが楽しみです。

おおきな木 杉山三四郎

韓国の人気絵本作家ペク・ヒナさんのこと

 先日、児童書の出版社ブロンズ新社の新刊説明会があり、京都まで行って参りました。ただの新刊説明会ならわざわざ京都まで行かないんですが、今回はスペシャルゲストに、韓国の人気絵本作家であるペク・ヒナさんと、その翻訳者である長谷川義史さんが来られるということで、ワクワクしながら行って参りました。

 長谷川義史さんは大人気絵本作家ですので、絵本ファンにはおなじみですが、ペク・ヒナさんのことはあまりご存じないと思いますので、まずはご紹介を。

 代表作はやはり『天女銭湯』(2016年8月発行)でしょうか。昔ながらの古〜い銭湯にお母さんといっしょに行った女の子ドッチが、水風呂で天女に出会うという話です。天女というと妖艶な美女を想像するんですが、この天女は贅肉たっぷりのおばあさんで、すごい貫禄なんです。その天女がドッチに水風呂遊びをいろいろ教えてくれて仲良くなるというお話ですが、ストーリーも奇抜なら絵も奇抜。キャラクターは全部粘土で作られた人形で、それをシーンに合わせた背景に配置して写真を撮るという手法なんですね。この絵本は、実際に銭湯を借り切って撮影されたそうです。

 続いて出たのが『天女かあさん』(2017年8月発行)。こちらの天女は愛嬌たっぷりのおかめ顔のお母さん、というよりおばちゃん。熱を出して早引きして来た息子の世話を誰かに頼もうとお母さんがあちこち電話をかけていたら、この天女につながってしまった、というところから驚きのストーリーが始まります。

 こんな奇想天外な絵本を作られるペク・ヒナさんはどんな方かというと、これらの天女とはまるで違って、二児の母でもある美しい女性でした。そのペク・ヒナさんの新刊が『あめだま』(2018年8月発行)。この絵本には天女は登場しません。主人公は友だちがいない一人ぼっちの男の子。不思議なあめ玉を手に入れてひとつずつなめてみると、ソファの声が聞こえて来たり、犬の言葉がわかったりして、次第に外の世界に心を開いていくようになるという物語です。

 ペクさんがまず韓国語で、その後長谷川さんが日本語で読み語り。そして、制作過程をスライドショーで丁寧に紹介してもらいました。ラフを描いて、人形を作って、背景を描いて、写真を撮ってという作業を全部お一人でされているんですね。今回、その人形も持ってこられていて、実物を見ることができました。背丈20cm前後で、思っていたよりも小さく作ってありました。この人形の表情がとにかくすごい。言葉では言い表せません。長谷川さんが言ってました。ラフを描いたら、そのまま絵の具で描いた方がずっと楽やのんにね、って。ほんとそう思います。でも、この人形に命を吹き込むところから制作が始まるのがペク・ヒナ流なんです。

 説明会後の懇親会でも通訳の方を介していろいろお話を伺うこともでき、いっしょに写真を撮ったり、サインをいただいたりして帰って来ました。みなさんもぜひペク・ヒナさんの独特の世界を味わってみてください。

おおきな木 杉山三四郎

社会性を身につけていない大学生たち

 暑い暑いとみなさん悲鳴を上げておられましたが、その暑い夏もあっという間に過ぎてしまいました。夏が大好きな僕はちょっと寂しいです。

 おおきな木野外塾では、子どもの夏休み中に四つのお泊まりプログラムがあります。一泊二日の昆虫採集キャンプ、三泊四日の無人島サバイバルキャンプ、二泊三日のサマーキャンプ、三泊四日の沖縄ざまみツアーです。自然好き、キャンプ好き、子ども好きの僕としてはどれも楽しいお仕事であります。今年はどれもお天気にもギリギリ恵まれて、無事にやり終えることができました。

 でもね、残念ながらいい思い出ばかりではありませんでした。先日終えたばかりのざまみツアーでは、嫌な思いをさせられました。座間味島で二泊したのですが、その民宿で某有名私立大学の潜水会という20名ほどの団体といっしょだったことです。彼らは夜遅くまで飲んで騒いで、しょっちゅう部屋は出入りするわ、廊下は走るわで、われわれみんな(こちらは13名)睡眠不足になってしまいました。岐阜から沖縄の離島までの長旅、そして海でシュノーケリングをしたりで大人も子どももみんな疲れていたのに、彼らのおしゃべりや笑い声は夜中1時を過ぎても続き、ほとほと参りました。部屋によっては「一気コール」までしていたようです。

