絵本コンシェルジュ 杉山三四郎のメッセージ

私は、絵本というのは、人と人とがつながるコミュニケーションツールだと思っています。

絵本のよみきかせは、読み手と聞き手が生の声でつながる時間です。

読んでもらう子どもたちにとって、絵本の世界は、読んでくれた人の温かみとともに、将来にわたって心の宝物となって残っていくのです。

最近では、パソコンやスマホに子守りの役目をさせている親御さんも多いかと思いますが、やはり大切なのは、親子が生の声、生の言葉でつながる時間をたくさん持つことではないでしょうか?

 

絵本選びでお悩みの方は、ぜひご来店の上、私や当店スタッフに声をかけてください。お子様にぴったりの絵本をお選びします。

遠方の方は、本の定期購読「ブッククラブ」をご利用ください。


300号! これも読者の方があってこそです

 「おおきな木つうしん」第300号となりました。25年と4か月で300号達成です。何事も三日坊主に終わってしまう性格の人間なのに、よくここまで続いてきたと、我ながら感心してしまいます。でもね、これもひとえにみなさんのおかげです。「いつも楽しみに読んでいます」という方が少なからずおられるので、それを励みにこの「さんしろうブログ」を書いています。

 何事も三日坊主と書きましたが、大体からして僕は広く浅くの人間で、何をやっても長く続くことがないのです。小学生の夏休みには、「今年は絵日記を毎日書くぞ」ととりあえず張り切るのですが、たいてい3日も持たずにそんな気合はどこかに行ってしまうんです。だから二学期が近づいてくると憂鬱になり、学校に行きたくない症状が発生します。

 ところが、こんな僕でも、中学2年から3年にかけて学級新聞を毎月発行したことがあります。その新聞の名前は「人間革命」。言っておきますが、某宗教団体の思想など全く知らないただのガキでしたから、その「人間革命」とは無縁であります。ただ、何となくちょっとかっこいいかも、と思いついたネーミングでした。コピー機などない時代ですから、白抜き文字で書かれた「人間革命」のロゴは毎回手書き。サイズはB4の縦で、4段組の縦書き。用紙はもちろんわら半紙で、ガリ版刷りです。

 記事の内容は、学級担任や教科担任の先生へのインタビュー、世の中のくだらないニュース(新聞の「海外こぼれ話」のような欄のパクリ)やクイズ(これもどこかからのパクリ)。そして、毎回好評だったのが、一コマ漫画。描いてくれてたのは似顔絵がうまいクラスの男子。登場人物はクラスの誰かか先生で、吹き出しに書かれたその会話を読むと、みんなが「ああ、あの事件ね」と了解できるような内容でした。その漫画がうまい同級生は、若くして油絵の画家としてデビューして、今も巨匠として活躍しています。

 ま、そんな学級新聞でしたが、2年間続けられたのは、まずクラスのみんなが面白がって読んでくれたからであり、先生に忖度することなく、自由に作っていたからではないかと思います。どんなに歌がうまい歌手でも、聴いてくれる人がいなくては成り立たないのと同じで、どんな表現媒体でもそれを受けてくれる人がいて初めて成り立つ訳ですからね。

 夏休みももう終わってしまいましたが、毎年この時期には、「読書感想文が書きやすい本はないですか?」というご質問を受けることががときどきあります。これってなかなかの難問でして、「この本を読めば書けます」と自信を持ってお勧めできる本はないのです。その子が読みたいと思える本に出会えるかどうか、結局はそこですからね。そもそも読書感想文を宿題にするというのはいかがなものでしょう。読み終わって、面白かったとか、つまんなかったで終わって、それでいいんじゃないか。何か書かなくてはいけないと思って読むのはつらいんじゃないかと、僕自身も読書感想文を書いた記憶がほとんどないので思います。

 でも中には上手に書く子もいるし、読書感想文が好きだったと言う人にも会ったことがあります。たぶんそういう人は、読み手を想定して文章が書けるんでしょうし、その人の受けを狙うことができるか、感じたことを素直にさらけ出してしまっていいと思えるか、ができる人なんじゃないかと思います。

おおきな木 杉山三四郎

「スイス鉄道ものがたり」を旅して

 『スイス鉄道ものがたり』(たくさんのふしぎ傑作集/福音館書店)という絵本があります。27年前に出た絵本なのですが、昨年、イタリアからレーティッシュ鉄道に乗って、ちょっとだけスイスに足を踏み入れて、アルプスの風景やスイスの山岳鉄道に魅せられたその頭で改めて読んでみました。すると、前に読んだ時よりもどんどんと想像力が膨らみ、そこに載っている鉄道に全部乗ってみたい、そして、アルプスの山々を歩いてみたい、という気持ちがパンパンに膨らみ、6月終わりから7月にかけて、ついに行ってしまいました。

 昨年のイタリア旅行の際に旅の計画を立てる楽しさにも目覚め、今回も6泊7日の旅程を全部自分で立てました。ちょっと偉そうですが、今はネットで何もかも検索できてしまうので、大したことではありません。おまけに、既成のツアーで行くよりも大幅に費用を削減することができるので、一挙両得です。

 さて、でもこの絵本の旅程を辿るととても6泊では行けないし、たとえ行けたとしても大きな荷物を担いでの移動ばかりになって忙しいだけになってしまうので、今回は、ユングフラウとマッターホルンの二つの有名観光地をメインに計画を立てました。いろいろ調べていてまず知ったことは、スイスの鉄道網の凄さ。とにかく山と湖ばっかりの国ですから、直線で走っている路線はほとんどなく、曲線やループを描いて走る鉄道が網の目のようになっています。そして、どんな田舎でも30分に1本ぐらいの割合で便があるのがまた凄い。おまけに乗り継ぎ時間も短い。田舎と言ってもそれだけ多くの観光客が訪れているということなんでしょうね。

 セントレアからチューリッヒまでは約17時間。チューリッヒからは4回鉄道を乗り換え、ユングフラウを望む村ヴェンゲンへ。そこからロープウェイでメンリッヒェンという山に登るとアイガー、メンヒ、ユングフラウの3名山を始めとする4000m級の山々が眼前に。そこから約2時間のハイキングコースはとにかく感動でした。色とりどりの花を咲かせる高山植物の群生。そこに訪れる高山蝶。カメラのシャッターを押す手を休める暇がありません。次の日は、ユングフラウ鉄道に乗って、標高3571mのユングフラウヨッホまで行く予定です。この鉄道は1912年に全線開通してるんですが、こんなところにまで鉄道を通してしまうこの国はすごいです。こんな登山鉄道がまた各所にあるんですからね。

 こんな調子で旅行記を書いていたら誌面がどれだけあっても足りないのでやめときますが、鉄道の旅がまたいいのは、いろんな国から来ているお客さんたちとの会話が楽しめるところです。チューリッヒからは、にぎやかなスイス人のおっちゃん、おばちゃんたち御一行様が、「どこから来たのか?」「どこへ行くのか?」に始まって、いろいろ話しかけて来てくれました。ツェルマットのゴンドラで隣り合わせになったスイス人の女性も、”Can you speak English?”に始まっていろいろ。ホテルやレストランでもみんなフレンドリーです。スイス人だけでなく、各国の人たちとも乗り物で会話が弾みました。香港、南アフリカ、インド、オーストラリア、中国、そして、大阪や広島のおばちゃんたち。大した話は全然してませんが、いいんです、それで。

 スイスが美しいのは自然や町の風景だけでなく、鉄道の外観、車内、各施設のトイレも美しい。観光立国であることは確かなんですが、車ではなく鉄道を優先させて来たのは環境への配慮も大きいんでしょうね。

おおきな木 杉山三四郎

岐阜人のソウルフード「冷やしたぬき」

 今回はそばの話をさせていただきます。でも、言っておきますが、私はそば通ではありません。ただのそば好き。そば道を極めている方からしたらお叱りを受けるかもしれませんが、立ち食いそば好きなのであります。もちろん、本格的な手打ちそばも好きなんですが、こだわりの店はそれなりのお値段がするので、お腹いっぱい食べようとすると僕の生活レベルを超えてしまいます。というわけで、いろいろトッピングをしてもワンコイン程度で済む立ち食いそばで十分なのです。

 でも、残念ながら岐阜には立ち食いそば屋は一軒もないので、「麺類・丼物」の食堂で食べるしかありません。東京で仕事をしていたころには、帰りの電車に乗る前に駅の立ち食いそば屋にしょっちゅう立ち寄ってました。でも、名古屋に転勤になると、名古屋も立ち食いきしめん屋はあってもそば屋はない。不思議ですね。今ではたまに関東方面に行くことがあると、立ち食いそば屋に行くのがひとつの楽しみになっていて、朝も昼も行ってしまったりもします。

 ではみなさん、岐阜には「冷やしたぬき」というソウルフードがあるのをご存知でしょうか。たぬきそばといえば、ここら辺では天かすが載ったそばで、だいたいどんな麺類食堂のメニューにもありますが、「冷やしたぬき」というと、岐阜人がイメージするのはある有名店のあのそばのことなんです。その店の名前は「更科」。おおきな木からも徒歩10分です。

 先日、岐阜市内にある長良川国際会議場で行われた「さだまさしコンサート」に行って来ました。彼のコンサートはトークもおもしろいんですが、そのネタにも「更科の冷やしたぬき」がありました。「今日、更科で冷やしたぬきと木の葉丼を食べて来まして〜」というと、場内がどよめきました。「えーっ、さだまさしのような有名人でも、あの庶民が通うそば屋に行くんだ!」とか「今日、更科にさだまさしがいたんだー!」みたいな反応でしょうね。僕は、「更科の冷やしたぬき」と言っただけでここに来ているほとんどのお客さんが分かってしまうというこの共通認識(ちょっと大げさですが)に感動しました。このどよめきで、ここにいる人たちみんな知り合いなんじゃないかと思ってしまいましたね。