 さすがにこれを放っておくわけには行かず、翌日、民宿のご主人と奥様に伝え、注意してもらったのですが、次の夜も改善の気配はなく、廊下からも話し声が聞こえてきます。ふとんに潜り込んでやり過ごそうとしたのですが、ついに我慢の限界を超えて、さすがの私もブチ切れて、10名ほどの男女が集結している向かいの部屋に怒鳴り込み、「お前らもう大人なんだから社会性も身につけろ」とまで言ってしまいました。その場では、「すみません」と言ってやがて解散したようですが、次の日、彼らと顔を合わせても、誰ひとりとして謝る人間はいませんでした。

 岐阜に戻ってから、この件についてフェイスブックに八つ当たり的投稿をしたところ、結構な反響がありました。「勉強だけできても、社会性が身についていないなんて恥ずかしい」とか、「社会性のなさは若者だけでなく、おじさん、おばさんにもある」とか、「旅の恥はかき捨てという日本の悪しき文化かも」とか、「親のしつけの問題で、学校の問題ではない」とか、いろいろご意見をいただきました。

 でも僕は、自立・自律をさせないような仕組みになっている日本の中学、高校の学校のあり方にも問題があると常々思っています。高校までは理不尽な校則に縛られ、自分の頭で考えて行動し、自分の責任で判断をするということが認められていません。アルバイト禁止、おしゃれ禁止、男女交際禁止、ただ受験勉強さえ頑張っていればいいといった環境で社会性など身につくわけありません。そんな彼らが大学生になってようやくタガを外されて自由になって、いきなり世の中に放り出された結果がこれなんです。

 今、『ブラック校則—理不尽な苦しみの現実』(東洋館出版社)という本を読んでいますが、中学・高校の実態はひどいもんです。日本の学校では、子どもの人格が認められていないばかりか、人権侵害ともいえる教師によるパワハラ、セクハラが平気で行われていたりするのです。大人も子どもも同等の立場でものを言い合える関係性を作ることが、子どもにとっても大人にとっても幸せなことなのではないかと思うのですが。

おおきな木 杉山三四郎

映画『ワンダー』を見て感じたこと

 大変な被害をもたらした豪雨が去ったと思ったら、今度は連日の猛暑で、熱中症で倒れる人が続出。大丈夫か日本列島!という感じですね。全国的にも岐阜県は猛暑県のようで、多治見やら揖斐川やらで40℃越えも記録しています。確かに暑い。二人仲良くおててつないで下校中の高校生カップルに、「暑いね!」って声をかけたくなりましたが、ますます変なおじさんになるのでやめておきました。

 テレビもラジオも新聞も毎日「暑い暑い」の連呼。でもね、夏なんだからあたりまえでしょ、それしか話題はないのか!?って僕なんか思います。僕はこの暑い夏が好きです。海や川で泳いだり、山に登ったり、キャンプをしたり、昆虫採集をしたり、夏だからこそできるお楽しみがいろいろあるじゃないですか。逆に苦手なのは、寒い夏。熱中症予防にエアコンをどんどん使いなさいと言われますが、ちょっと冷やし過ぎじゃないかと思われるところがたくさんあります。銀行も寒い、コンサートホールも寒い、レストランも寒い。原発が稼働してなくて電力不足なんて話はウソですね。

 梅雨の真っ最中のある日、午後から雨という予報で、午前中は昆虫観察に出かけ、午後からは寒いのを我慢して映画を見に行きました。寒い冷房から身を守るために上着とマフラータオル持参です。でも、このマフラータオルが、この映画ではもうひとつ役に立つことになりました。涙でびしょびしょになったのです。