 じつを言うと、更科を経営されているご家族はご近所同士なので皆さん昔から知っているんですが、うちが店を始めるとき、「更科のような店にするのが目標です」と奥様に言ったことがあります。あれから25年。とても足元にも及びません。うちはそこまで認知度もなければ行列ができることもないですからね。地元に定着するというのは並大抵のことではないのです。更科はまた地元だけでなく、週末などは県外ナンバーも結構来てますからね。マスコミ登場率も高いのです。

 とまあ、更科の話が長くなりましたが、冷やしたぬきの他にも岐阜人にとってのソウルフードはいろいろあるでしょう。でも、岐阜人からしたらそれが他の地域にはない独特のものであることは知らなかったりします。で、このたび岐阜新聞社から出た『ちほ先生が見た岐阜人の不思議』(大藪千穂著)を読んでみてください。京都に生まれ育った著者ならではの驚きが綴られていて、岐阜人の僕も改めて「へえー」と驚いています。日本各地にはそれぞれの文化があって、不思議なのは岐阜人だけではないのですが、不思議であることに誇りを持って生きて行きたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

子どももハマるタケノコ狩り

 4月後半から5月にかけての時期、僕は毎年落ち着かない日々を過ごします。何でかというと、山菜の季節だからです。「もう芽は出たかなあ?」「いや、まだ早すぎるかも?」。その年の天候である程度予想はできるものの、現地に行ってみないと分かりません。火曜日しか休めない僕の場合、タイミングを間違えると大ショック。1週間違うだけで野山の状況は全然変わってしまいますからね。岐阜市内でも、人気のコシアブラやタラの芽、セリやミツバなどは採れますが、やはりいいものをゲットしようとしたら時間をかけて雪深い山奥に行かなくてはいけません。なので、気が気でないわけです。で、今年はどうだったかというと、毎週ほぼほぼ当たり。例年通り、荘川、板取、揖斐、根尾あたりで、渓流釣りをしながら山菜を愛でて参りました。

 そもそも僕が山菜に出会うことになったのは20代の頃。赴任していた長野県の一番北の方の信濃町という雪国です。アパートなどひとつもないところだったので、地元の小学校の教師をしてらっしゃる方のお宅に間借りをしていました。そのご夫妻が春は山菜狩り、秋はキノコ狩りと山の幸に大変詳しい方で、いっしょにタケノコ狩りに連れて行っていただいたのが初体験でした。このとき僕は、タケノコというのは掘るものだと思っていたのですが、連れて行かれたのは戸隠あたりの笹薮。竹なんてないのに…??でした。そうなんです。このあたりでタケノコというと、根曲がり竹のことで、太めの熊笹といった感じです。土から顔を出したこの根曲がり竹のタケノコを手でポキっと折って収穫します。

 これが楽しかったのなんの。夢中になって藪をくぐってタケノコ探しをしていると、自分の居場所が分からなくなって、「おじさーん、おばさーん!」と大声で叫んでいたら、「どうしたの? ここにいるがね」とおばさんが笑ってました。すぐ近くにいたんですね。

 信州から新潟県の妙高あたりではこのタケノコを信州味噌でタケノコ汁にしますが、これがまた美味しいんです。タケノコの他に、じゃがいもと卵、それに鮭缶を入れるんです。鮭缶は高いから鯖缶でもいいよと教えてもらいましたが、どうやら鯖缶の方が正統派のようです。

 さて、先日、おおきな木野外塾では、「雪国の春キャンプ」を行いました。このキャンプ場は根曲がり竹の藪に囲まれていて、ちょっと入って行くだけでタケノコがニョキニョキ生えています。昨年も同時期に行ってるんですが、伸びすぎていてあまり収穫できませんでしたが、今年はタイミングばっちり。「山菜は何でも太い方が美味しいんだよ」と子どもたちに言い聞かせてから藪に放つと、みんな目を輝かせて太いタケノコ探しに夢中になりました。「ほら、そこに太いのがある!」「えっ、どこどこ?」。険しい藪の中まで採りに行ってくれるので、「ここ掘れ、ワンワン」状態。

 ここでは、タケノコの他に、ワラビもニョキニョキ生えていて、これにも子どもたちがハマりました。そして、僕は密かに、タラの芽やハリギリ、コゴミゼンマイ、コシアブラ、クレソンなども採りました。

 というわけで、山菜いろいろ大収穫。みんなでタケノコの皮むきをして信州流タケノコ汁にしたり、皮付きのまま焼きタケノコにしていただきました。ワラビはアク抜きをして翌朝おひたしにしましたが、子どもたちも結構食べてました。お昼は、山菜天ぷらうどんとクレソンのピザ。現地調達の食材でいろんなお料理ができる。これって最高のキャンプだと思いませんか?

おおきな木 杉山三四郎

25周年記念イベント終わりました

5月5日、こどもの日はおおきな木の誕生日でもあります。昨日、25歳を迎えたおおきな木、それを記念して「絵本まつり/さんしろう絵本ライブ with 長野ヒデ子、高畠純、ひろかわさえこ」を行いました。お客さんは約70名。3人の絵本作家さんをゲストに迎えたライブで、絵本の歌や読み聞かせ、紙芝居、トークコーナー、抽選会など、たっぷりの内容でしたが、子どもたちも最後までノリノリで見てくれました。いつも子どもたちに助けられています。

夜は、会費制の「25周年記念パーティー」。総勢約30名。古いお付き合いとなるお客様であり、大切なファンの方たちばかりで、いっぱいお祝いの言葉やお花などをいただいてしまいました。こうしたファンの皆さんに支えられて、ここまでやってこられたんだなあとつくづく感じ入っております。また料理は、河原町で新たに店を始めた長男が担当してくれました。

10連休最後の今日は、昨日の賑わいとは打って変わって店の方は静かな状態で、疲れた体でボーッとしています。4月30日の平成最後の日に行われた「ケロポンズファミリーコンサート」に始まった一連の25周年記念イベントやお客様感謝ウィークも何とか無事に終わりました。明日は定休日、明後日からは気持ちを切り替えて次の仕事をこなしていきたいと思います。

イベントに参加していただいたみなさん、ご来店いただいたみなさん、本当にありがとうございました。これからも、おおきな木をよろしくお願いいたします。

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平成から令和への節目に迎える25周年

 新年号が「令和」と決まりました。賛否両論あるようですが、僕自身は、「憲法を遵守し、平和な世の中であってほしい」という思いが込められているのだ、と勝手に解釈して納得しています。昭和から平成に変わったときもそうでしたが、馴染むまでにはある程度の時間はかかることでしょう。

 年号が変わり、天皇が代わることによって、新しい時代が始まるのかというと、特に変わりはないんでしょうが、ひとつの節目であるんだという気分的なものはありますね。ラジオやテレビ、新聞などでも、平成はいったいどんな時代だったのか、といったテーマの番組がありますが、30年と数か月の時代を振り返ってみる機会を与えてくれていることには間違いありません。みなさんにとって平成とはどんな時代だったんでしょう。それは人それぞれだし、一言で言えるようなことではないんですが、ただひとつ言えるとしたら、昭和と違って戦争が全くなく、平和が保たれた時代だったということではないでしょうか。令和になっても、平和憲法が守られ、戦争によって人々が傷つくようなことがない世の中が続いていくことを願ってやみません。

 さて、話は個人的なことになりますが、平成は僕の岐阜時代です。10年を過ごした東京から岐阜に戻って来たのが平成元年。母が病に倒れ、その看病のため、勤めていた会社に転勤を願い出て、1月に名古屋の支局に単身赴任しました。昭和天皇逝去の号外を名古屋駅前でもらったのをよく覚えています。このとき、長男が5歳、長女は1か月になるかならないかというときだったので、妻は大変だったと思います。

 そして、母が亡くなったのが平成3年。しばらくサラリーマンを続けていましたが、一旦岐阜に戻ってくると、あの東京の雑踏に身を置く自分が想像できなくなり、転勤の辞令が下りる前に退職をして、10年ほど前から描いていた夢を実現させる道を選んだわけです。

 そして、平成6年5月5日におおきな木がオープンしました。25周年記念イベントに向けて、当時の記録を編集する作業をしているのですが、今も続けていることば塾や野外塾の他にも、いろんな企画を立てていたんだなあと我ながら感心しています。今はおもちゃ売り場になっている店内奥のスペースは展示コーナーになっていて、毎月絵本原画展などを行い、それに合わせて絵本作家さんを招いて講演会もしていました。でも、原画展はなかなか大変で、その割に集客にもつながらないということが分かり、数年でやめてしまいました。

 また、毎月、人形劇、腹話術、おはなしおじさん(おばさん)、手品師、ミュージシャンなどに来ていただいて、「おはなし広場」というのもやっていました。今回、平成最後の日に行うケロポンズファミリーコンサートのような親子向けコンサートや保育者向けセミナーなども毎年行っていました。こうしたイベントは満員御礼ということもありましたが、思ったほど人が集まらなくて大赤字になったこともありました。人を集めるというのは本当に難しいですね。

 前代未聞の10連休中に平成から令和へのバトンタッチが行われますが、この連休中に、10数年飲食の仕事をしてきた長男が、それまでの勤めを辞め、独立して、岐阜市内の観光地である川原町界隈で飲食店を始めることになりました。新たな時代に新たな事業を始める息子に、父として、また地域を盛り上げる同志として、エールを送りたいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

これだから絵本はやめられない 保育園の絵本タイム

 ギターをケースから取り出し、一番低い6弦をボーンと鳴らすと、子どもたちが足をばたつかせてワーッ!と歓声が上がる。次に5弦をボーン。すると、また、ばたばたワーッ! 4弦をボーン、ばたばたワーッ! これは、岐阜市内にあるN保育園の1〜2歳児クラスのルーティンになっている光景ですが、ギターのチューニングだけでこれだけ盛り上がる子どもたちは他ではあまり見かけません。そして、子どもたちからリクエストの声がかかります。このクラスの大のお気に入りは、『おっぱい』(みやにしたつや作/鈴木出版)。ドアをガラッと開けて部屋に入っていくと、僕の顔を見るなり、「おっぱい」。ギターを抱えるとまた、「おっぱい」。どうも僕の顔には「おっぱい」って書いてあるらしいです。昨年の4月からのお付き合いになる子たちですが、月2回の絵本タイムで毎回やってきたので、おそらく20回以上『おっぱい』を歌ってきました。