 この日見た映画は『ワンダー 君は太陽』。先月、この通信でも紹介した小説『ワンダー』(R. J. パラシオ著、中井はるの訳/ほるぷ出版)が原作となる映画です。主人公のオーガストは、『スター・ウォーズ』が大好きで、宇宙飛行士にあこがれる普通の男の子なのですが、生まれつき顔に障害があり、5年生になるまで27回も手術を繰り返し、見た目はどう見ても普通ではありません。体も弱いため、両親は学校には行かせない方がいいだろうと判断し、自宅で学習をさせてきたのですが、本人の同意を得て、5年生から学校に行かせようと決断したのです。でも、その外見のせいで、みんなから冷たい目で見られるし、いじめにも会うしで、なかなか学校にも馴染めず、自分の顔のことを嘆くばかり。でも、理科が得意だったり、ユーモアがあったりというオーガストの内面に触れることができた友だちも少しづつ増え、その友だちや先生、そして両親やお姉ちゃんの愛情に支えられて勇気を得て、5年生の修了式には大きな成長を遂げることができた、という本当にいろんな愛に溢れた映画でした。

 また、この物語の舞台はアメリカ、ニューヨークにある私立の学校なのですが、日本の学校とのギャップに僕は驚かされました。人権意識の差というかなんというか。校長先生も担任もユーモアを交えて子どもと対等に話をします。何かことが起きても、先生は助言はしても、最終的な判断は子どもにさせるんですね。ことが起きないように規則で縛って、子どもに考えることをさせない日本の学校とは随分違います。服装などもみんな自由な格好をしてるし、授業も小学校なのに選択科目があって、自分の興味に応じた学習ができるとか。

 一方、日本の学校はどうでしょう。我が子が中学の時のことを思い出します。靴も靴下も白、ベルトの幅は3㎝、シャツは綿100%はだめ、などと意味不明な規則がいろいろありました。日本の学校は、まだまだ人権意識が低いと言わざるを得ませんね。

おおきな木 杉山三四郎

北イタリア プチ異文化体験の旅

 海外旅行に行くと、どこに行っても何かしら異文化体験があり、いろいろと驚きがあるのが楽しみです。実は先月、ミラノを拠点に北イタリアを旅して来ました。またまた妻と二人の珍道中。でも、今度は歌のレッスンを受けるためミラノに滞在中の甥っ子の家族がいるので、何の心配もなく行って来ました。

 ヨーロッパは鉄道網が発達しているので、イタリアでも鉄道に乗りまくろうと計画を立てました。今は、インターネットで現地の鉄道や船の時刻も日本語で調べられるし、ホテルの予約もできてしまうので便利になりました。でもね、いざ鉄道に乗ろうとすると切符を買わなくてはいけません。自動販売機に向かってブツブツ言いながらボタンをいろいろ押してみてもなかなかチケットが出て来ません。そんな二人を見て助けてくれる人がいます。ガイドブックを見ると、こういう人が要注意と書いてあるので、ヤバイかも、と警戒しましたが、いえいえ親切なおじさんでした。

 ミラノでは国鉄,私鉄、地下鉄、路面電車(トラム)が走ってますが、90分以内ミラノ市内をどれだけ乗っても1.5ユーロというお得なチケットがあるんですね。これを自販機でなくて、タバッキという日本のキヨスクのような売店でも買えるので、これはありがたかったです。そうそう、イタリアにはコンビニは全くないんですよ。ヨーロッパの他の国ではどうなんでしょうね。イタリアではタバッキがその役目をしているようです。

 そしてびっくりなのは、結構大きな駅でも改札がなかったりするのです。その気になればいくらでもキセルができそうです。でも、ときどき検札が来る場合もあるので、やめておきましたが。ベルガモという町ではバスにも乗ってみましたが、これもチケットの買い方が分からなくてどうしようかと迷っているうちに目的地に到着し、そのまま下車。ええっ、いいの? いい訳はないんでしょうが、イタリアは何でもゆるーいんでしょうね。鉄道もまず時刻通りには来ませんしね。

 食べる方の話もしましょう。イタリア料理は日本人にもお馴染みなので食事には困らないとのことだったのですが、一品一品の量が多い。サラダや前菜だけでお腹が膨れてしまうので、メインディッシュには到達しません。でも、チーズや生ハムは本当においしいです。

 ピザも一枚が宅配ピザのLサイズ。イタリア人はこれをナイフとフォークを使って一人でペロッと食べてしまうわけです。日本のピザはSサイズが一人前ですよね。それをピザカッターかなんかで切って手で食べます。ピザは手で食べるもんだとワタクシは完全に思い込んでいましたが、本場では違うんですね。