 僕は絵本に曲をつけて歌ってますが、そのCDも聴いてくれてますから、僕の歌で子どもたちも保育士さんたちもみんな大きな声で歌ってくれます。この保育園の2〜3歳児クラスでは、『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』(内田麟太郎作、竹内通雅絵/絵本館)がお気に入りで、これもほぼ毎回やってるかも。他の絵本は座って聴いてくれますが、これが始まるとみんな立ち上がって、歌に合わせてぴょんぴょん飛び跳ねて踊るので、じつに愉快です。

 大人の感覚からすると、一度読んだ絵本は何度も読み返したりしなくてもと思われるかも知れませんが、子どもは気に入った絵本は何度読んでもらっても嬉しいんですね。我が子が小さかったころのことを思い出してもそうです。『ごろごろにゃーん』(長新太作・絵/福音館書店)を飽きるほど読まされましたが、何がおもしろいんだか、こちらにはよく分からない。そんな絵本ですね。絵本を読んでいるとき、子どもには大人とは違う時間が流れているんでしょうね。

 僕はN保育園以外にもあと二つの保育園に毎月お邪魔していますが、そのうちS保育園はもう7〜8年になるので、子どもたちとの付き合いも濃厚で、N保育園同様、僕が顔を見せるだけでどよめきが起こります。ここでは未満児〜年少さんと年中〜年長さんの二つに分けて絵本タイムをやっていますが、そのどちらでも人気なのが、『いちにちおばけ』(ふくべあきひろ作、かわしまななえ絵/PHP研究所)。季節関係なくリクエストがかかりますが、やるのは夏場と子どもたちの声に負けたとき。こわい妖怪たちが出てきますが、何が出てくるかよく知っているくせに、ページをめくるとキャー!って怖がって、隣の子と抱き合ってるんですね。

 ここの年中〜年長児クラスでは、『うし』(内田麟太郎作、高畠純絵/アリス館)も大人気。牛が後ろを振り返ると「うしがいた」というただそれだけのナンセンスストーリーですが、これがいいんですね。これも僕は歌ってますが、ギターの演奏に続いて、「うしがいた〜」と、近所中に響き渡るような大きな声で大合唱になったり、うしごっこに発展したりもしています。

 年長さんたちとは3月の絵本タイムでお別れということで、最後にみんなで写真を撮ったり、タッチをしたり、ハグをしたり、キスされたり…。可愛さ余って、「みんなを連れて帰ろかなー」って言ったら、なんとみんなから、「行く行くー!」という声が返ってきました。

 こんな風に絵本でつながってきた子どもたちが僕には大勢いますが、みんなすばらしい宝物です。

おおきな木 杉山三四郎

野外塾第一期生の結婚式に参列して

 先日、何年かぶりに結婚式というものに招いていただいて、夫婦で参列して来ました。最近の若い人たちはちゃんとした結婚式をしない人が増えているので、今回も軽いノリなのかなあと思っていたら、どうもそうではないらしいということで、礼服も新調して行って来ました。葬式や法事やらは時どきあるので礼服ぐらい持ってはいますが、なんせ10年以上も前に買ったやつなので、ぶかぶかスタイルなのです。見た目を気にするワタクシとしては最近の細身スタイルで決めたいので、思い切ったわけです。

 とまあどうでもいい前置きはさておき、結婚式を挙げたのは、おおきな木野外塾の一期生T君です。25年前に小学一年生で入会して来ました。夏のキャンプなどは麦わら帽子に虫とり網という、ほとんど僕の少年時代と変わらないスタイルで彼はやってきました。でも、虫とりが好きだったかといえば決してそうでもなく、鉄道大好き少年だったんですね。高学年になっても鉄道マニアは続いていて、貸切バスで出かけるときなどにバスの中でうたう歌は、何というタイトルだったか忘れましたが電車の歌ばっかり。名鉄電車や新幹線の車内アナウンスのモノマネなんかもよくやってました。

 そしてTくんはじつによく食べました。野外塾では食べるプログラムが結構あるんですが、料理が出来上がると真っ先にお皿を持って並んでいます。「働かざるもの食うべからず」という暗黙の「オキテ」があっても、そんなのはお構いなし。昔は高学年の子の人数も少なかったので、10人にも満たない人数で高学年キャンプをやってましたが、そのときに用意したラーメンの分け前が少なかったようで、「僕はだいたい家ではラーメンは5食は食べてる」と息巻いていたのを覚えています。そんなわけで、食べることが大好きな彼は、当然の結果としてどんどん体重を増やし、100キロ超えを果たし、学校ではいろいろあったようです。

 でも、鉄道好きの彼はまっすぐに生きました。運転士になるのが夢で、就職試験に向けて毎日ランニングをするなどのダイエットにも励み、見事JR東海に就職したのです。しかし、これまたいろいろあって運転士になる道は険しく、最近は高山線の車掌を続けていました。

 そんな彼はまた旅行好きでもあり、その旅の宿で出会ったのがこのたびの新婦。押しの一手で射止めたようです。何年か前の話ですが、彼と二人でスキーに行ったとき、僕が「お前、彼女いないの?」って聞いたところ、「いるわけないじゃないですか。僕はイケメンじゃないですから」という答えが帰って来て、「そんなこと分かってるけど、世の中イケメンなんてそんなにいないんだから、大丈夫だよ」と全く激励にもなっていないような助言をしたことがありました。それが功を奏したのかどうか分かりませんが、今回はちゃんと自信を持って口説き、彼女も彼の良さに気づいてくれて、二人の共通の夢まで見つけたようです。

 電車は好きでも飛行機は大嫌いだった彼が、3か月間の世界一周新婚旅行に旅立ちましたが、帰って来たら、二人でゲストハウスを経営するという事業を始めるとのこと。あんなに好きだった鉄道の会社に入り、高収入も得ていたと思うんですが、それを辞めてまで夫婦二人の夢を実現させる道を選んだのは大したもんです。愛の力は偉大ですね。脱サラ族の先輩として多少の責任も感じますが、楽しく有意義な人生を歩んで行ってくれることを祈念したいと思います。

おおきな木 杉山三四郎

子ども本位。大人目線の課題はいらない

 しつこいようですが、今年はおおきな木25周年。絵本屋を始めて、5月5日で25年になるわけですが、オープン以来ずっと続けてきた活動があります。それは、「ことば塾」と「野外塾」の二つの塾です。どちらも、頭にも心にも、そして体にもいい活動だとは思うのですが、いわゆるお勉強の塾ではありません。

 ことば塾は、1歳半から小学校低学年の子まで、いつでも好きなときにご入会いただけますが、野外塾は年長〜中学生を対象に年間登録制にしています。単発の活動ではなくて会員制にしてきたことは、今思えば本当に良かったと思っています。子ども同士のつながりはもちろんのこと、親同士のつながりも世代を超えてできたからです。

 では、そもそも何でこういう活動をしようと思ったのかということをちょっと振り返ってみたいと思います。僕はおおきな木を始める前、全国組織の子どもの英語教室を展開する会社に勤めていました。ここはただの英語教室ではなくて、英語劇をしたり、ダンスやゲームをしたりというグループ活動をメインに行い、全国規模のキャンプをしたり、海外とのホームステイ交流をしたりというダイナミックなこともしていました。僕はここで実に多くのことを学びましたが、ずっと自分の思いを遂げられないもどかしさを感じてもいました。

 それは、子ども本位の活動になっているだろうか、という点です。例えばキャンプだと、おそらくどこの学校でも民間団体でもそうだと思うのですが、いろんな課題が設けられて、プログラムが時間割で決まっています。そして、その課題を決めるのは大人で、大人の要望に基づいて、「今回はこれを課題にしよう」と組織的に決まっていきます。そこで僕は、子ども本位のキャンプにするには、まず課題をやめたらどうかと提案してきましたが、教育プログラムとしての大規模なキャンプでしたから、全く通らない提案でした。

 そんなわけで、そのころから僕が思い描いてきたのが今やっている「野外塾」のような活動でした。課題や目当ては設けない。時間割もない。いろんなプログラムを用意はするけど、参加するかどうかは子どもたちの自由。こんな行き当たりばったり的な塾に入会してくれる人がいったいどれぐらいいるのだろうかと不安でいっぱいでしたが、初年度に約40人の子どもたちが入会してくれました。

 やっていくうちに分かったことがたくさんあります。岐阜市内の山の中で一日放し飼いのようなデイキャンプでも、退屈してる子はほとんどいないということ。場の力ですね。とくに何か施設があるわけではなく、あるのはどこにでもある自然環境だけですが、子どもたちは本当によく遊びます。そしてその遊びを通して、自然に仲間を作ります。子どもって群れで育っていくんだなあとつくづく思います。いろんな年齢の子がいますから、ちょっと年上の子に憧れたり、年下の子の面倒を見たり、仲間に誘ったりという光景も見られます。

 野外塾には毎年100人前後の登録会員がいますが、昔に比べるとお父さんやお母さんの参加も増え、よその子どもたちとも気兼ねなく遊んだりしゃべったり、また、火を起こしたり料理をしたりのお手伝いもしていただいたり、そんなことをしながら親同士のつながりもできてきました。子どもだけでなく親も自由気ままに過ごせる場でもあるんですね。毎回、大家族のような賑やかさで楽しいひとときを過ごしています。