 僕はトンカツ好きなので、ミラノ風カツレツと言われるコトレッタ・ア・ラ・ミラネーゼも注文してみました。ところがこれもLサイズ。3人でも食べきれませんでした。日本では、いろんな料理を注文して、それを2〜3人で小皿に分けて食べるというのが最近は多いと思うんですが、イタリアではシェアをするという習慣がないみたいです。でも、思い切って取り分け用のお皿をお願いしたら、そんなに嫌な顔もせずに持って来てくれました。日本人だから仕方ないかと思われたのかも。

 行き当たりばったりの珍道中なので、反対向きの電車に乗ってしまったり、ホテルが怪しかったりとかありましたが、ミラノを離れ湖水地方と呼ばれるリゾート地でのんびりしたり、列車で国境を超えてスイスまで足を伸ばしたりと、自由気ままな絶景の旅もできました。

※写真は、スイスレーティッシュ鉄道

おおきな木 杉山三四郎

遊び心にあふれた かこさとしさんの絵本

 それは僕が大学2年の夏休みでした。信州の山奥のキャンプ場で子どもたちのお世話をするというアルバイトをしました。期間は40日。泊まり込みです。全国の子どもたちが3泊4日ずつ8班に分かれてやってくるそのキャンプ場の施設にはそれぞれ変わった名前がついています。本部棟は「たろう丸」、厨房のある管理棟は「グルンパ城」、我々スタッフが寝泊まりするプレハブ2棟は「だるまちゃん」と「かみなりちゃん」。何でそんな名前が付いているのかさっぱり分からなかったのですが、後になって、それらはみんな絵本に登場する主人公の名前だということを知りました。

 のちに僕は、ラボ・パーティという子どもの英語教室を運営する会社に就職することになるのですが、このキャンプ場はそのラボの施設だったのです。ラボでは英語劇のようなことをしていましたが、その教材が絵本で、英語と日本語で語られるテープを聞きながら絵本をめくっていきます。それまで絵本にはほとんど縁がなかった僕はとても新鮮な感覚で聞き入りました。その最初に聞いたのが、『だるまちゃんとかみなりちゃん』(福音館書店刊)。だるまちゃんが外に遊びに行こうとしたら雨が降ってきて、雷といっしょに空から落ちてきたのがかみなりちゃん。かわいそうに泣いています。でも大丈夫。かみなりどんが雲の自動車で助けに降りてきて、だるまちゃんもいっしょに雲の上のかみなり町に招待されるという、何とも奇想天外なお話です。

 この絵本を描かれたのが、5月2日に92歳で亡くなられた加古里子さん。1968年に刊行されています。当時はまだ加古さんのことなど知る由もなかったのですが、この遊び心がいっぱい詰まった絵本がとても好きでした。かみなり町は何にでもかんにでもツノがはえているとか、文明が発達した未来の都市だったり…。子どもが喜ぶツボを心得てるんですね。

 やがて、世帯を持ち子どもができると、我が家では絵本をよく読んでいましたが、子どもたちにも、『だるまちゃんとてんぐちゃん』『だるまちゃんとうさぎちゃん』などの「だるまちゃんシリーズ」は人気でした。そして、『からすのパンやさん』(偕成社刊)もよく読みました。やっぱりあのいろんなパンが出てくる場面にはしばらく釘付けになるんですね。

 最近、僕は2014年に出版された加古さんの自叙伝的な『未来のだるまちゃんへ』(文藝春秋刊)という本を読んでいたんですが、こうした楽しい絵本を描いてこられた加古さんの人となりに触れることができました。東大工学部を出られた方がなぜ絵本を描いておられるのか、なぜ子どもの遊びを民俗学的に研究されてきたのか、少し合点がいきました。若いころにボランティアで子どもと関わる活動をされていたことが根っこにあるんですね。じつは僕も大学は工学部で、子どもと関わる活動に足を突っ込んでましたから、ちょっとシンパシーを感じました。でも、加古さんは工学博士となられ、専門的な知識をもとに数々の科学絵本も描かれていて、頭の出来が僕なんかとは全然違う方なのです。

 5年前には『からすのパンやさん』シリーズの続編4冊が登場したり、そして何と今年になって、だるまちゃんのお相手に「はやたちゃん」「かまどんちゃん」「キジムナちゃん」という、地方に伝承する妖怪(?)たちが登場する『だるまちゃん』シリーズの新刊が一挙に3冊出たり、まだまだお元気な様子で本当にすごいなあと思ってましたから、今回の訃報はとても残念です。