おおきな木 杉山三四郎

23回目となる新春恒例さんしろう絵本ライブ

 新年です。おおきな木が始まって、なんと25回目の新年です。5月には満25歳になります。25周年を迎えるにあたって、10月末にはリニューアル工事をしました。10年ほど前からの汚れもたまり、庭も生い茂っていたので、外壁塗装や庭の剪定をしてきれいになりました。シンボル旗も新調しました。ほどよい風の日に、高畠純さんのイラストによる黄色いコアラがそよいでいます。そして、みなさんにくつろいでいただけるベンチを特注しました。ときどき、ここで記念撮影をしていかれるご家族連れがありますが、寒い冬も終われば、もっと愛用していただけるのではないかと思っています。

 さて、来たる1月20日(日)には、新春恒例「さんしろう絵本ライブ」があります。恒例と言っていますが、何回目になるんでしょう。ちょっと調べてみました。店がオープンしたのは1994年5月ですが、そのころから毎月「おはなしひろば」という名前で、いろんな方に来ていただいて人形劇や落語やコンサートなどをやっていました。そして、3年目となる1997年1月から、絵本屋のオヤジが何かやってもいいだろうということで、主人が直々にステージに立つことになりました。そんなわけで、これを第1回とすると第23回になります。

 でも、このころはまだ「絵本ライブ」という名前は使っていなくて、第1回は「絵本であそぼう」、第2回は「絵本とことばのバラエティ」という名前で、絵本を読んだり歌ったり、あそび歌やパネルシアターや紙芝居などもしていました。そして、1998年8月に岐阜市の未来会館(現在は清流文化プラザ)で行われた「絵本カーニバル」(主催:岐阜県産業文化振興事業団他)という大きなイベントで、「さんしろうおじさんの絵本ライブ」という名前が生まれました。

 今では絵本の読み聞かせイベントのことを「絵本ライブ」と呼んでいる方が多くなりましたが、当時は僕が知る限りそんな言葉はなく、絵本カーニバルを担当された岐阜県職員のKさんが、「絵本ライブというのはどうですか?」と提案してくださり、僕がやっていることはまさにこれだ、と我が意を得たわけです。そのころ、絵本を歌うレパートリーもどんどん増えていき、単なる読み聞かせとは違って、音楽が大きなウエートを占めるステージになってましたから、まさに「ライブ」だったんです。以降、いろんな絵本作家の方とのジョイントでも「絵本ライブ」という名前で催してきました。

 そして、1999年の新春ライブが「絵本ライブ」という名称での第1回(実質的には第3回)です。初めのうちは一人でいろいろやっていましたが、その後サポートを申し出てくれるミュージシャンが一人、二人と現れ、そのルートからアレンジャーの伊藤精一さんと出会うことになりました。精一さんが加わったライブが、2004年1月。その年の10月、彼のアレンジと録音でCDデビューを果たすこととなりました。

 その後、2007年に2枚目のアルバム、2011年に3枚目をリリースしていますが、3枚目の録音に参加してくれた若手のミュージシャンたちが「せーちゃんす」を結成し、2012年の新春ライブから「さんしろう絵本ライブ with せーちゃんす」という豪華なステージとなって、今回第8回を迎えます。毎年欠かさず来ていただいているお客様も結構あって感謝感激です。

 とまあ、皆さんにとってはどうでもいいような「絵本ライブの歴史物語」でしたが、今年は25周年記念イベントをいくつかやります。どうぞご期待ください。

おおきな木 杉山三四郎

本屋は未知の世界との出会いの場です

 「本屋で本が売れない時代になった」と、一年前、この欄に書いたんですが、こんな時代が来ることをおおきな木を始めたころには思ってもみないことでした。僕は本屋を始める前、サラリーマンをしてましたが、会社の昼休みや帰りの時間には本屋にはよく行ってました。ある目的の本があって行っていたのかというとそうでもなく、ただ何となく暇つぶしにうろうろしていました。そして、パッと目に飛び込んで来た本のタイトルを見て、目次を見て、本文をぱらぱらっとめくって、面白そうだと思ったものを買ってくるわけです。おそらくこういう人、多いんじゃないでしょうか。大袈裟に言うと、僕にとって本屋は、自分の好奇心を満たす場であり、未知の世界との出会いの場であり、自分の可能性を探る場でもありました。

 自分が本屋を始めてからも時々はよその書店に足を踏み入れますが、先日ふらっと立ち寄った書店で一冊の本を買ってしまいました。本屋だから仕入れ値で買えるのにですよ。でも、出会ったときに買わないと、次いつ会えるか分からない、というのが本です。面出しになって立てかけられていたその本のタイトルは、『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子著/方丈社刊)。「イタリア、トスカーナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、禁断の書、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある」と帯に書かれていて、”イタリア”、”本屋”、これにまんまと引っ掛かりました。

 著者の内田洋子さんがかつて住んでおられたヴェネツィアにある小さな古書店。「私にとってヴェネツィアの水先案内人であり知恵袋である」店。店主は四代目ですが、創業の曽祖父の出身はモンテレッジォという、今では人口が30人ほどという山奥の村であることを知り、その歴史を辿ることからこの本の旅は始まります。この村出身の人や住む人と会って分かったことは、モンテレッジオは本の行商人たちがいた村で、19世紀ごろから、本を担いで遠く何百キロと離れた町まで出かけて行き、野宿をしたりしながら露店で店を開いていたらしいというのです。その末裔たちが主に北イタリアの各地で書店や取次店を経営しているとのことで、イタリアの本屋のルーツのような村なんですね。

 ろくに字も読めなかった人たちが、どうして本を売ることで生活の糧を得ようとしたのか、著者の内田さんならずとも心が惹かれます。そして、内田さんの文章の力と見開きの左半分に載せられたカラー写真によって、今年5月に北イタリアを鉄道と船で旅した僕は、いっしょに旅に出たような気分になってしまいました。単なるノンフィクションではなく、素晴らしい紀行文です。

 この本の書評をいろんな書店員さんが書かれていますが、僕も本屋の経営者としていろいろ考えさせられました。本屋はただ本を売っている店ということだけでいいんだろうか。一人ひとりのお客さんと向き合い、心を満たせるような本を手渡して来ただろうか。リアル書店には、ネット書店とは違って未知の本との出会いや心満たす居場所としての価値があるはずです。おおきな木は来年25周年ということで、先月、ちょうどそんなことを考えながらリニューアルを試みました。陳列棚も、お客様に手にとってもらいたい本をどう見せるかを改めて考えました。そして、お客様のもうひとつの居場所としてベンチも作りました。寒い季節になりましたが、みなさん、ゆっくりと本に会いに来てください。

おおきな木 杉山三四郎

生き物好きの男子大学生たちは今…

 前にもこの欄でネタにさせてもらった二人の男子のことをまた書かせていただきます。彼らは今、大学一年生。小学生の時からおおきな木野外塾に来ていた子です。高校生のとき、Yフレンドという名称の子どもたちのリーダー的存在で活躍し、今年の春、I君は新潟大学農学部、N君は琉球大学理学部に進学し、岐阜を離れました。

 二人の共通点は生き物好きの飼育マニア。フェイスブックをやっているI君はときどき彼のペットを動画で紹介してくれます。ペットといっても、トビイロケアリの女王アリとかワラジムシとかカエルとかニホンカナヘビで、先日の学祭では、所属サークルの展示で、可愛がっている2匹のナガレヒキガエルを出演させて、達成感を十二分に味わうことができたと書いていました。

 僕が大学生の時は、学祭というと、所属していたフォークソング同好会のコンサートに出演して女の子たちの気を惹いていい気になっていましたが、I君の学生生活にはそんなやましい心は一切ないようです。

 一方、琉球大学に行ったN君はというと、あまり情報がないので何をやってるのかよく分からないのですが、夏に沖縄で会ったときには、夜の海にしょっちゅう潜っているようで、いっしょにシュノーケリングをしたときには、「この岩の下にネッタイミノカサゴとキミオコゼがいるよ」などと魚の名前をいろいろ教えてくれたりしました。そして先日、彼からLINEで届いた写真は血まみれになったカメの写真。説明がなかったので、「何これ?」って聞いたら、「ぽん」という答え。ははあ、スッポンの解体をしていたわけですね。彼は高校生のときから、ウナギやヘビをさばいて食べたりしてましたから、こんなのはさほど驚くことではありません。

 こんな二人ですが、一般的にはやはりちょっと変わっているわけで、中学や高校では浮いた存在だったようです。でも、野外塾では年下の子たちの憧れの的で、N君などは学校ではほとんどしゃべらないちょっと変なやつなのに、野外塾では子どもたちともよくしゃべってテキパキと動くやつなのです。

 学校というところは、みんな一斉に同じことをやらせて競わせるという仕組みになってますから、彼らのような生徒はそんな仕組みには馴染めないのは当然でしょうね。でも、「みんな違ってみんないい」を実践している野外塾では、みんなそれぞれやりたいことを自由にやってます。でも、ただ放ってあるというわけじゃないですよ。子どもたちが自然の中で遊べそうなことをあれやこれやと用意していきますからね。それをおもしろいと思える子はやるし、そうでない子は他のことをしている。退屈してる子がいなければいいと思ってます。そんな環境が彼らの肌には合っていたんでしょうね。

 そして、大学に進学したら全国から生き物好きが集まってきているので、そこでは彼らは全然フツーなわけです。彼らに言わせると、尊敬するスゴイ先輩がいろいろといるようです。おそらく授業もサークルも楽しいんだろうなと推測します。自分の好きなことがちゃんとあって、その道に進めている彼らは幸せもんです。偏差値教育に振り回されて、よりレベルの高い学校に進学することが目標になっている子たちとはちょっと違います。

 今年の夏、里帰りしてきた彼らも野外塾のキャンプに参加してくれましたが、相変わらずの人気者ぶりを発揮していました。野外塾では、彼らを見て育ってきた中学生たちも徐々に個性を発揮し始めて「おもろい連中」になってきているので、これからが楽しみです。

おおきな木 杉山三四郎