おおきな木 杉山三四郎

24周年スペシャルイベント終わる

 昨日、おおきな木24周年記念イベントが盛況のうちに終了しました。絵本作家の内田麟太郎さんと高畠純さん、それにワタクシ杉山三四郎が加わっての絵本ライブ。数日前までは定員の半分も申し込みがなくて、どうなることかと心配していましたが、結局蓋を開けたら80数名のお客様で部屋は満杯。大人率が高かったですが、元気な子どもたちが盛り上げてくれました。

 大人の方達もほとんどが馴染みのお客様で、中には、おおきな木プレオープンの時から来ていただいていたという方がお孫さんを連れていらして、24年という時の流れを感じますね。こうしたお客様たちに支えられてここまでやってこられた訳です。本当にありがとうございます。

 地元の新聞社も取材にきてくれて、午前の部の高畠純ワークショップは岐阜新聞に、午後の絵本ライブは中日新聞に掲載されました。

5月5日、おおきな木は24歳になります

 「今日は5月5日、春風が一番美味しい日です」。これは絵本『ワニぼうのこいのぼり』(内田麟太郎文、高畠純絵/文溪堂)の一節ですが、24年前の5月5日、おおきな木はオープンしました。もう24年も経ってしまったんですね。ついこの前のことだったように思いますが、当時小学生で店に来てくれてた子が子連れで来てくれたりすると、時の流れを認めざるをえません。

 思えばこの24年の間に、世の中は大きく変わりました。オープンしたときインターネットはありませんでした。パソコンはあったけど、文書を作成するためのワープロ機能と表計算とデータベースで使うもので、通信手段としてはファックスが最新の手段でした。写真はもちろんフィルムカメラで、このつうしんに載せる写真はハサミで切って版下に貼り付けたりしてました。デジカメになってからまだ20年も経っていませんが、メディアを作る人間にとっては画期的でした。パソコン上でトリミングもできるし、露出の補正もできるし、その他いろんな編集ができてしまいますからね。

 そして携帯電話の普及。これは訳あって僕は相当前から使ってました。自動車電話ほどではないですが、結構重くてでかいやつでした。そしてスマホの出現が10年ほど前でしょうか。出たころは「こんなややこしいものを誰が使うのか」と思ってましたが、今では当たり前になってしまって、分からないことは何でも教えてくれる便利なツールになってしまいました。当店のホームページは2年前にリニューアルしましたが、今やホームページを閲覧している人の約9割はスマホからという時代になってしまったそうで、何とか波に乗り遅れないようにと頑張った訳です。

 とまあ、この間のITの進歩はいいこともあった訳ですが、出版業界においてよかったことって何だろうと思うと、ちょっと首を傾げてしまいます。3月末に店を閉めた児童書専門店の草分けとして知られた名古屋のメルヘンハウスの社長さんがおっしゃってました。「ネット通販には勝てなかった」と。ネットの普及に伴って町の本屋さんは次つぎ姿を消し、うちも絶滅危惧種的な存在になってしまいましたからね。

 でも最近嬉しいことがありました。岐阜新聞のコラム「分水嶺」を読んでいたら、絵本の話題が取り上げられています。「『しろくまちゃんのほっとけーき』は名作だ」とか「名古屋市で児童書専門の老舗書店が閉店した」とか。ふむふむ。そして、「県内にも頑張っている店がある」と。えっ? 「野外活動の企画まで幅広く手がける」とも書いてある。おそらくこれはおおきな木のことなのでは…。ちゃんと地元の新聞社は見ていてくれたんです。さらに、「子供には子供の文化がある。主役は自分たちだと思える場所が、健やかな育ちには必要だ。店主も同じ思いだろう」と。そうなんです。その通りなんです。今までいろんなところで訴えてきたことですが、マスコミの方にも共感していただけたのには意味があります。ほんと嬉しかったです。

 来年は25周年を迎えます。なんと四半世紀。店の外壁が剥げたり汚れたりでみすぼらしくなってきているので、気持ちを新たにリニューアル作戦を画策中。そして、今年の5月5日はそのスタートラインとして「24周年スペシャル」(裏面およびHP参照)を計画しました。僕のCDにもなっている絵本ライブネタに一番多く登場するお二人の作家、内田麟太郎さんと高畠純さんをお招きしています。皆様のご参加心よりお待ちしております。

おおきな木 杉山三四郎